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ある女性評論家のホフマン@トリスタン論あるいは讃(4)2幕 [PH]

前の記事、ある女性評論家のホフマン@トリスタン論あるいは讃(3)1幕 のつづきです。
以下、1986年と1987年のバイロイト音楽祭公演ラジオ放送に基づいて、書かれています。歌詞と音楽について多少勘違いではないかと思われる記述もあります。

参考に載せたのは1986年のラジオ放送からの抜粋ですが、音はそれほどいいとは言えないようです。トリスタン:ペーター・ホフマン、イゾルデ:ジャニーヌ・アルトマイヤー、ブランゲーネ(イゾルデの侍女):ワルトラウト・マイアー、メロート(トリスタンの親友):ローベルト・シュンク、マルケ王(トリスタンの伯父):マッティ・サルミネン、バレンボイム指揮
     

 二幕のうっとりするほど美しい音楽、愛の夜Leibesnachtで、ホフマンは申し分なくその義務を果たし、演劇的意味がしっかりと込められた美しい音色を生み出している。

狂おしくも激しいIsolde, Geliebte!(イゾルデ、愛する人!)と共に、舞台に走り出て、この幕のために、声をエネルギーの激しいほとばしりに合わせる。活気に満ちた、無分別な、あからさまな情欲、甘いLiebeswonne ihm lacht(愛の喜びが彼に微笑む)から、Dem tueckische Tage(ねたみ深い昼)に至るO dieses Licht! Wie lang verlosch es nicht!(おお、この光!この光が消えるまでにいったいどれほどを要したことか!)の繊細なエロティシズムまでの広がりの中で、微妙に変化する色合いによって、明らかにされる情欲。
    
O sink hernieder(ああ、降りて来い、愛の夜)の部分におけるホフマンの歌唱は、申し分なく美しい音楽性を示して、比類ない。最弱音で始め、柔らかい音色の確実な流れにのって半分の声mezza voceまで高まっていきながら、途切れるころのない、長いフレーズを保って、歓喜にあふれるSelbst dann bin ich der Welt(そして、私自身こそが世界だ)でクライマックスに達する。
彼のso stuerben wir um ungetrennt(そして、私たちは共に死のう)は、弱音に満たされ、暗い響きに彩られ、軽々とした最高音はきらびやかで、催眠術にかけられたように、魅惑的だ。ホフマンは、その力を示す瞬間に向かってのびやかに進むと、抑制していた力を誇示し、何とも美しく、響き渡るEwig!(永遠に!)で締めくくる。
 この幕の終わりの部分の扱い方は、深い感動を呼ぶ。ホフマンが、その独白、Ah Koenig(ああ、王よ)によって、伝えることができる、威厳、優しさ、良心の呵責、超越感などは、まさに彼の演奏を特徴づける。彼は、あたかも、あの世から響いてくるような、ベールのかかったような声の弱音で歌い始める。まるで、彼の世界の基盤が足下で崩れ、友情と名誉に対する裏切りの支離滅裂な言い訳をつぶやくことしかできないかのように、半分の声mezza voceで続ける。トリスタンのマルケ王に対するうそ偽りのない忠誠心が、ホフマンの演奏では、はっきりとわかる。しかし、彼はまた、この独白をこの役の二度目の転換点を際立たせるために利用する。ホフマンは、その歌を壮大な挽歌に組み立てていくとき(これこそ、ワーグナーがシュノールのトリスタンに関して、もっとも賞賛した性質である)、罪悪感から自由になる。不朽不滅の愛の偉大さと悲劇的ジレンマの崇高さが、それ以外の想いを無意味なものとして消し去る。

彼は、その愛の大きさを物語る、涙にぬれたような音色で、ob sie ihm folge?(彼女は彼に従うか)と、イゾルデの誠意を問う。弔いの陰うつさと奇妙にうっとりとさせる美しさで、Wunderreich der Nacht(夜の国)への旅を語る。(広範囲にわたる弱音と表現力豊かなレガートで)次第に威厳を増し、死の決意に向かう恍惚感のうちに高揚しつつ、 dem Land das Tristan meint(トリスタンの思う国)の魅惑的なイメージを紡ぎ出す。

何ものをも超越する力に鼓舞されて、心の底にうずまく失望感に満ちた怒りをあらわに、彼の純粋な思いに異議を唱えるメロートに向き直る。Wer wagt sein Leben an meiner?(私と命のやりとりをするのはだれだ)、彼は光沢のある鋼のような音色で叫ぶ。

mein Freund war er(彼は私の友だった)は、苦々しいさげすみの気持ちと、弱々しい非難に満たされる。自分の犯した罪に対して、自己正当化を図るとき、トリスタンの血は煮えたぎっている。den Koenig den ich verriet(私は王を裏切った)は、自分の裏切りに対する恐れでいっぱいになって、あえぐように歌われる。(メロート:ローベルト・シュンク)

ホフマンのトリスタンは、不誠実だった友への憎しみをみなぎらせて、Weh dir,Melot!(行くぞ、メロート) と歯ぎしりするように怒鳴ると、敵の刃に我が身を投げ出す。

 ホフマンは二幕で、トリスタンという人物の心理的な側面をより深く洞察して見せる。はじめは、二種類の愛が完璧に表現されるのを見る。私たちは、苦しいほどの恍惚感の内に描き出される姿に、情欲に身をまかせすべてを焼き尽くすようなエロティシズムと理性的で力強い純粋な愛、この二つの愛の姿を、体験し、彼が選ばざるをえなかった悲劇を共有する。(つづく)


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コメント 1

佐々木真樹

音楽のファイルは敢えてクリックしてません。
(麻薬兼媚薬は丸飲みしたいのです。)
文字を追っているだけで十二分に声が甦ってきて,ほんとホフマンは・・・美しい!
by 佐々木真樹 (2005-11-19 12:33) 

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