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ベートーベン「フィデリオ」ベルリンドイツオペラ1984年 [PH]

ph97fid84r.jpg [左の写真は1984年、ベルリン・ドイツ・オペラ リハーサル、カタリーナ・リゲンツァと]
  1984年2月10日に新演出初日を迎えた、ベルリン・ドイツ・オペラでの、ジャン・ピエール・ポネルの印象的な演出、ダニエル・バレンボイム指揮による『フィデリオ』は、きわめて珍しいことに、評論家が全員一致の肯定的な批評をするほどの、最高の大成功! よく見ても最初はだれだかわからなかったほどの濃い化粧のフロレスタン、ペーター・ホフマンは、不可能なことを成し遂げたに等しいほどの上出来、透明感のある表現力に富んだ声で歌いながら、それにもかかわらず、地下牢に一人寂しく、飢えて、死を間近にした人が、横たわっていることを、納得させたと評されます。この『フィデリオ』については、オペラの初日などいつもは言及する価値はないと考えている大衆紙までが、熱狂的に書きたてたとのこと。

この録音を聴くことができましたので、少しご紹介します。

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CD:ハイティンク指揮「魔笛」1981年 [PH]

モーツァルトの「魔笛」の全曲録音への参加(1978年)がペーター・ホフマンの初正規録音で、タミーノ役担当でした。ハイティンク指揮「魔笛」は1981年の録音で、武装した二人の男、つまりタミーノとパミーナの火と水による試練の場への門番役の一人を歌っています。

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ゲッツ・フリードリヒ演出のリング ベルリン・ドイツ・オペラ [PH]

1984年にはじまったゲッツ・フリードリヒ演出の、ワーグナー作曲四部作オペラ「ニーベルングの指環」すなわち略して「リング」、ベルリン・ドイツ・オペラは、「トンネル・リング」と称されたそうです。1987年には来日公演があって、ご覧になった方も少なくないでしょう。私は残念ながらオペラに興味を持つ前だったし、もし興味があっても、たぶん行かなかった、あるいは、行けなかったと思います。
このワルキューレ、映像はメイキングだけですけど、音声部分は全曲聴くことができました。

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テレビ放送:ポートレート1983年 [PH]

rock_ring.jpg伝記その他によれば、1983年にRock around the RingあるいはRock around Wagnerというタイトルでいわゆるポートレートがテレビ放送されたということでした。

「 テレビは『Rock around Wagner』という特徴的なタイトルで「複線」歌手、ペーター・ホフマンのポートレートを撮った。オペラ活動の様子や、スタジオでのポップスの録音風景、「ロック・テノール」の私生活などがその内容だった。」(伝記2003年刊)

 クラシカジャパンではけっこう古いポートレート番組が放送されたりもしているので、なんとか放送してほしいと願っています。リクエストもしましたが、実現しません。もうろくにチェックもしていないのですけど・・・していないと思います・・ 

 先日、1989年論文の著者から、かろうじて最悪をまぬがれているような画質ですけど、この映像をいただきました。

 ちょうどリチャード・バートン主演のテレビ映画「ワーグナー」の撮影が行われていたころでしょう。その映像からはじまります。結婚直後だったデボラ・サッソンも頻繁に登場。シェーンロイトでの生活、ヴェネチアでのパルジファル、バーンスタイン、ミック・ジャガーが登場のニューヨークでのパーティ、ロッククラシックの録音風景など。 



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ローエングリン ザルツブルク復活祭音楽祭1984年 [PH]

カラヤンは1976年のザルツブルク復活祭音楽祭で「ローエングリン」を取り上げています。これに関連したEMIの録音が、私が生まれて初めて耳にした「ローエングリン」でした。あっという間に引込まれて夢中になったものです。聴かない日はないというくらい、のめり込みました。美しさに唖然でした。関連記事:出会いまで〜オペラへ(2)

ところで、カラヤンは同音楽祭で、1984年に再び「ローエングリン」を取り上げました。インターネット上で、4月14日の上演は放送があり、その録音が存在するという話を目にしました。できることなら聴きたいものと思っていましたが、同好の方のお陰で、思いがけずこれが実現しました。非常に肯定的な反響を得たと伝記にありますが、正に魅力的な演奏に、またまた新たな気持ちで、わくわくしながら聴き入っています。新鮮な感動が再びというところです。

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コンサート@パリ1979年 [PH]

HPで一部紹介しているマリア女史の著書に1979年4月28日のパリでのORTFの演奏会でのマックス@「魔弾の射手」を聴いたことが書かれています。彼女からのカセットにこれがありました。マレク・ヤノフスキ指揮、ジャニーヌ・アルトマイヤーとのコンサートで、演奏曲目は「魔弾の射手」「タンホイザー」「ローエングリン」「ワルキューレ」からの抜粋。そして、びっくり仰天。日本語の解説の断片が聞こえます。おそらくこれはNHKの放送を録音したものです。日時は不明ですが、おそらくNHKのFM放送と考えられます。彼女がどのようにこれを入手したのかは不明ですが、音源が日本だったとは驚きです。

「 ホフマンは魔弾の射手(ウェーバー)のマックスを、そのキャリアの前半に、頻繁に歌ったが、今もなおこの役は彼のレパートリーに含まれている。あの事故のあとの1978年、この役でコヴェントガーデンに復帰したとき、アラン・ブリスはこう書いた。彼は本物のヘルデン・テノールの音質を披露した・・・  文句のつけようのない賞賛に値するのは、彼の旋律線を浮き立たせるすばらしい感性だ。 
 マックスのDurch die Waelder(森を抜けて)の流麗な旋律の進行におけるベル・カント的心地よさは1979年4月28日のパリでのORTFの演奏会のアリアで聴くことができる。ホフマンは装飾音を柔軟に心地よく処理すると同時に英雄的な高らかな響きを加えている。Lebt ein Gott?(神はいるのか)をカバレッタで仕上げるとき、このフレーズは神の沈黙に対して怒りの拳を振るうような激しさを示す。このアリアはホフマンの描くマックス像の特徴である失望と落胆の落ち着かないマックスの気分をとらえている。そこにいるのは、若くて、情熱的な猟師だ。抑え難い激しい愛に駆り立てられて、衝動的な行動をとる若い猟師。彼にとって射撃競技の出来事は全てが悪夢だ。最終的にアガーテへの誠実な深い愛情によって救われる若い猟師。ホフマンは国民的人物像を、生き生きと目の当たりに見せる。
 絵画のように見えることを要求された、アヒム・フレイヤー によるシュツットガルトの公演の静的な演出によってさえ、抑えられないほど、まるで電気を帯びているかのように生き生きとぞくぞくさせられる。ホフマンのマックスは説得力がある。揺れ動く気持ちと憂うつな気分に支配されているのを納得させられる。そして、そういう暗さにもかかわらず、ロマンチックな情熱を備えた、観客の同情を呼ぶ魅力的な人物にすることに成功している。 
 〜Carla Maria Verdino-Suellwold "WE NEED A HERO"1989」

伝記から
「もう絶対、何かアリアを歌いたい」と先生に迫ったとき、次の週末までに、魔弾の射手のマックスのアリアを練習してくることを、やっとのことで、許してもらえた。それを先生の前で歌ってきかせたとき、先生はなんとも言えない目をして、ピアノのふたをぱたんと閉めてしまった。私は、恐ろしいことになったと思った。 私は、声だけでなく表現も、完全に間違っていた。もちろんこのアリアは時期尚早だった。それは難しい種類のアリアというのではなく、生命を吹き込むように歌うことが難しいのだと、先生は教えてくれた。・・・魔弾の射手のマックスのアリアは、例えば、職人的な人々が、歌って、大成功できる。ただ、なんとなく良くないという感じが残る。・・」

♪森を抜けて♪


マックスのアリア、♪森を抜け野を越えて・・♪と歌うことぐらいしか知らず、どんな内容か特に注意したことがありませんでした。そこで、今回いつものように字幕を付けてみました。なんだか人生についていろいろ考えさせられてしまう、けっこう奥の深〜い歌詞でした・・・


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ベートーベン 交響曲第九番 1977年パリ [PH]

2011年12月
第九と言えば、なぜか年末。
2011.6.16
ずっと以前に情報を得て探し続けていたけど、もうすっかりあきらめていた
Beethoven SymphonyNo.9: Tce_Maazel_25 Mar 1977_Napier, Hesse, Hofmann,Nimsgern
が、ついに1978年ロンドンの「ワルキューレ」をリリースしてくれた愛好家サイトopera-club.netでリリースされました。
ベートーベン:交響曲第九番
LU-1013_front.jpgロリン・マゼール指揮
フランス国立管弦楽団
ラジオフランス合唱団
独唱:
マリタ・ネイピア
ルート・ヘッセ
ペーター・ホフマン
ジークムント・ニムスゲルン

1977.3.25 パリ
ラジオ放送

「新米ファン」さんの並々ならぬご尽力のお陰です。

旧記事にいただいた新米ファンさんのコメントを転載します。オプション以外は全部記入します。

「第九」とうとうリリースされました!!!!!
当初の予定よりやや遅れましたが、熱い(しつこい?)リクエストに応えて、普通なら無理な相談の手間をかけてリリースしてくれたものです。P・ホフマン・ファンの皆さん、是非購入してお聴きになって下さいませ!
Opera Club という愛好家サイトです。こちら↓です。
http://www.opera-club.net/release.asp?rel=409

他の演奏者によるものも含め、CD4枚分で僅か6ユーロ、約700円です。ラジオ・フランスの放送録音で録音状態はとても良いです。ダウンロード販売なので購入したら待たずにすぐ聴けます♪
問合せにもすぐに答えてくれるとても誠実なサイトです!!他にも何かリクエストがあって、このサイトが所有していたらリリースしてくれるかもですヨ。因みにバイロイトのラジオ放送はすべて持っていると言ってました。オランダのサイトですが、ヴッパータールの録音といい、オランダはレア録音の宝庫でしょうか?」

早速ダウンロードして聴いています。音もとても良いです。

ホフマンのオペラ以外のクラシックは、マーラー「大地の歌」しか聴けませんでしたが、
とてもポピュラーな第九が加わったのは、ほんとにうれしいことです。
b77cast.jpg

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初録音「魔笛」LP→CD発売! [PH]

この録音、ファンがずっと要望を出していたのですが、いつまでたってもCD化されませんでした。ところが、知らぬが仏・・・ついに!CDが発売されてました! やっと!です〜びっくり仰天! もはや期待ゼロ、忘れてました〜

散歩兼バードウォッチングが趣味に加わって、野鳥や草花の写真や動画をユーチューブにアップするようになりました。その時、この録音をBGMに時々使っていました。著作権侵害とかも言われなかったのですが、少し前、著作権侵害で見られなくされました。
まあ、問題なかったものが、突如著作権侵害ですとなることはあったので、だれかが著作権主張したのだろうぐらいに思っていました。でも、見られなくされたのは初めてで、ちょっと疑問ではあったのですが、放置。

突如、ふと、もしかしたらCD化されたのかもしれないと思いついて、検索したら、なんとやっぱりCDが発売されていました!めでたいことです^o^)/

LP持ってますけど、やっぱりCDが扱いやすいですよね〜さっそく注文しました!
Mozart モーツァルト / 『魔笛』全曲 アラン・ロンバール&ストラスブール・フィル @HMV&BOOKS online Yahoo!店
HMV会員ならHMV onlineがちょっと安いかも。
なんだか超安値のアマゾン
モーツァルト:歌劇『魔笛』

モーツァルト:歌劇『魔笛』

  • アーティスト: Kiri Te Kanawa, Edita Gruberova
  • 出版社/メーカー: Decca
  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: CD

関連記事:2005.2.32006.2.222008.8.22 ユーチューブで見られなくなってます・・・つい最近まで、ずっと大丈夫だったんですよ〜 ユーチューブで聴けなくなっても、CDになって、たくさんの方が買って聴いてくれれば、うれしいです! 著作権の扱いについては疑問もありますが、こういうことなら、よかった、よかったです。調べてみたら、CD発売の頃、ブロックされてました〜「動画についてなんらかの対応や削除の必要はありません。」とありますが、見られないのでは意味がないので、削除しました。
※ ※ ※ ※ ※

追記:2007年4月2日:レコードの初録音ではあったようですが、映画版ルサルカのための吹き替え録音を1976年やっていました。

ペーター・ホフマンの録音はとても少ない。同じワーグナー・テノールのルネ・コロもジークフリート・イェルザレムも、録音に熱心な歌手のようですが、どうもホフマンは違っていたようです。舞台出演との関連性なしのオペラ録音は三つ、魔笛を二つと数えれば、四つしかありません。魔笛、さまよえるオランダ人、オルフェオとエウリディーチェです。

オペラの舞台デビューは、モーツァルトの「魔笛」で、役は架空の国の王子タミーノでしたが、初スタジオ録音も同じ役でした。これは、あの事故の後、完治というわけではなかった時期(1978年)に、客演よりは録音のほうがいいということもあって、引き受けたようです。
バークレイ・レコードの企画で、
アラン・ロンバール指揮、ストラスブール・オーケストラ
合唱、ライン・オペラ
タミーノ:ペーター・ホフマン
パミーナ:キリ・テ・カナワ
パパゲーノ:フィリップ・フッテンロッハー
パパゲーナ:キャスリーン・バトル
夜の女王:エディタ・グルベローヴァ
ザラストロ:クルト・モル
弁者:ジョセ・ヴァン・ダム
モノスタトス:ノルベルト・オールト
侍女:ヘレン・ドーゼ、アン・マレー、伊原直子
童子:チューリッヒ少年合唱団員

この役はリューベック市立歌劇場のデビューで歌って以来、この劇場でも、他の劇場でも頻繁に歌ったということです。

歌手はこの役について「初仕事が、テノール、しかも、やすやすと高音を出す本物のリリック・テノール、とりあえず申し分のないタミーノだったことに、驚いている。タミーノは高いドを朗々と歌うことができたし、よさそうに見えた」が、このタイプの役で真の意味の成功は得られなかったと感じていたようです。その一因は、常に悲し気で、陰鬱で、意気消沈している、弱々しい人物というイメージで描かれることが多いという役の性格付けによるのではないかと述べています。

歌手が声楽の勉強をエミー・ザイバーリッヒについて始めたとき、先生も本人もバリトンかバスだと思っていました。私には専門的なことは皆目わかりませんが、次第にバスの響きが失われ、テノールの声質が認められるようになり、本人もジェス・トーマスとの出会い以来、彼のようになりたい、テノールになりたいという希望を持つようになります。ジェス・トーマスもそのように助言し、エミー・ザイバーリッヒも同意、歌手の願いをかなえたいと思ったそうです。そこで、徐々に高い声域を勉強し、テノールになったのでした。

この録音は、CDになっていませんし、入手困難ですから、珍しいレコードの部類でしょう。ほとんどあきらめていましたが、インターネットのおかげで、レコードを譲ってもらうことができました。

この役のペーター・ホフマンにも十分満足できたので、ほんとに感激でした。ファンだからと言われてしまえばそれまでですが、とても説得力のある演奏だと思います。

それまで、個々に好きな歌はあったのですが、全体としてはなんとなく違和感がぬぐえなかったこのオペラを自分なりに納得、心から楽しむことができるようになりました。
なんといってもそれまで一番人物像がつかめないというか、退屈でしかなかった、タミーノとパミーナが生きた人間になり、そのメロディーが心に響くようになりました。

ペーター・ホフマンと魔笛と言えば、もうひとつ録音があります。買ったまま放置していて、ふと配役をながめてびっくりしたのですが、武装した男を担当しているのです。
EMI1981年のCDで、ハイティンク指揮、バイエルン放送交響楽団、パパゲーノ:ヴォルフガング・ブレンデル、パミーナ:ルチア・ポップ、タミーノ:ジークフリート・イェルザレム、夜の女王:エディタ・グルベローヴァです。
モーツァルト:「魔笛」全曲

モーツァルト:「魔笛」全曲

  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1999/01/27
  • メディア: CD



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世界音楽家巡礼記 [PH]

久しぶりの検索で、こんな本を見つけました。
墓マイラーカジポンの 世界音楽家巡礼記 (ONTOMO MOOK)

墓マイラーカジポンの 世界音楽家巡礼記 (ONTOMO MOOK)

  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 2020/11/18
  • メディア: ムック
これにペーター・ホフマンのお墓も載っていてびっくり〜図書館にあったので、借りてみました。
ph_grave.jpg


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森田昭夫著:メイド・イン・ジャパン [PH]

1990年の来日コンサートは、前年、ワシントンでのドイツ連邦共和国四十周年記念コンサートにベルリン・ドイツ・オペラと共に出演したのに引き続いて行われたものですが、ずいぶん前から計画されていました。東京の主催者によるその詳細かつ綿密な計画に、ホフマンは驚いています。1年前には、いろいろと細かい問い合わせがあり、迎えの車の色、ホテルの部屋に置くグランドピアノの種類、コンサートの合間の自由行動計画等々が公式に決定されました。ホフマンにとって一番の驚きは、彼が「確実にひとりになれる時間をほしがっている」などとは、日本の主催者は夢にも思っていないらしいことでした。

ホフマンが個人的に知り合った最初の日本人は、ソニーの創業者、盛田昭夫氏でした。彼の著書『メイド・イン・ジャパン』にもありますが、盛田氏は、1983年のバイロイト音楽祭の時、ホフマンに招待され、その自宅を訪問したのです。ホフマンのホームページ(2009年7月消滅)にも、その時の写真と説明があります。ザルツブルク音楽祭からバイロイト音楽祭の音楽の話題、オーディオ機器からホンダのオートバイのテクノロジーの話題など、とても気が合ったということです。盛田氏は、ホフマンの運転するオートバイ(ホンダ1200cc)に同乗して、最高瞬間時速220キロを楽しみます。そして、ホフマンの飛行機操縦の先生、アクロバット飛行の世界選手権保持者マンフレート・シュテッセンロイターの飛行機に同乗、宙返り飛行を体験しますが、飛行機操縦免許を持っている盛田氏もさすがに膝ががくがく、胃の具合がおかしくなったそうです。この先生はその後、飛行中の事故で亡くなり、そのショックもあって、ホフマンは飛行機操縦免許を取らないまま、やめてしまったということです。

メイド・イン・ジャパン:
"Made in Japan" ソニー創業者 盛田昭夫(1921~1999)の著書

p134
I like to travel fast, although I don't consider myself a speed demon. One time when Yoshiko and I were in Bayreuth for the Wagner festival, the opera singer Peter Hoffman showed me his pride and joy, a twelvehandred-cc Honda motorcycle. This huge and powerful machine is not available in Japan, but is much in demand in Germany where they have no speed limits on the autobahn. He invited me to drive it, but I declined, saying I would prefer to ride with him, and off we went for a spin. At one hundred and forty miles an hour I could hardly hold on, even though I had my arms locked around him, but it was exciting.
When we got back and dismounted, he asked me if I would like to ride in an aerobatic plane. Of course I said yes - it was something I had not done before. We all climbed into the car and drove out to the airport, where we met his friend who wore a German aerobatics champion. He invited me to go up with him, and I of course jumped at the chance. When I was settled in the cockpit he said, "I'll watch you and if you get sick we will land. I've never been sick in a plane, so I just nodded.
As soon as we took off, he handed the controls to me and told me to climb to four thousand feet, which I did. When I leveled off, he took over and without any warning went into his program - inside and outside loops, snap rolls, barrel rolls, stalls, spins, all of it. It seemd to go on for hours, and I was constatly involuntarily reaching for my seat belt to have something to hold on to. I have a very strong stomach, but I was happy when he signaled we were going down. As we turned into what I thought was our final approach, I could see Yoshiko and Peter Hoffman waiting for us on the tarmac, smiling and waving.
But just as we came over the edge of the runway, he rolled the plane upside down at about fifty feet and gunned it. We were so low I felt like my head was almost scraping the runway. My wife said she could see my hair hanging straight down as we whizzed by. I get a kick out of roller coasters and such things, which last about three minutes. Yoshiko and I both rode the stand-up roller coaster at Science Expo '85 in Japan. But thirty minutes of aerobatics was the longest thrill I have had, a little too long. I must confess my legs were very shaky when I finally climbed up of the little stunt plane, and my thank you may have sounded a bit hollow.

本人が英語で書いたものだそうです。翻訳(朝日新聞社)も出ています。ペーターがピーターとなってるのは残念です。まあ、原本のほうも、Hofmann ではなく、Hoffman になってます。

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