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ワルキューレ1988年 メトロポリタン・オペラ [PH]

ワーグナーの大作「ニーベルングの指環」第二話「ワルキューレ」のジークムントは、ペーター・ホフマンがもっとも頻繁に演じた役です。1974年に二番目の専属劇場だったヴッパータールで初ジークムント。この時すでに大評判となり、このジークムントのためにヴッパータール詣とも言える現象が起こったということです。1976年のバイロイト音楽祭は、ホフマン本人にとって一大転換点でした。1976年にはじまった「ニーベルングの指環」の新演出は、パトリス・シェローとピエール・ブーレーズの当時としては斬新な舞台と演奏を受け入れ難い人々の大反発を買って、大騒動になったものです。1980年にテレビ放送用にビデオ収録され、今はDVDが発売されています。

ニューヨークのメトロポリタン歌劇場では1986年のオットー・シェンクの新演出のジークムントを引き受け、1988年まで断続的に出演しました。そして、1988年3月19日、同演出での「レオニー・リザネク、ジークリンデさようなら公演」がメトロポリタン歌劇場への最後の出演になりました。

同じ1988年には、シェンク演出「ニーベルングの指環」の「ジークフリート」続いて「神々の黄昏」でジークフリートとしてデビューする予定でした。しかし、「ジークフリート」の2月12日のプレミエ直前に、ひどい気管支炎のためキャンセル。「神々の黄昏」も「ジークフリート」の後の方が良いとの判断でキャンセル。このキャンセルは、とにかくホフマンのことを、ポピュラー活動だけが原因かどうかわかりませんが、にがにがしく思っている人たちを大いに喜ばせ、ずいぶんと非難、攻撃されたようです。まさかとてつもない難病を抱えているとは本人も知らぬまま、体調不良が目立つようになり、数年後には、パーキンソン発症へと進んだわけです。そして、結果的に、リザネクのジークリンデさよなら公演がメトロポリタン歌劇場でのラストパフォーマンスとなったというわけでしょう。

ワーグナー:ワルキューレ
ジェイムズ・レヴァイン指揮
オットー・シェンク演出
メトロポリタン歌劇場
リザネク、ジークリンデさよなら公演 
1988年3月19日ラジオ放送

ジークリンデ:レオニー・リザネク
ジークムント:ペーター・ホフマン
フンディング:オーゲ・ハウグラント
ブリュンヒルデ:ヒルデガルト・ベーレンス
ヴォータン:テオ・アダム
フリッカ:ワルトラウト・マイアー

このブログではおなじみのマリア女史は『この非常に熱のこもった感動的なエネルギーのあふれた公演についてオペラインターナショナル誌に批評を書いた』ということで、↓下の文章がその一部です。

『ペーター・ホフマンのジークムントは大成功だった。声楽的にも絶好調だったし、その歌唱の情熱的な抒情性、その朗唱の正確さ、見事な呼吸(ブレス・コントロール)、これらは、ジェームズ・レヴァインの、切れ目のない響きを維持する、ロマンチックなテンポと見事に調和していた。彼の声は、暗めに響き、中音域と低音域は豊かさが際立っていた・・・・  例えば、彼が死を迎える激しい苦痛のうち仰向けに倒れたまま、逃げさっていくジークリンデを、愛に満ちた眼差しで必死に追うホフマンに反応しないでいることは不可能だ』

しかし、彼女によれば、ニューヨークにはホフマン嫌いの評論家も少なくなかったということです。そして、それを証明する批評も容易に見つかります。そういう批評にかかると、『最悪の公演が、リザネクのお陰で、多少は良くなった』となり、『リザネクも万全の調子ではなかったが、ホフマンはもっと悪い。メトロポリタン歌劇場が、ホフマンを使いつづけるのは、劇場の価値を落とすものだ・・』ということになります。ついでに、ヴォータンのアダム、フリッカのW.マイアーも、ブリュンヒルデのベーレンスもワルキューレたちもまとめてけなして、フンディングのみ賞賛。これを書いた評者は、このオットー・シェンク新演出による「ニーベルングの指環」全上演の第一作ワルキューレのプレミエ(1986年9月22日)の数日前にホフマンのジークムントの酷さを非難する記事を物にしたということです。なんでも1980年代半ばに史上最年少で某大新聞社の音楽評論家になったのだとか。今もメトの放送解説者の一人としておなじみらしい。別の評者は、同じメトロポリタン歌劇場の1986年シーズン開幕の「ワルキューレ」について『ペーター・ホフマンは、全く疲れを見せない声でジークムントを演じた。正真正銘のドイツの英雄だった。その本物らしさは、並外れている』と評したそうです。

このラジオ放送録音を聴く限りでは、さすが62歳のリザネクはさすがに若々しくは聞こえないだけでなく、聞き苦しい部分も少なくないですが、それに比べて、ホフマンのほうが酷いとは思えません。最高最善のホフマンではないとは思いますけど・・ 

関連記事:
ワルキューレ メトロポリタン・オペラ2008年
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タグ:P.ホフマン
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コメント 9

keyaki

>なんでも1980年代半ばに史上最年少で某大新聞社の音楽評論家になった
誰ですか?


by keyaki (2008-04-25 17:00) 

euridice

ウィル・クラッチフィールドという人です。
by euridice (2008-04-26 08:24) 

keyaki

ありがとうございます。今は、指揮者もやってるんですね。
批評される側ってことかしら。

歌う予定があったのに実現できなかったのは、非常に残念ですね。




by keyaki (2008-04-26 14:51) 

ななこ

テノールという声質に対して私が何を一番基本に考えるかと言うと、中低音の豊かさ、表現力です。
それがなくてはいくら高音だけをぴたっと出してもつまらないと思います。
マリア女史のおっしゃる抒情性、結局大方の今のワーグナーテノールはこれが決定的にないのですね。

by ななこ (2008-04-27 00:28) 

euridice

keyakiさん
>歌う予定があったのに実現できなかったのは、非常に残念ですね。
ほんとに残念です。ワーグナーの主要作品では、このジークフリート二つと
タンホイザーです。タンホイザーも予定はちゃんとあって、準備済みだったけど、こちらはどうも劇場のほうの都合で公演取りやめになったとか、1986年のどこかのインタビューで言ってました。
by euridice (2008-04-27 08:55) 

euridice

ななこさん
そうですね。大声は必要条件でしかないし、高音は心地良いけど、音を伸ばすのもそうですが、それだけに命を懸けてもらってもうれしくないです。高音部分や音を伸ばす部分とか、音程のチェックが主目的の観客もいるみたいですけど・・

>大方の今のワーグナーテノールはこれが決定的にない
ないと感じます。
by euridice (2008-04-27 09:14) 

ペーターのファンです。

ななこさんに大賛成です。

ペーター・ホフマンは中音から低音域にかけて、力強く表情豊かな、とても魅力的な声でした。
「さまよえるオランダ人」のエリックはその声が生きていて、出番は少ないながらとても気に入っています。

ワーグナーを歌うテノールは、ジークフリートを歌えるか否かで評価が分かれるようですが、私はトリスタンが真髄だと思います。
by ペーターのファンです。 (2008-04-28 21:58) 

euridice

>「さまよえるオランダ人」のエリック
いいですね。私も気にいってます。

>ジークフリート
他の役の中で、性格的に異質だと思います。
ホフマンの場合は、W.ワーグナー氏が伝記の序文で語っている
通りかもしれません。それでも、後回しにした結果、
歌わずに済んでしまったのはやっぱり残念です。

by euridice (2008-04-29 08:01) 

サンフランシスコ人

ジェイムズ・レヴァインの突然のキャンセル! 2009年のメトロポリタン・オペラの「ニーベルングの指環」全上演は、違う指揮者でやるんでしょうか。

by サンフランシスコ人 (2008-07-10 02:20) 

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