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1)ヨッヘン・ロイシュナー氏による序文 [2012年刊:フリッツ・ホフマン著]

p.5
 ペーター・ホフマンとの出会いは1960年代の最後の年、雨の日曜日の午後、アシャフェンブルクのペーターの両親の家でだった。コーヒーとお母さんの手作りケーキが出た!そのころ、私とペーターの弟のフリッツがやっていたロックバンド「Mercy Four」こそが私たちにとって人生の重大事だった。それに対して、他のことは、私たちの職業教育も含めて、二の次だった。だから、そういうことは当時はストップ状態だった。私たちのバンドはアシャフェンブルク地方ではかなり有名で成功していた。その時、私たちは市の劇場でのコンサートに向けて集中的に練習していた。チケットは既に完売だった。フリッツと私はそのことしか頭になかった。

 そして、その日、我らのドラマーの兄であるペーターが、若い妻と一緒にソファに座っていて、フリッツと私にコンサートのことについていろいろと質問した。同時に、ペーターのクラシック音楽に対する情熱、歌の勉強の目的がオペラ歌手を目指すという職業的な成功であることを知った。彼はまだ三十前で、軍隊での最後の年という局面にあって、除隊後に意欲を燃やしていた。私は一目で彼が好きになった。彼はユーモアのセンスにあふれており、すばらしく話し上手だった。あの日の午後、私たちは皆、大いに笑って、とても楽しかったことをよく覚えている。

p.6
 その後、数年、私たちは会うことはなかった。私たちのバンドは解散し、それぞれが、その職業生活においては、別々の道を進んだ。ペーターの夢は早々に実現した。1970年代の中頃には、バイロイトのワーグナー音楽祭で、高い評価を受けた新スターだった。観客もメディアも、競技スポーツ選手の若いテノールが好きになった。

 私はといえば、1974年からフランクフルトのCBSで働くようになり、ペーターのバイロイトの舞台への華々しい登場とほぼ同時期に、国内生産部門を任された。最初の出会いから十年以上後、私たちは再会し、突拍子もない計画を検討し始めた。イニシアチブをとってくれたフリッツに感謝だ。私たちの企てがどのように進んで行ったかは、フリッツがこのすばらしい本の中で、語ってくれるだろう。

 振り返ってみると、私たちは、私たちの思いつきに成功の見込みはないという多くの懐疑論者に囲まれていた。しかし、幸運なことに、彼らは間違っていた。ペーターの最初は無謀と思われた夢が、ドイツの音楽界の歴史において、ひとつの最も輝かしい音楽的成功をもたらしたのだ。音楽界でのほぼ30年の間に、私は数えきれないほどの芸術家や音楽家に出会った。カリスマ的指導者、偉大な才能、信じられないほど天分豊かな、かつ、難しい仕事をする「音楽労働者」、並外れて巨大な自我、厄介で、疲れさせる、うぬぼれ屋、愛すべきだが、時には嫌になるようなはったり屋、才能のかけらもないのに夢を追う人たち、そして、認められた世界的スターたち・・。

p.7
 私の友人であるペーター・ホフマンは、私の思い出の中で特別な場所を占めている。なぜなら、彼のような人に会ったことがないからだ。ペーターは常に目覚めた、成熟した、天分豊かな子ども!だった。好奇心が強く、情熱的で、遊び好きで、直感力と、さらに感動する力がある。いざとなれば、厳密に規律を守り、大いに勤勉に働きながら、次の瞬間には、怠惰な安逸に直ちに身を任せることができた。

 彼は、その人生のあらゆる側面で、生活の中の多くの美しいものと同時に単純なことに対して、子どもの持つ純粋な喜びを感じていた。彼の「本領」は世界の大都市での華やかなショービジネス界よりむしろ自然界にあった。しかし、彼が生涯を通して、心から愛したものは音楽だった。

 彼自身がその音楽の一部かどうかとか、その音楽を他から聴いて体験したかどうかとかは問題ではない。オペラであろうが、他のスタイルの音楽だろうが、関係ない。彼は多種多様な多くの音楽に精通しており、あらゆる状況で、すばらしいサウンドに浸ることができた。私も同じように考えている。私にもあらゆる種類の音楽を受け入れる寛容さがある。だからこそ、私たちの友情と成功した仕事上の関係が長年にわたって、うまくいったのだろう。
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p.9
 私たちに共通点がたくさんあることの思い出としてもっとも良い例は「ロック・クラシック」の仕事開始のためにシェーンロイトを初めて訪れたときのことだ。

 議論が何時間も続いていたとき、ペーターは私をオペラの世界に誘い込んだ。私たちは広い居間の床に座っていた。大きなHi-Fi設備の前でたくさんのLPに囲まれていた。ペーターは私にワーグナーの重要なオペラの筋と人物を説明した。多くの要の部分を私に演じてみせ、とても感動的に一緒に歌ってくれた。私は夢中になった。彼は私の反応に満足していた。

 その後も似たような体験がたくさんあったのだが、この時の感覚が今も非常に懐かしい。その後も私たちは一緒に仕事をしてすばらしい体験をした。ナッシュビルとロサンゼルスで録音した。ロンドンのアビーロードスタジオで共に仕事をした。私たちは仕事で、不滅の音楽的伝説の楽団員や他の仲間たちと交わると同時に、私たちだけの独自の世界を創造したのだった。

 信じられないほどの大成功をおさめても、ペーターの真摯な態度は変わらなかった。彼は一瞬にして私とフリッツと共に次のアルバムのレパートリーについての議論に焦点を合わせて集中し、次の瞬間には、私たちと共に弓矢をつかっての射撃競争に同様の情熱を持って興じることができた。だからこそ、私は彼を高く評価していた。職業や仕事を超えて、兄のように心から愛した。過酷な運命が彼を襲い、彼が情け容赦ない病魔に直面させられたことは、私には今も堪え難い。

p.10
 この本は、フリッツの考えに基づいて、興味深い話や逸話を書いたものだ。ペーター・ホフマンの人生と仕事の一部に対する独自の見方を提供している。この本が書かれなければ、彼の多くのファンに永遠に知られることがないままになっただろう。これは伝記というよりはむしろ、考えられないほどの幸福を体験することを許されながら、人生の終わりにはもの凄く大きな苦しみに耐えねばならなかった偉大な人間のスナップ写真である。ペーターが、この本を読むことができたなら、弟のことを誇りに思うだろう。

 読者の皆さんが私と同じようにこの本を大いに楽しんでくださることを願っている。

ヨッヘン・ロイシュナー

目次
ヨッヘン・ロイシュナーによる序文
はじめに
ロンドン:魔弾の射手
バイロイト:ヴォルフガング・ワーグナー
パルジファル:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ロリオ:ヴィッコ・フォン・ビューロウ
リヒャルト・ワーグナー:映画
シェーンロイト:城館
ペーターと広告
コルシカ:帆走
モスクワ:ローエングリン
ロック・クラシック:大成功
バイロイト:ノートゥング
ゆすり
FCヴァルハラ:サッカー
ドイツ:ツアー
パリ:ジェシー・ノーマン
ニューヨーク:デイヴィッド・ロックフェラー
ボルドー:大地の歌
アリゾナ:タンクヴェルデ牧場
ペーターのボリス:真っ白
ミスター・ソニー:アキオ・モリタ(盛田 昭夫)
ロサンゼルス:キャピトル・スタジオ
ハンブルク:オペラ座の怪人
ナッシュビル&グレイスランド
ナミビア:楽しい旅行
ペーター・ホフマンの部屋
ゲストブックから
表紙と目次

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コメント 4

ななこ

こんばんは
弟氏の本のご紹介及び翻訳ありがとうございます。
突拍子もない計画というのがロッククラシックなのですね。

才能ある3人の出会いから生まれたロッククラシックはジャンルを超えた画期的アルバムであり、結局唯一無二のアルバムだったのではと思います。


ロックバンド「Mercy Four」にはペーターは加わってなかったのですね。
by ななこ (2012-12-19 20:48) 

euridice

ななこさん、いらっしゃいませ。

軍隊に入ると同時にロックはやめたって、伝記にあった通りなんでしょう。弟さんはドラムが専門なんですね。
by euridice (2012-12-21 18:45) 

ペーターのファンです。

こんばんは。
素敵な本をご紹介くださってありがとうございます。

この前書きだけでも胸にしみるものがあります。

by ペーターのファンです。 (2013-01-03 20:43) 

euridice

ペーターのファンです。さん、コメントありがとうございます。

少しずつですけど、読み続けたいと思います。

by euridice (2013-01-08 20:02) 

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