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カラヤンとの出会い [人々]

カラヤンの多くの仕事仲間たちと同様、ペーター・ホフマンもまた、芸術的な共同作業における集中力といかにも大家らしいカラヤンの個性に深い感銘を受けます。しばらく2003年の伝記から引用します。

  「この契約(ザルツブルク復活祭音楽祭1980年のパルジファル)は、ヘルベルト・フォン・カラヤンのオーディションからはじまった。実際のところ私はオーディションの必要な時期は過ぎていたが、カラヤンはもちろん特別だった。それでも、私としてはオーディションを回避しようと試みた。

私がベルリンで歌うときに、カラヤンもベルリンにいれば、私の公演に来てもらいたいという提案をした。残念ながら、これは時期的にまったく都合がつかないということが判明した。その代わり、カラヤンが『気楽に親しくやりたい』とのコメントを添えて、私をザルツブルグに招待するという形で、会うことになった。これはもちろん好意によるもので、そんなに気楽にというわけにはいかない。とにもかくにも、カラヤンの前で、オーディションを受けることに変わりはない。

そして、ついに私はカラヤンの前で舞台に立ち、カラヤンは、私に何を歌いたいか質問した。
『パルジファルをお聴きになりたいと思いますが、どうでしょうか』と、私は聞き返した。カラヤンはうなずいた。『アンフォルタス、あの傷・・のところはどうですか』という提案に対して、カラヤンは頭を振って、『いや、あそこは、あなたが歌えることはわかっています』と、全く別のところを求めた。

三幕の表情豊かな静かな部分を聴きたいという。かつて私にほほえみかけた草花がしぼみいくのを私は見たが、彼らも救いにあこがれるのではあるまいか。あなたの涙も恵みの露となったのだ。あなたは泣いている ・・・ご覧なさい、野原は微笑んでるのだこれで全部だった。

カラヤンは満足して、その後、ホテルの部屋に招待してくれ、およそ何気ない感じでいろいろ質問した。『ところで、ただひとつの武器が・・・のところはどのように歌うことになるだろうか』『歌ってみるのが一番でしょう』『よろしい。私が伴奏しよう』カラヤンは、ピアノの前に座って、私たちはいろいろな場面を十分に検討した。彼は自分の想像通りだったようで、全て気に入ったようだった。それから、急にバタンとピアノのふたを閉じて言った。『じゃ、復活祭を楽しみにしているよ』
このようにして、私は、ザルツブルグ復活祭音楽祭とそれに関連したレコード録音の契約を結んだのだった。」(ペーター・ホフマン)続く

写真:1980年ザルツブルク復活祭音楽祭、パルジファル三幕。1976年の同音楽祭ローエングリンでも、「花の香り」でルネ・コロと揉めたようですが、実際に舞台を観た人によると、三幕の花については書かれていないのですが、二幕の魔法の花園の場面では本物の花をつかったため、香りのせいで頭痛がしたとか・・・


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コメント 4

coyote

初めてお邪魔します。
素人考えで恐縮なのですが、カラヤンがペーター・ホフマンをテストする際に選んだ歌が、「アンフォルタス、あの傷…」ではなく、「かつて私にほほえみかけた草花が…」であったというのは、さすがカラヤンだ、と思いました。前者は、声域さえ合っていれば、指揮者や演出家の意向で、どのようにでも歌わせる事ができるのではないかと思うのですが、後者は、パルジファルの短期間の「人生経験」を、歌手の、年齢や経験、思索相応の「人生経験」に照らし合わせる事によってしか歌えない歌だと思うのです。
で、「ただひとつの武器が…」は、どこの歌だか思い出す事が出来ませんでした。私はまだまだ聴き込みが足りないようです。これから勉強しますので、よろしくお願いします。
ついでながら…lachen が古語のlachenである事は承知の上なのですが、あの部分、どうしても、「かつて私を笑った花が…」と訳してもいいのではないか、と思ってしまう私でした。だって、花の乙女たち、パルジファルの事、ケラケラ笑ったし…。
by coyote (2005-07-05 16:47) 

euridice

coyoteさん
お越し下さり、うれしいです。

なるほど、おもしろいです。そこまで思い至りませんでした。そういうことかもしれません。

>「ただひとつの武器が…」
これはフィナーレのところだと思います。アンフォルタスの傷に槍をあてがうところ.......... ヘルデンテノールらしい、強い調子で歌われますね。

>「かつて私を笑った花が…」
それこそ、そこまではわかっていない私ですけど、 coyoteさんの解釈、おもしろいです。当たっているかもしれません.............^^;
by euridice (2005-07-05 17:33) 

ペーターのファンです。

こんにちは。

先日から、いろいろな記事を拝見しています。
カラヤンのオーディションはとても興味深く、同時に納得できる気がします。

あくまで私見ですが、カラヤンは声量と高音以上に、若さと表現力のある声を
重視していたように思います。

「パルジファル」は目に見えないヴェールを重ねたような、透明感と緊迫感の
ある演奏で、初めて聞いたときは背中がぞくぞくしたのを覚えています。

カラヤンの意図とホフマンの叙情的な表現力がぴたりと合った結果なのだと
あらためて思います。

by ペーターのファンです。 (2008-05-04 15:00) 

euridice

こんにちは。
>先日から、いろいろな記事を拝見しています。
ずいぶんたまってしまったし、順不同の記事なので、
自分でも何を書いたか忘れていますから
コメントくださると、思い出したり、過去のコメントが新鮮だったりして、
おもしろいです。勘違いやミスも直したり・・;

正規録音のパルジファルも複数聴いていますが、
今でもまだカラヤンのCDが一番というより、飛び抜けて感動的です。
by euridice (2008-05-05 07:23) 

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