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厳格な完全主義者カラヤン [人々]

2003年発行の伝記から引用の続きです。

「カラヤンは徹底した完全主義者だった。彼は演出をし、指揮をし、車や飛行機だけでなく、とりわけ、スタジオでのレコード録音や、後にはテレビ録画などにも、新しい技術を意欲的に取り入れた。しかし、細切れにして録音すること、つまり、まずオーケストラを録音して、それから歌手の声を入れるというようなことは拒否した。総合的な響きの一体感を求めた。つまり、彼には、絶対的な静寂、まったく邪魔のはいらない、完璧な集中が必要だった。

椅子がぎしぎしきしんだり、何かが落ちたり、オペラには何らかの雑音はつきもので、それほど不快なものではないし、ほとんど誰も気付かないが、レコード録音の場合は別だ。どんな小さな雑音でもいちいち聞こえてしまう。Richard Wagner: Parsifal『パルジファル』のレコード録音は集中的に行われた。これは後にCDにもなったが、大成功で、1981年には最高のレコード賞である『グラミー賞』を受けた。私のキャリアにおいて多くの賞や表彰を得たが、『グラミー賞』は殊更誇りに思う。

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カラヤンとの出会い [人々]

カラヤンの多くの仕事仲間たちと同様、ペーター・ホフマンもまた、芸術的な共同作業における集中力といかにも大家らしいカラヤンの個性に深い感銘を受けます。しばらく2003年の伝記から引用します。

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ジェス・トーマス [人々]

声楽教師のエミー・ザイバーリッヒとの出会いに次いで大きな意味を持ったのが、当時バイロイト音楽祭にも出演していたテノール歌手ジェス・トーマス(1927.08.04-1993.10.11 アメリカ)との出会いでした。まるで偶然のようですが、実際はどうだったのだろうと本人も思ったようです。

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オペラの映像  ブライアン・ラージ [人々]

オペラの映像には、大きく分けて二種類あります。はじめから映像としてつくられたいわゆるオペラ映画、そして、舞台上演をビデオ撮りした舞台収録映像です。
ペーター・ホフマンに関して言えば、映像は三つで、どれも舞台収録のものです。バイロイト音楽祭のワルキューレ(1980)、ローエングリン(1982)、メトロポリタン歌劇場のローエングリン(1986)で、映像監督はどれもブライアン・ラージです。この名前はオペラ映像を見たことがあれば、必ず目にしているはずです。ブライアン・ラージは、少なくともワーグナー・オペラのテレビ化の先駆者です。前の二つはこれらの作品としては初の映像化でしょう。

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歌手対演出家 ヴォルフガング・ワーグナー [人々]

ヴォルフガング・ワーグナーは、ペーター・ホフマンにとって、非常に気が合う演出家のひとりでした。それは、ヴォルフガング・ワーグナーは練習のときに歌手がもちこむ意見に対して心を開いてよく耳を傾ける演出家だからです。はじめての仕事は1976年のバイロイト音楽祭のとき、パルジファルでした。ホフマンによれば、ヴォルフガング・ワーグナーは実務家で、彼のやり方は、多くの前置きなしで、練習がはじまります。練習は非常に活気に満ちており、彼は各場面を歌手と共に演じ、体験して、その考えを実行に移します。そして、その際、同時に歌手の創造性も積極的に取り込もうとしたので、歌手にとって、彼との仕事はわくわくするものだったそうです。

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パトリス・シェロー(2) [人々]

すでに何度も書きましたが、パトリス・シェローこそ、ペーター・ホフマンにとって最高の演出家ということでしょう。一緒の仕事は、バイロイト音楽祭の「ワルキューレ」のみです。シェローはいわゆるオペラ演出家ではありませんから、度々一緒などという歌手はいないでしょう。

主なオペラ演出は、ワーグナー:ニーベルンクの指環(バイロイト音楽祭)、オッフェンバック:ホフマン物語(パリ・オペラ座)、ベルク:ルル(パリ・オペラ座)、ヴォツェック(ベルリン国立歌劇場)、 モーツァルト:ドン・ジョヴァンニ(ザルツブルク音楽祭) ドン・ジョヴァンニ以外は映像があります。今年2005年の夏エクサンプロヴァンス音楽祭で、コジ・ファン・トゥッテを演出する予定だそうです。

シェローの演出を一言で言うなら、「歌手自身が自らの意志で動いているという気分にさせる」ということでしょうが、これはあらゆる人間関係の理想でしょう。これができれば、教育にしろ、仕事にしろ、うまくいくこと間違いなしですが、なにしろ簡単にできることではありません。また、この才能の発揮の仕方や場を間違えると、怖い結果も招きかねません・・・ いわゆるカリスマ性というものでしょうか。

ペーター・ホフマン:
「シェローの下では、骨の折れる仕事が待っていることを知りながら、喜んでリハーサルに行った。彼は、非常に数少ない演出家にしかできないこと、つまり、長期間にわたって私たちにやる気を失わず意欲的に参加させることに成功した。実際、私たちは彼と共に、1976年から、夏ごとに、1980年まで、仕事に没頭した。いかにして彼がそれをやり遂げたのかを、究明しようとしたが、結局のところ今日に至るまでわからない。これが芸術というものだ。内部者の立場から見た芸術だ」

ギネス・ジョーンズ:
「シェローは歌手たちと大いに共働していますが、愛があります。そして、歌手はそれを感じています。彼は仕事が好きですし、芸術家たちが好きです。そして、芸術家たちは彼が気に入っています。彼が言うことをとにかくやりたいと思うのです」

パトリス・シェロー:
「.......歌手たちには、自家撞着、思い込みの解消、考えを変えること、見られることに対する感性と興奮を教えることが必要だと思う。歌手たちがその身体と歌唱によって、物語の暴力性や残酷さを支えるように、要求しなければならない。歌手たちには、心の動揺や痛手はすっかり自分のものとしてもらいたいし、孤独をただ単に演じるのではなく、それを感じてもらいたいし、そして、当然のことながら、同時に、演じること、舞台で生き、存在することの変わらぬ喜びを感じてもらいたいと思う。その時、その場を支配している音楽的歓喜に相当する喜びがあるはずだ」

歌手たちは自分の出番のないところでも練習を見たりしていたようです。「ラインの黄金」のリハーサルでの話です。
「神々のワルハラ入城のところで、斜に渡した一本のロープで、神々のマントが引き上げられて、ハンガーに掛けられることになっていた。私たちは笑いをこらえていたが、ぷっと吹き出してしまった。私は「うまくいかなかったら、観客は怒って座席を壊すかも・・」と不吉なことを言った。シェローは、私たちがどれほどゆゆしい問題を見つけたかということを理解した。そして、後で、空飛ぶマント作戦?をすっかり取り止めにしてしまった。しかし、それを試してみるこの勇気・・・今私が話すのは、あとになってから天才的なものが裏にひそんでいたということがわかったということだ。中がからっぽのマントたちを引っ張りあげるとは! いずれにせよ、この神々は、からっぽの存在で、そこには実もふたもないに等しいわけで、身体が上昇しようが、身分をあらわす衣服だけだろうが、全くどうでもいいのだ。しかし、これは伝わらず、このシーンは神々の奇妙な一生を通じてお蔵入りになった。そこでは「リング」全体の中でも、まず葬送行進曲に匹敵するほどの、最高に華麗な音楽が響き渡っている。それは示威的かつ虚栄に満ちていて、そこではそれ以上のどんなクライマックスも設ける必要などありはしなのだ」〜1983年の伝記から

写真は1995年、映画「王妃マルゴ」のプロモーションのために来日したときのパトリス・シェロー(音楽の友誌)

関連記事:
パトリス・シェロー(1)
シェロー演出のトリスタンとイゾルデ
歌手の疑問にこたえる
喫煙
シェロー演出のワルキューレ(1)
シェロー演出のワルキューレ(2)
ルネ・コロとパトリス・シェロー
DVD:シェロー演出の「ニーベルングの指環」
The Making of the Ring:内容動画:ユーチューブ(ひとつの動画は部分的で短いですが、連続再生します)





歌手対演出家 ゲッツ・フリードリヒ [人々]

演出家、ゲッツ・フリードリヒ(1930-2001 ドイツ)は、リューベック歌劇場でデビューしたばかりのペーター・ホフマンに、いちはやく目を付けていたようです。二人が初めて一緒に仕事をしたのは、シュトゥットガルトでの「パルジファル」でした。この時、ホフマンは、ほとんど同時期に、ヴッパータールとハンブルクでも「パルジファル」の新演出に出演しており、「連邦パルジファル」と呼ばれたということです。1976年3月のことです。
写真は、1982年バイロイト音楽祭「パルジファル」の練習風景 フリードリヒとホフマン

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歌手対演出家 P.ホフマンが揉めた演出家 [人々]

ペーター・ホフマンが「ひどく揉めた」演出家はアヒム・フライアー(1934年〜 ベルリン) ごく最近も、この人のベルリン・ドイツ・オペラのサロメは「ぶっ飛び演出」だったそうです。サロメのベールの踊りの場面は、登場人物全員が手をひらひらさせながら踊りまくったとか、サロメは最後にバラバラにされてしまうとか・・・ ちなみにこの公演、ヘロデ王はルネ・コロ。
(左の写真はペーター・ホフマンのマックス@魔弾の射手、ウィーン国立歌劇場)

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歌手対演出家 指揮者兼演出家カラヤン [人々]

1976年ザルツブルク復活祭音楽祭、ローエングリンに際して起こったルネ・コロと大指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンのトラブルは、関連レコードのリブレットなどにも書かれていますし、前の記事にもWE NEED A HERO の記述を載せましたが、ルネ・コロの自伝を読みましたので、改めて紹介します。(写真は、コロ@ローエングリン、1976年ザルツブルク復活祭音楽祭)

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歌手対演出家 歌手の疑問にこたえる [人々]

ドイツの有名なバス歌手カール・リッダーブッシュは、率直な性格で、「思っていることを言う」人、すなわち、相当なうるさ型の文句言いと認められていたようです。バイロイト祝祭劇場で、1976年夏に、はじまった、パトリス・シェロー演出の「ワルキューレ」のリハーサルでの、小さな出来事は、「論理でいわゆる不平家を納得させることができるのだということ」で、ホフマンの心に残ったのだそうです。

リッダーブッシュ(Bs)は、ホフマン演じるジークムントの生き別れた妹ジークリンデと略奪婚をしたフンディングでした。映像のフンディング、マッティ・サルミネン(Matti Salminen, 1945.07.07-  フィンランド)とダブル・キャストだったのでしょう。彼が現れる前から、シェローとリッダーブッシュの関係がどうなるか、その人柄を知る人たちは、興味津々だったのです。二人は初対面です。

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