ホルスト・シュタイン [人々]
ヴォルフガング・ヴィントガッセン [人々]
ロベルト・シュンク [人々]
ゲッツ・フリードリヒvsペーター・ホフマン [人々]
ペーター・ホフマンとゲッツ・フリードリヒ(1930-2001 ドイツ)の関わりは、ホフマンがデビューしてすぐにはじまりました。ホフマンの伝記(2003年)でヴォルフガング・ワーグナーは「ゲッツ・フリードリヒはリューベック歌劇場の専属歌手だったペーター・ホフマンに注目し、バイロイト音楽祭にふさわしいと考え、1973年8月12日に、バイロイト祝祭劇場において、パルジファルとローエングリンのオーディションを受けさせた」と語っています。フリードリヒ一人ではなく、某年配の歌手(だれでしょうか)、ロルフ・リーバーマン、エージェント・シュルツなどがホフマンのバイロイト・デビューに関わったようです。
ルネ・コロとパトリス・シェロー [人々]
またkeyakiさんの記事に便乗です。映画「ドン・ジョヴァンニ」の話題にパトリス・シェローが登場するとは予想外でした。この映画の監督の話、まずシェローに行ったのだとは。ちょうどバイロイトで「ニーベルングの指環」を演出していた頃ですね。
そこで、ルネ・コロの自伝にちょっとおもしろい話があったのを思い出しました。つまり、コロの見たシェローです。それを紹介します。
コロがシェローに初めて出会ったのは、1976年にはじまったバイロイト音楽祭「ニーベルングの指環」の「ジークフリート」にジークフリート役として出演することになったときでした。当時シェローの名前は天才的演出家としてコロの耳にも入っていたようです。ちなみに、コロは1937年生まれ、シェローは1944年生まれです。
追記:この「ジークフリート」では、コロが歌い、シェローが演技した公演の他に、声の調子が悪くてコロは歌えないというので、ジーン・コックスに歌ってもらって、コロが演技だけした公演もあるということです。どちらの公演も、1976年〜1979年の間のいつのことなのかわかりません。どなたかご存知ありませんか?
R.バートン〜テレビ映画「ワーグナー」 [人々]
トニー・パルマー監督、リチャード・バートン主演、コジマ役がヴァネッサ・レッドグレーブの連続テレビ映画『リヒャルト・ワーグナー』(1984年) 私が最初に見たのは短縮版のレーザーディスクでした。ヴィスコンティの映画「ルートヴィッヒ」などで、ワーグナーに興味を持って見たのでした。後で、思えば、もの凄い短縮ぶり・・・
連続テレビ・ドラマだったとは知りませんでした。おもしろくない映画だと思いました。ペーター・ホフマンが出演しているらしいことは後で知って、改めて見てみましたが、確認できませんでした。何の役だかも知りませんでしたから・・ ずっと後になって、クラシカ・ジャパンで、全10回(1回、約50分)が、連続放映されました。それ以外は、輸入版のビデオしかないようです。
バーンスタインと共に....の一年 [人々]
ペーター・ホフマンがレナード・バーンスタインを知ったのは1980年のこと。バーンスタインの強い希望で行われたワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」でした。この企画は、およそ一年をかけ、このオペラを一幕ずつ、1981年の1月、4月、11月に、ミュンヘンのヘラクレス・ホールでコンサート形式の上演をし、同時にライヴ録音とテレビ用のビデオ撮りを行うというものでした。歌手にとって、これが初トリスタン役でした。このオペラ作品の中でも最高に難しく、テノールにとっては「陰気で、長く激しい紆余曲折があり、圧迫感があって、声にとっては拷問みたいな、殺人的に難しい役」を一歩一歩身につけるには、最良の条件とも言える企画だったのです。バーンスタインは、初トリスタンのホフマンに非常に協力的で、難しい箇所や、問題のある箇所を乗り越えられるよう、懇切丁寧な手助けを惜しまなかったということです。バーンスタインは、演奏者から最大限のものを引き出すべく、良い雰囲気を作ろうと最大限、努力します。
カラヤンとポップス [人々]
2003年発行の伝記から引用の続きです。
「私の車に乗せたとき、ポピュラー音楽も好きかどうか質問したところ、『良いポップスなら・・・』というこたえだった。私は、反応やいかにとわくわくしながら、ピンク・フロイドの『ザ・ウオール』のカセットを差し込んだ。彼はすぐに足を上下にゆらして、拍子をとっていた。車の中というプライベートな空間では、よく笑ったり、ふざけたりした。
(この挿話はP.ホフマンのHPにも載っています。http://www.peterhofmann.com/index-erinnerungen.html
「まさに、<Classic meets Pop>という状況誕生の瞬間」だと感じたということです」パルジファルのリハーサル中、ザルツブルク祝祭劇場から、レストランに食事にでかけたときのことだそうです)
カラヤン vs 歌手たち [人々]
2003年発行の伝記から引用の続きです。
「カラヤンは、気に入った歌手たちとはすばらしい共同作業をした。準備ができていなかったり、プロらしからぬところが見られたりした場合は別だった。そんな場合は猛烈に不快きわまりないといったふうに振る舞うことがあった。物凄い影響力を持っていた。あの小さな、ほっそりした男が公演ともなると、巨人になった。
しかしまた彼の冷たい態度が不安を引き起こしたようにも思われる。文字どおり蛇が一睨みで金縛りにしながら、それを楽しんでいるといった具合に、じっと見られて、声が出なくなった女声歌手が何人もいた。だから、彼は自分の後ろに歌手を立たせて、ベルリン・フィルに紹介したものだった。彼が特に好んで一緒に仕事をし、人間的にも気に入っていたソリストたちとは、気楽に親しくつきあった。」(ペーター・ホフマン)