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雑感-7 [1983年刊伝記]

息子たち
 若者の反抗。これは若者の権利だ。私の二人の大きい息子たちは目下そういう年齢だ。しかし、彼らとは相容れない大人の私が、若者が私に期待する態度をとれば、かなりの愚行は抑えられる。
 一番上の息子ペーターは、17歳でニュー・ウェーブとパンクが大好きだったとき、ほっぺたに、反対側の半分は耳を貫通している鎖付きの安全ピンをつけて、村にやってきた。彼の目は輝いていた。反抗の表明というわけだ。私はこれを無視した。まず私は彼に説明した。「馬小屋の床をきれいにしておくことが重要だ。明日、ワラが来るから。」 仕事をすることで、彼は顔の物がどんなに邪魔かということに気がついた。彼は黙ってそのがらくたを外した。
 田舎では物事に存在理由がなければ、だれも興味を示さなかった。そういうのは都市の文化だ。ここで若者は出かけていってネッカーマン・パンクをちょっと試してみるが、パンク自体にあるもの、つまり、醜悪なものを美しいものに格上げするようなこの「文化」が持つものを知ることはない。こういう文化は猥雑な雰囲気のロンドンの郊外で生まれた。そこの若者たちは自分たちはとにかく非常に醜悪だから、そういうもを見せるしかないと思ったのだ。加えて、彼らはお金がないので、ジーンズをはくのが好きだとしても、そのジーンズさえ所有していない。だから、徹底して、不格好なズボンにさらに汚い色を塗り、髪の毛は緑や青に染め、髪を刈り込んで頭に奇妙な空き地をつくる。パンクは信念になった。都市は、人間を内面的にも醜くすることができる。都市では気分を爽やかにする環境は体制側の人間のためにだけ存在する。そういう人は必要とあれば、都市から逃げ出すことができる。
 麻薬は文明の病だ。それは都市を危険な温床にしている。私の若いときにはまだ直面しなかった問題だ。父が一本のタバコのことで私を捕まえたとき、父は私と一緒に数本立続けに吸った。荒治療だった。私はひどく気分が悪くなり、喫煙は終った。
 今日の「麻薬」の問題はそんなに簡単に解決することではない。子どもたちにそういうことを一貫したテーマとして伝えることが重要だ。そうすれば、子どもたちは、ヘロインを注射することが非常に危険だということを容易に理解するにちがいない。私としては麻薬が彼らにとって危険にならないよう若者を感化しようと試みることしかできない。たとえ私自身、弱い麻薬を、自分にとって危険をおかさずに摂取することができるとしても、みんなその程度のことはやっていると言って片付くことだとは思わない。だれでも常に自分自身で決定するしかない。他人の責任を引き受けることは不可能だ。息子たちに関して言えば、若者はいろいろ試してみるにはまだ十分に強くなってはないというところだ。しかし、どうやって彼らを100%守ろうか。それとも、より強力な薬剤に切り替えた結果、あわれな寄生虫が死ぬのを見ているのと同じように、黙って見ているのがより人間的なのだろうか。
 子どもに対する両親の責任は麻薬の蔓延によって増大している。さらに、全ての人の内面に、人にとって善いことと善くないことについての自覚が存在するべきだと思う。この意識を目覚めさせ、促進するべきだ。ここで重要なことは、人生に肯定的に立ち向かうことだ。私は喜んで生きているし、自分の人生に対して多くの考えを持っている。そういうことが何か息子たちに影響を与えていると信じている。
 生命の活力がない人は、人生を非創造的になんとなくやりすごそうとするだけだ。今日、すべてをナンセンス、未来はないと決めつけて、全く何も努力しようとしない若者がいる。彼らは正しいだろうか。私も時々そんな気持ちになる。全ての物事がどのように進行するかを考えると・・・最も重要なことは利益をあげることのように見える。そのために世界中の民族が犠牲にされている。権力と利益。私は今生きているのだから、今のことしか話さない。だが、常にそうだったのだ。あらゆる国家形態が暴力を合法化している。あるいは、教会だ。教会は、異端審問に始まって、護衛付きで豪華な車に乗ってハーレムを行き、経口避妊薬は天国の至福を得るには不適当であると人々に告げるローマ教皇まで、極めて積極的に加担してきた。それにしても、やっぱり納得がいかない、まったくおかしな話だ。そういうことを合わせて、他のもっと多くの事を一緒にすれば、未来はないものとのあきらめを理解できる。たとえそういうことが私の身におこる心配がなくても。そして、息子たちがそうならないことを望んでいる。
 息子たちは目下、時に、極めて強い意志がある私もまた体験する状況にある。つまり、何か実現したいと望んでいるが、それを始めるには機が熟していないというような状況だ。あるいは、何かできるだろうと思うのだが、実行するには熟していない。次の時にはきっとうまくいくに違いない。そういうとき私は音楽といった分野を思う。あるいは、沢山の読書をする、途方もなく沢山。だから、彼らとすばらしいおしゃべりができる。
 私は息子たちが学校の寮で育っているということを不幸なことだとは思わない。彼らにとって完全な家庭という選択肢は存在しなかった。私はしょっちゅう家をあけていた。これは、子どもたちに対してより、妻に対して悪い結果をもたらしたのだが、それは同時に子どもたちの環境を悪くしていた。学校時代、私は寮に入っている友だちが物凄くうらやましかった。どんなに一緒に行きたかったことか。
 子どもたちが失敗を体験し、受け入れることを学べば、それはちっとも悪いことではないと思う。彼らの人生に物凄く役に立つことだ。では、悪い教師の問題はどうだろうか。運が悪ければ、どこにいようが、悪い教師にぶつかる。しかし、今日、これは私の時代ほどひどくはない。当時は教師は実際人の全人生をだいなしにできた。私の場合、成功しなかった。が、しかし、他の幾人もに対してはうまくいっていた。私は学校時代にいざとなれば完全に確信的に突然ずる休みした。そして、心にやましいどころか、ものすごく幸せな気分で、自転車でどこかへ出かけたものだ・・・そして、野原に寝転んで、これは必要なことだ。自分の身体が必要としているのだ、と思っていた。これは私の弁解だった。これで満足だった。私は家から正式に学校をさぼることを許してもらったかもしれない日のこと(それは全ての子どもにとってすばらしい経験だ)を思い出せない。こういうことは全ての子どもに許されるべきだ。私は息子たちのために、きっかけをつくることさえする。「もう寮へ戻るって・・それはだめだ。今はまず馬に乗って野原を横切り、草原へ向って出発しよう。日常的な規則を守ることよりずっと大切だ」 若い人たちは当然、何かを達成するためには、責任をもって行動し、決められたことを守らなければならないということを、理解する必要があるが、同時に、彼らの自由とそれに伴う責任も認められるべきだと思う。父親が認めることが正しいことばかりではないということは別にして、こういうことは子どもに測り知れないほど大きな信頼感を与える。両親はこういう機会を利用すべきだ。自分の子どもの前ではスーパーマンでありたいと思う人は多いが、そのためには、むずかしいからといって、面倒がっていてはだめだ。その気になればとても簡単だ。しかし、このやりたいようにするというのは危険に対する用意がない。教育関係の本を山のように読んで猛勉強することはできる。そもそも心理学を大学で勉強しなくても、人の心はわかるものだ。
 いまもなお若者と年配者の間に軋轢があるとすれば、非常に残念だ。しかし、こういった溝は徐々に小さくなっていると確信している。ビーダーマイヤー時代や世紀末のころに教育がどのようだったかを思い返せばわかることだ。あのころは反抗するのはるかに大変だった。そして、今日は、息子たちに対する私の態度は完全に別物のようにみえる。私は抗議の意味を込めてロックミュージックをやった。両親に逆らったのだ。いま私はロックを歌っている。息子たちもロックを受け入れている。だが、ひょっとしたら、彼らがいつかクラシックをしてみせてくれることをちょっと期待している。今のところ、彼らは私のやっていることに対してかなりよい感情を持っていると思う。息子たちは、とても気楽に進行する、そして、私がオペラでたまにロックミュージックが聞こえることがあってもいいのではないかと主張した、フッフスバーガー・ショーを見たとき、熱狂していた。ショーのとき、私の隣に座っていた、マルセル・プラヴィ氏だけは、それはけしからぬことだと思っていた。まるでオペラが傷つけられたかのように感じたらしい。しかし、彼は今もなお異様な大オペラ舞踏会が催される上流社会の出身だ。こんな舞踏会はもはやまったく存在理由がない。ところでその人たちは何者としてデビューするのか。これは社交界デビューと考えられていた。こういう社交界はもはや存在していない。それともまだあるのだろうか。
 別の面で、息子たちはある事柄に関連して私を非常によく理解するようになった。私がまさに熟知していること、私が学校症候群と呼んでいることだ。小さい方の息子、ヨハンネスの場合、様々な状況が重なった。まずはじめに彼は3回転校せざるを得なかった。それに加えて、就学させるのが早すぎた。これは、当時アメリカではとっくの昔に時代遅れになっていたのに、私たちのところでは、明らかに失敗しているにもかかわらず、試みが正式に終了になるまではまだ延々と続いている、ある心理テストに基づいていた。その結果、息子は5年学校に行かなければならなかった。この場合、息子にとって自由に使える学校時代が多くなるわけで、少なくとも余分に留年してもいいわけだと思っていた。しかし、それは間違いだった。息子はまだ集中できず、じっと座っていることができなかった。授業時間中に窓のところへ走っていった。「外に鳥がいるのに、見えなかったんだもの」というわけだ。彼は自分の席ににべもなく追い戻された。みんなが彼の相当に困った性格を矯正しようとしたが失敗だった。
 彼が2年生のときに私たちはリューベックへ引越した。先生が聞いた。「ここで勉強していることがわかるかな、カールスルーエでも同じところまで進んでいた?」 ヨハンネスは気を遣って「はい」とうなずいた。気を遣ったに決まっている。教材は9か月先に進んでいたのだから、彼は何もわかっていなかった。学校に入ってからそんなに短い期間でこれほどの気遣いをするとは。信じられないことだ。一年間で学校は小さな男の子を封じ込めてしまったのだ。しかし、彼がテストで、かつての私のように、白紙答案を出していたということは、それが明るみに出ていなかった、そのときはまだ知らなかった。
 私は教師に呼ばれ、事の次第を打ち明けられた。「ヨハンネスは壊れてます」「なんとおっしゃいましたか。壊れてるとはどういう意味ですか。彼をゴミ捨てに投げ捨てなくちゃいけないとかそういうことですか」「あの子にはほとんど希望がありません」教師は私をさえぎってまくしたてた。この先生は気が変になっていると思った。「私は厳しい措置をとらなければなりません」と教師は私を説得しにかかり、私からヨハンネスをいきなりたたいてもよいという許可を得ようとした。それで私はかっとなった。「息子はもう一日だって学校へは行きません」「息子さんは学校へ来なければなりません。それは義務です」「あなた方が彼を見るのは今日が最後です」 私は証明書を手に入れ、3か月後に私たちはヴッパータールへ引越した。ヴッパータールでは彼をヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)へ入れた。この学校では、子どもは、性能のいい機械ではなく、まず第一に人格を持つ人として育てられるということだ。これは私がとても大事だと思っていることだった。なぜなら、だれでも何かを学びたいと思えば、強制されなくても学ぶものだ。そして、学びたくない人よりはるかにはやく学ぶ。それに対して、強制されれば、回復不能の障害を残す可能性がある。私は、自分自身の、そしてさらに、いまだに過去のことにできない、経験から、学校に対して、大概の人たちとは異なった考え方をしていた。私は息子に対して非常に強い同情を感じた。ヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)で彼はどんなにか変わったことか。信じられないほどだった。彼は静かになった。以前は毎朝出かける前に30分は泣いていた。それは家族全員にとっても拷問だった。そういう状況から彼を救い出すことができた。両親が、お前のためにそれを終らせると言えば、子どもにとってすごいことだ。理由もなく何ヶ月も泣きわめくその年齢の子どもはいないと思う。小さい男の子は不愉快だからといって泣いたりはせず、大声でわめくものだが、ヨハンネスはまさに死にものぐるいだった。
 現在、彼はまたヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)をやめたいというところに来ている。というのは、そこは彼にはあまりにも退屈で、ある意味で、あまりにも世間離れしているように思われるというわけだ。彼にはサッカーをしないほうがいいという理由が理解できない。私は、人が人に対抗して行動する、サッカーのような格闘技的な団体球技は、シュタイナー学校の人智学的信念に反しているのだとうことをよくわかるように説明しようと試みた。しかし、彼には通用しなかった。あるいは、テレビのことだ。確かにテレビを過大評価するのはよくないが、重要な物にならないように抑制することは可能だと思う。そうすればテレビは無害だから、子どもにはこういった即席的情報源を避けさせる必要があるという根拠が、私にはわからない。テレビが流布する見解は、客観的でないのは明確だが、それは、ジャーナリズムの良心だと主張する新聞も同様だ。もうとっくに好感をもって受け入れられているものだ。それでも、ヨハンネスにとってヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)はその間にその目的を果し、彼は今は別の全寮制の学校で暮らしている。
 長男の場合は、なんとしてでも自立しようとする強情さを、特にはっきりと思い知らされた。長男は18歳で姿を消した。私と同じだ。ただし、もっと挑発的だった。彼はがらくたを放り出した。私はそういうもののために彼に毎月数千マルクの支払いをしてやっている。彼は寮で何もかも放り投げたそうだ。数カ月後手紙が届いた。イビザでアイスクリーム売りとして働いていた。可能な限り迅速に家族の束縛から逃れて、自分に対する責任まで担うなどということは、当時の私もそれほど見事にやってのけはしなかった。

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