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写真39−67 [1983年刊伝記]

39) 「声は自然の贈り物だ。しかし、この贈り物は育てなければならない。育成されてはじめて良い状態を保つ」ペーター・ホフマン談、1979年
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40)時間は貴重なもので、いつも足りない。「都市から都市へと駆け巡る」歌手は何週間もの間、電話と飛行機と舞台だけで暮らしていることがしょっちゅうだ。
「新人として大きな役ばかり歌うのは危険だった」
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41)モーツァルト『魔笛』タミーノ、1972/73、リューベック
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42) モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』ネロ、1972/73、リューベック
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十年後、ペーター・ホフマンはリューベック時代の旧知を劇場に訪ねた。新しい守衛が『劇場の恐ろしい門番』として入口に座っていて、「どこへ行きたいのか」と、怒鳴った。ホフマンは食堂に着いて、ため息をついた。「あなた方がまだ私を知っていてよかったよ。そうでなければ、ここではもうだれも私を知らないということなんだ、まったくの新顔というわけなんだ」
43) モーツァルト『イドメネオ』のタイトルロール、1973/74、リューベック
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44) 『こうもり』アルフレート、バーバラ・ノイハウザーと。1973/74、リューベック
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45+46) 「舞台で自分自身と自分の声にあまりにも没入すると、観客がこちらに何を期待しているのかということにもはや気づかない。この能力を利用できれば、自信がない時に少しは役に立つだろう」『ラインの黄金』のローゲ、ドルトムント1975年、ヴォータン:リヒャルト・クロス、フリッカ:リンダ・カレン
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47) 「聞き耳をたてて聞き入るのは、わかりにくいなんてそんなばかなことはない。この世で最も重要なことは、真っ赤な声帯はいらないということだ」ローエングリン、1978年、ハンブルク
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48) パルジファル、1976年、ハンブルク
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49) 「きょうはミラノ、あしたはハンブルク:私のセカンドハウスは旅行かばんの中だ」ベートーベン『フィデリオ』フロレスタン、1980年、ハンブルク
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50) 「オペラを歌うことは、連続的なストレスだ。なぜなら、常に直前の公演のと同じくらい良くて当たり前なのだから」リヒャルト・シュトラウス『ナクソスのアリアドネ』バッカス、1979年、ハンブルク
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51) 「ヘルデンテノールとは、実際何だろうか。劇的な役を歌うテノールだろうか。全てのフレーズを弱音で歌ったら、もうヘルデンテノールではないのだろうか。なんだかロマンチックにきこえる伝統的な名称だが、ヒロイズムとはほとんど関係がない」リヒャルト・ワーグナー『ワルキューレ』ジークムント、1976年、パリ
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52) 「ワーグナーのアリアもリリックな声で弱音で際立たせることができる。とにかく、目下のところは、強く練習している」ローエングリン、1982年、パリ
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53) ジャン・ピエール・ポネル演出の『ワルキューレ』でジークムント役のペーター・ホフマン、1978年、シュツットガルト
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54  55  56) ジャン・ピエール・ポネル演出の『ワルキューレ』第1幕、1978年、シュツットガルト、ジャニーヌ・アルトマイヤーと
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57) ジャン・ピエール・ポネル演出の『ワルキューレ』第2幕、1978年、シュツットガルト、ブリュンヒルデ役のカタリーナ・リゲンツァと
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58  59) ヘルベルト・フォン・カラヤンの下で、1980年、ザルツブルク復活祭音楽祭でパルジファルを歌った。リハーサルが録音された。
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60) 「舞台では公演の日に自分の能力の頂点にいなければならない。公演は先に延ばせない」(1980年、ザルツブルク復活祭音楽祭、パルジファル)
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61 62) 1980年、ザルツブルク復活祭音楽祭、パルジファル、第2幕と第3幕、クンドリーは、ドーニャ・ヴェイソヴィッチ
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63)「カラヤンは、私にとって、最高に偉大だ。ベルリンで『パルジファル』を録音した数週間のことは、今も忘れられない。カラヤンがいかに音楽を知っているか、いかにそれを伝える力があるか、こういうことを描写するのは困難だ。詩人じゃなければならないだろう。あるいは、『パルジファル』の中に『それは簡単には言えない』とあるようなものだ」『パルジファル』のレコード録音で、カラヤンとホフマン
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64 65  66) ヴェネチアでリヒャルト・ワーグナー没後百年に上演された『パルジファル』2幕、花の乙女たちの場面その他、1983年、ヴェネチア、クンドリはゲイル・ギルモア
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67) 「音を正確に出すことが芸術だとは思わない。そうではなくて、それは声によって、大袈裟な舞台演劇的わざとらしさを廃して、感情を表現するための前提条件である」1983年、ヴェネチア、『パルジファル』3幕
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