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社会の束縛-1 [1983年刊伝記]

だれしも社会の束縛から自由ではない

ひどく貧しい国民であるよりは、納税者でありたい
 政治情勢によって妨げられず、自分の人生を歌うことに使えることを「ぜいたく」として、感謝している。ヒットラーのような暴君がいつでもどこにでも存在するなどということがなく、ゲシュタポが家の周りを忍び足でうろつくことがなければ、様々な決定をすることは、どれほど容易なことか。ナチ党員がそこにいなければ、彼らについていとも簡単に判断できるということは、わかりきった話だ。日常的に立場を明確にしなければならない時代に生きていることは、私たちの気楽な生活よりはるかに困難だった。そのとき、こういう「たわいない」会話にさえ、相当の勇気が必要だっただろう。
 こういう自由があれば、自分の生活や発言に対して取るべき責任は当然ながら増大する。特に心にやましさを感じる時にそういうことに気づく。
 例えば、パリでとっても哀れなやつを目にする。私が浮浪者に2、3フランそっと手渡したら、その男は町中私を追い回して私のことを「天使」とか「恩人」とか褒め讃える。こんな事態を招きたいとは思わない。要するに私は自分の気持ちを楽にしたいだけなのだ。その男のポケットには2フランもなくて、私は束で持っている。ひとつの行為で最高の幸福が手に入るだろうと思うわけだ。潜在的に、まさに潜在意識下のことにすぎないのだが、確かに人はだれでも自分をいわゆる幸運をもたらす者と見なしている。ただ単にポケットに手を突っ込むだけで、スーパーマンだ・・・
 しかし、こういったことに関して意識してしまったら、助けたりはしないところだ。私は大混乱に陥ったにちがいない。何かを与えることは、私にとっては何でもなかった。しかし、彼にとっては・・・ やはりそこでよく考えてみると、いまいましいことに、その男がベルモット・ワインを十本買って、そのせいで死んでしまったらどうするのだ? 余計なことをしなければ、彼はもう一年か半年かは長く生きていたのではないだろうか。私は、躊躇することなく、無意識的な人助け行為は断念しなくてはならなかったのだ。そういうことからこんなことを追及する可能性が生じるということに気がついたとき、使われず眠っている種類の小銭だけをポケットにいれた。これは実に簡単で、後に残る影響もなく、とても謙虚なことに思われた。加えて、私はこういう潜在意識、自己中心的な良心の言い訳を防止したかった。結局のところ、私には、他の人がそれによって何かを得るということが重要だった。その男が目を覚まして、タバコの吸い殻はないかとズボンの中をさがしたらフラン紙幣が出てくるところや、白いパンをひとつ買うために、フラン紙幣がなくて困っているところを想像するとき。そのときから私は援助ということをとても真剣に考えるようになったと思う。
 稼ぎ過ぎていると非難されれば、多くの人より余計に働いてもいると反論する。その上、補助金によって助成されているオペラのためにも私のお金を納税者として支出している。同時に、人より多い稼ぎによって他を援助することができるという自覚を持っている。確かにだれもが、私も全く同様だが、常に何かしなければならないと思っているにもかかわらず、何もしない。カンボジアの飢えた子どもたちに関するシュテルン誌の記事には、決定的に触発された。飢餓でお腹の膨らんだ子どもの悲惨な「何かちょうだい」という動作。恐ろしい光景。私は多額のお金を送った。匿名で。こういうことをジャーナリズムに便乗して利用するのは、ご都合主義の道徳観によって.間違った勝負をしているということなのに、それがわかっていながら、また自分自身に都合のいいように解釈しているわけだ。
 ただ単に歌うだけでも非常に強力な支援者になることはきっと可能だろう。その場合、私は自分に対して過剰な社会的倫理観を要求することになるだろうが、これを率直に許容する。全くついでの話だが、こういうことによって、私は多くの人々に、不本意ながら、ひどく恥をかかせることになっているのだろう。だれもがちょっとそういうふうに見ているにちがいない。そういう人たちによれば、私は救済者を気取っているわけだ。司祭でさえ、給料を取って、私的な目的に使っている。経済界のボスたち、サッカー選手、政治家、あるいは映画監督が、最高額を一人占めしているかぎり、オペラの巨額なギャラを不適切と判断する倫理的根拠は全く認められない。要するに私は「危険な」品物は何も売っていない。私はただ単に人々を「オペラという麻薬」により近付けているだけだ。こういう「ちょっとした逃避」を可能にすること、これは合法的ではないのか。
 こういうことは全部置いておくとしても、オペラ歌手として、到達するのがとてつもなく困難な頂点を極めれば一公演につき5桁の金額も正当だと思う。この場合リスクは大きい。なぜなら、いつまでできるかわからないのだ。それに、夢のようなギャラは、異常に長い教育期間の後、新人時代のあとの、数年にわたる骨の折れる厳しい仕事の後ではじめて手に入るのだ。まねしてやってみればいい。そうすれば、高級が支払われる理由がすぐにわかるだろう。
 白状すれば、心の底には、やましい気持ちがある。それを責任感とも呼ぶことができる。これは、私の考えで、望むらくは、正しい政治を推進する、ふさわしい党に投票するというやり方ですでに示している。政治とは、私にとって、共同生活を調整することだ。あるいは、別の言葉で言うと、何もない人とその一方で全てを持つ人がないように配慮することだ。私はモナコへ逃げ出さず、この国に税金を納めるというやり方で責任を果たしている。仲間の多くは違う考えで、この国を立ち去っている。しかし、私はこの国で生活したいと思っている。だが、国を利用し、ただその受益者に徹して、よいところだけを得ることは私にはできない。だから、極端に貧しい国民であるよりは、喜んでより多くの税金を払いたいと思っている。
 非政治的な人間であることを主張するとすれば、それはお笑い草だ。そういう人々は、彼らの小さな庭や財布からなにかを奪われれば、まっ先に過激派になる人たちだ。それから、共同生活のルールである政治は、人間が二人いればすでに始まっているのではないだろうか。実際、朝、誰が一番にバスルームを使うかという問題もすでに政治だ。
 自分の状況に興味があれば、政治的でないということは、全く不可能だ。ただ政党に積極的に参加せずに、できれば連邦議会に届くように具体的に介入する方法が何かあるだろうか。個人主導は効果があがらない。重要な箇所で何か言う前に、あまりにも多くの力を費やしてしまうため、大事なところで、もうエネルギーが続かない。政治家になりたければ、場合によっては、まずはじめに前任者を攻撃して追い払わなければならない。それからどうするか。検閲される。党の要項に忠実でなかったら、災いあれというわけで、あっという間に口を封じられてしまう。自分の責任において何か押し通そうと試みれば、どれだけ多くの人々が彼の背後にいるかということがまず問われる。30? 書類の一番下に議案がある。600万だって?こういう活動は一体何百万人の人間で構成されているのかということは問題にならない。強い印象を与えるのは数字なのだ。
 政治的党派を公表することは、芸術家のやることとしては、連邦共和国では、とにかく奇妙に見られる。観客に即座に烙印を押されて公に非難されてしまう。私たちの民主主義はまだ月の裏側にある。アメリカでは芸術家の政治参加は普通に行われている。

 「ドイツ人の精神は社会的、政治的に実に無関心だ。こういう領域はドイツ人にとって深いところでなじまない」(トーマス・マン)

 私が熱狂できる政党の名前を言うことはできない。緑の党の存在は、すごくいいし、なければならない新しい風だと思う。その政党がやりたいことが理解されないということがわからない。各政党が同じ目標を掲げるのは有効だと思う。それにしても政党が要求できないことなどありはしない。川が再びきれいになること、そして、空気、あるいは、少なくとも汚染の進行が止まること。現状のままひどく汚染されたままなのか、あるいは、十トンのゴミに、五トンのゴミがちょっと付け加わるのではなく、少しずつ汚染がすくなくなっていくのかということ。しかし、こういうことは楽でない。だから、企業家サイドに寄生する政党が、何でもかんでも約束するが、資金を提供してくれる人たちに反抗する行動はめったにしないということは明白だ。私は基本的にこう思っている。全体主義国家にいれば自分の花が奪われても、自分の花のことだけを気にかけて不平を言うことはできない。だから、前もって活動して、再び生死を賭けた戦いが私たちの国で起こるようなことがないよう、徹底的に阻止しようとしなければならない。
 加えて、最も近い過去のせいで私たちが永遠に自分責め続けているのをそのうちにいつかは終らせる必要がある。私もナチス犯罪者が公平に扱われることに賛成だが、しかし、ドイツ人としては、外国にいるときは、黙っていなければならない・・といつも感じている。私はドイツ人であることに誇りを持っている。だが、国家的な考え方を持つということでは全くない。国家社会主義者になることではない。国民感情が生まれるのは至極当たり前のことだ。スポーツの場合のように、ひたすら好ましいことで、国家的に考えることは単純で、素朴なことだ。
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