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参考-1 [2003年刊伝記]

ハンナ・シュヴァルツ~2009年夏の驚き
写真:ハンナ・シュヴァルツ@東京1993(写真は情報を下さった方が1993年ベルリン・ドイツ・オペラのトリスタンとイゾルデで来日の時にNHKホールの楽屋入口で撮影なさったものです。ありがとうございます^^+)
hanna.jpg私のように遅ればせのファンではない、ずっと前からのペーター・ホフマンのファンの方々には周知のことだった・・みたいです・・伝記(1983年)の中で、若すぎるという周囲の反対を押し切って共に19歳で結婚し、苦楽を共にして、1976年、バイロイトへの出演がうまくいって間もなく別居し離婚に至った妻アンネカトリンが『私の夫のように突然、一躍有名になるような人は、特別の人生を送らざるをえないものです』と言っていますが、こういう人にはやはり色々あるものなんだ・・という感じです。

ハンナ・シュヴァルツ(アルト、メゾソプラノ1943.8.15- ドイツ)は、レーザーディスクで視聴した1980年バイロイト音楽祭の「ニーベルングの指環」の、北欧、ゲルマン神話の主神ヴォータンの正妻である結婚の女神フリッカが、非常に印象的でした。「ラインの黄金」と「ワルキューレ」に登場しますが、特に「ワルキューレ」でのフリッカは迫真でした。この映像は、たいていは退屈なフリッカを含めて、全体的に衝撃でした。ペーター・ホフマン演じるジークムントと直接絡む場面は全然ありませんが、彼女の一言、一言が、単なる空虚な台詞ではなく、その関係性を強烈に示すものでした。生々しい感情が、テレビ映像からさえ、はっきりと伝わってきました。

当たり前ですが、すばらしい歌手だけど、ホフマンとの関係は、相手役でもない、単なる共演者でしかないと思っていました。ところが、そうではなかったことを、ごく最近知りました。ホフマンのファンの方からの情報です。

 2003年の伝記に
「1964 年には長男のペーターが生まれ、1965年にはヨハンネスが続いたので、私は突然妻子の扶養という義務を負わされることになった。それはすなわち、両親がしてくれた以上に、自分の家庭をよりよく築いていくという大きな責任を負うことだったが、うまくやってきたと思う。子どもたちとは、一番下のレオにいたるまで、非常によい関係を保っている。今では、大きい子どもたちは、二人とも自分の家庭を持っていて、私にはすでに4人の孫がいる。」
という下りがあります。この「一番下のレオ」は、ずっと気になっていましたが、今まで情報がありませんでしたし、熱心に調べる気もありませんでした。

 要は、1990年にマスコミに暴露されたということのようです。情報をくださった方のお陰で、1990年の新聞記事の断片を読むことができました。

 1980年代後半から徐々にパーキンソンの影響が発現しはじめて、不調が目立つようになり、まさかパーキンソンという難病とはだれも思い及ばず、不調の原因があちこちに求められた・・その一環だったようです。新聞記事から、そう思いました。

 欠落もあって残念なのですが、以下、1990年の新聞記事です。
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ペーター・ホフマン 隠し子 浮上
彼は少年ジークフリートみたいだ
ペーター・ホフマン(46)はハンブルグの「オペラ座の怪人」として自分の声と悪戦苦闘している。消息通は、彼はこのハンザ同盟都市でその大きな秘密にそれこそ間近に直面せざるを得ないため、その結果、声の調子が悪くなるのだと、推測している。つまり、かつてのバイロイトのスターはハンブルグに隠し子がいる。9歳のレオ・ハインリッヒだ。彼はまるで少年ジークフリートみたいだ。
hanna_2.jpg写真の説明:
左)「幼いジークフリート」 レオ・ハインリッヒ
右)ペーター・ホフマンとハンナ・シュヴァルツ
1979年 ハンブルグ歌劇場で
訳者註:同年、二人ともナクソス島のアリアドネに出演しています・・ホフマンはテノール歌手/バッカス、シュヴァルツは作曲家
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ペーター・ホフマン: 彼女は、赤ん坊が欲しい。養育費はいらないと言った。

ペーター・ホフマンは1980年にバイロイト音楽祭でワーグナーの「ワルキューレ」でジークムント役を歌った。フリッカ役は卓越したアルトでありメゾ・ソプラノでもあるハンナ・シュヴァルツ(現在46歳)だった。

ハンブルグ出身のブルネットの女声歌手とブロンドのヘルデンテノールはあの「緑の丘」でプライベートな交際をした。ある雑誌のインタビューによれば、ホフマンはシュヴァルツに「あなたの子どもが欲しい。どんな責任もとらなくていい。養育費はいらない」と言われた。ハンナ・シュヴァルツは9ヶ月後、彼女のバイロイトベビーを出産した。レオ・ハインリッヒである。

幸せいっぱいの母親は、ブロンドのまるまる太った赤ん坊を、生後4週間になるかならないうちから、ニューヨーク、パリ、ロンドンと、全ての公演に同伴した。

ペーター・ホフマンは、約束に反して、日増しに少年ジークフリートに似てくる、隠し子に会っていた。現在は、レオ・ハインリッヒに会うことを避けざるをえない状況である。というのは、ハンナ・シュヴァルツが、この春、ジャズ作曲家のジャンマリー・ウィルソンと秘密裏に結婚したからだ。

「ペーターは、ハンブルグで『オペラ座の怪人』をやっていますが、ハンブルグのハルフェステフーデに彼の隠し子が住んでいるのです。これは彼にとって非常に気になって落ち込む原因です。ペーターは過去に苦しんでいます。これが、声にも影響を及ぼしているのです」
友人の一人は、こう説明した。
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かの「緑の丘」では、みんな知っていた。ペーター・ホフマンとハンナ・シュヴァルツの間に結婚外の息子があることを。でも、全員が秘密を守った。歌手仲間も知人も友人も、堂々たる偉丈夫のヘルデンテノールと美しいメゾソプラノの秘密を快く認めていた。それなのに、水曜日、バイロイト音楽祭の初日に合わせて、二人の世界的オペラ歌手の情事が暴露された。

以下、興味深い詳細:
ホフマンの息子、レオ・ハインリッヒ(9)はまさしく1980年音楽祭の子供である。当時、ハンナ・シュヴァルツはニーベルングの指環のフリッカとして、ジークムントの死を望んでいた。(欠落)・・彼はまだ頂点はきわめていなかった。かつての十種競技選手はバイロイトで、彼の人生において重要な二人の女性と出会った。一人は、ハンナ・シュヴァルツで、彼の子どもをもうけた。ホフマンはその子にずっと定期的に会っている。もう一人は、デボラ・サッソンで、彼の妻になった。

このように、ワーグナーオペラのバイロイトには、ソープオペラもある。1982年、ホフマンはパルジファルとして両女性と同時に舞台上にいなければならなかった。サッソンとシュヴァルツは、花の乙女役として、3000の目と耳を前にして、嫉妬の火花を散らした。リヒャルト・ワーグナーは、女性たちにパルジファルを得ようと必死にさせているのだから、そういう役どころだったわけだが・・事情を知っている者にとっては、ものすごくおもしろかった・・ なにしろ、こう叫ぶのだから・・「私が一番美しいわ。いいえ、私が・・
(以下欠落)・・」
訳者註:シュヴァルツは、1982年と1983年に1幕フィナーレのアルトソロと花の乙女を担当しています。サッソンは毎年(1982年~)花の乙女として出演しています。

hanna_3.jpg写真の説明:
バイロイト歌手のラブストーリー:ペーター・ホフマンとデボラ・サッソン(写真左:ここでは省略)彼女は舞台で、彼女より以前の恋人だったハンナ・シュヴァルツと一緒に、各々がホフマンを自分のものにしようと歌った。上(ここでは左)の写真は、息子のレオ・ハインリッヒと一緒のハンナ・シュヴァルツ。父親はペーター・ホフマンで定期的に坊やと会っている。

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2011年10月、新国立劇場「サロメ」にヘロディアス役として出演。この時、息子同伴だったそうです。見かけた方によるとペーターそっくりだったとか。
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