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歌手対演出家 ヴォルフガング・ワーグナー [人々]

ヴォルフガング・ワーグナーは、ペーター・ホフマンにとって、非常に気が合う演出家のひとりでした。それは、ヴォルフガング・ワーグナーは練習のときに歌手がもちこむ意見に対して心を開いてよく耳を傾ける演出家だからです。はじめての仕事は1976年のバイロイト音楽祭のとき、パルジファルでした。ホフマンによれば、ヴォルフガング・ワーグナーは実務家で、彼のやり方は、多くの前置きなしで、練習がはじまります。練習は非常に活気に満ちており、彼は各場面を歌手と共に演じ、体験して、その考えを実行に移します。そして、その際、同時に歌手の創造性も積極的に取り込もうとしたので、歌手にとって、彼との仕事はわくわくするものだったそうです。

ヴォルフガング・ワーグナーもペーター・ホフマンをとても信頼していたようで、「ペーター・ホフマンは常に、非常に細かいところまで、十二分に準備ができていた。常に最善を心がけていた。であるから、彼との仕事は、容易で極めて快適であった。歌手が身につけるべき基礎的なことはすべて前もって済ませてあったから、すみやかに肝心な部分に進むことができた。彼は、全ての前提条件は自分で完全に勉強しており、仕事に、集中して、真剣に取り組もうとしていた。彼のことで、不愉快な思いをしたことは全くない」と述べています。

ヴォルフガング・ワーグナーにはバイロイト音楽祭の主宰者という側面もあるわけですが、ホフマンのポピュラー活動を苦々しく思う人たちの脅迫や不当なブーイングなどに対して断固とした処置をとっています。そういう人たちは彼のホフマン贔屓を非難したりもしたようで、ホフマンが1990年以降、バイロイト音楽祭に出演しなくなったことに関して、ヴォルフガング・ワーグナーもやっと目が覚めたのだみたいな発言がネット上などでも見られたものです。実際、当時も、ヴォルフガング・ワーグナーはもはやペーター・ホフマンをバイロイトに望まない。なぜなら、彼はもはや歌えないからであるなどと、書かれたそうです。

信じるも信じないも勝手ですが、ヴォルフガング・ワーグナーによれば、
「ペーター・ホフマンは、バイロイトに13年間出演した後の1989年に、別の仕事に専念することに決めた。私はそれを理解し、我々は合意の上で、たもとを分かった。ホフマンは祝祭劇場をときどき訪ねてくれ、私はそれがうれしかった。他の歌手の場合、ときにはあったことだが、ホフマンは突然辞めたわけではない」し、

ホフマン自身も「ヴォルフガング・ワーグナーからの翌年の出演依頼は、すでに机の上にあった。私は変化を求めて努力する人間だった。13年にわたるバイロイトのあと、とにかく違う仕事に没頭したかった。ヴォルフガング・ワーグナーはこのことを理解してくれ、私たちは、互いに友情を損なうことなく、別の道をいくことにしたのだ」と言っています。参照

別の道というのは、1990年ハンブルク、アンドリュー・ロイド・ウェッバーのミュージカル「オペラ座の怪人」ドイツ初演への出演です。

バイロイト音楽祭出演は1989年が最後になりましたが、ヴォルフガング・ワーグナーとペーター・ホフマンの最後の仕事は、1988年音楽祭での、パルジファルとホフマンにとってバイロイト音楽祭では初めてのヴァルター・フォン・シュトルツィング(マイスタージンガー♪♪)でした。この年は、もうひとつハリー・クプファーによる新演出でジークムント(ワルキューレ)を演じています。

マイスタージンガーは新演出ではなく、シュトルツィング役は、ライナー・ゴールドベルク、ジークフリート・イェルザレムの後を継ぐものでしたが、ホフマンは全く新しい自分独自のシュトルツィング像を創り上げようとします。そして、全く失礼な態度でマイスターたちの前に現れた反抗的で、強情で、生意気な若い騎士を演じたのですが、これは、演出で予定されていたのと全く違うことでした。声に関しては絶好調で、指揮者もリラックスしている様子が伝わってきて、とてもいい気分。靴屋の居間での夢物語は実にかっこよく、優勝の歌は、大喜びで歌い、舞台の同僚はみんな、拍手喝采、足を踏みならし、観客は熱狂します。

演出計画と違うことをやったので、演出家に怒られ、悪ければ首を覚悟し、議論して戦おうと身構えていたのが、演出家は彼を抱擁してこう言ったのでした。『とてもよくやってくれました。みんなとても喜んでいます。これからもぜひともこの調子で続けてください。見事な舞台でした。声もすばらしかったです』

ホフマンはその伝記 (2003年刊)の中で、
「私の好きなシュトルツィング役を、バイロイトで歌うことができたということは、すばらしいことだった。...あのときは、全然調子が悪くなくて、若くて、生意気で、自信満々のショトルツィングを演じるのがとても楽しかった。最後の音が消えて、幕が降りたとき、もう一度全幕通して歌えればいいのにと思うほど気分が高揚していた。......チューリッヒ歌劇場で初めて歌って以来、上手く歌うだけでなく、この若い騎士に、演劇的にも全く新しいニュアンスを与えることを常に追求してきた。そして、ついにバイロイトにおける『私の』ワルター・フォン・シュトルツィングを作り上げることができた......」

写真はバイロイト音楽祭1988年、マイスタージンガー練習風景。ヴォルフガング・ワーグナー、ベルント・ヴァイクル(ザックス)、ペーター・ホフマン


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keyaki

オペラ歌手は、インテンダントとか演出家によって、方向性が決められてしまうという部分もありますね。ですから、そういう人達とのいい関係が大切ですね。
by keyaki (2005-06-14 10:18) 

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