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蝶々夫人@新国立劇場 [劇場通い]

蝶々夫人は二度目。前回は1998年。舞台はごく普通。日本家屋と庭、竹製の鳥籠が庭先に沢山。一見、歌舞伎の舞台。ダブルキャストで、私は松本美和子さん。もうひとりの林康子さんはどこかで「ゴジラが襖を押し倒し・・・」なんて言われてました。松本さんはなかなか可憐な印象でしたが、やはり大御所!って感じは否めませんでした。とりあえず満足の舞台ながら、涙なんて一滴も出ませんでしたが、今回は違いました。
今回も新演出。すっきりと新鮮な舞台。象徴的な舞台で、日本ということは、障子と、最小限の小物のうち、丸い小さな朱塗りの鏡台だけ。無駄のない構成美で、登場人物に集中できます。

ピンカートンの出だしのがなり振りには唖然でしたが、蝶々夫人登場の美しさに目も心も奪われました。これほど合唱団の動きが自然で美しかったのは、はじめて。左端の階段を降りてくるのですが、着物の色合い、着付け、小さく自然にまとめた日本髪、そして登場人物の配置と動き、その影、それらが見事に調和して絵になっていました。

二幕は、完全に思考停止で、胸がいっぱい、涙がこみあげました。めったにないことです。プッチーニの音楽が、というより、蝶々さんの声が、涙腺を刺激するようです。生の声がわきおこす不思議な感覚。録音だけでは、どんなに胸がいっぱいになったとしても涙腺までは刺激しないような気がしますし、映像は、同様の現象が起こるものがありますが、やはり微妙に違うような・・・ より直接的、まるで声に抱かれてしまうというか・・・ 皮膚感覚のようなものがあるというか・・・ 要するにこれが声の威力というものなのでしょう。

これは、視覚的なものが伴うからこその側面もあると思います。見るからに若々しく瑞々しい蝶々さん、すらりとした立ち姿が美しいのです。そして、立ったり座ったりの静止状態の美しさに加えて、動きも美しい。動作がいちいち決まっていて、無駄がない。さらに、顔の表情、微妙な表情の変化が、はっきりと伝わってきます。スズキも同様。相当前の席だったのですが、おそらく後ろまで、二人の放つ魅力、存在感は伝わっていたのではないでしょうか。

子どももとってもよかった。フィナーレ、障子を開けて、とことこと出てきてしまい、母親の自害を目の当たりにして、訳がわからないまま、茫然として立ち尽くして、幕ですが、ここでまたこみあげるものが・・ひとりだったら、大声で泣きたいところが、いっぱいでした。

演出:栗山民也 蝶々夫人: 大村博美、  子ども/ ピンカートン : ヒュー・スミス/ スズキ: 中杉知子/ シャープレス : クラウディオ・オテッリ/ ゴロー: 大野光彦/ ボンゾ: 志村文彦、 神官:大森一英/ ヤマドリ:工藤 博、 ケート:前田祐佳/ 指揮:レナート・パルンボ/東京フィルハーモニー交響楽団/
※ ※ ※
最悪のお昼寝時間の公演にもかかわらず、全然眠くならずに最後まで、涙いっぱいで鑑賞しました。もう蝶々さんの声があのメロディーで聞こえて来るだけで、思考停止で、ひたすら涙・・・  年のせいで、涙もろくなっているのかもしれませんけど・・・  

   新国立劇場で「蝶々夫人」を観るのは1998年の公演以来二度目です。あのときは、ごく普通、いわゆる写実的な舞台装置でした。今回は、日本家屋も庭もなく、小道具も最小限でしたが、かえって、すっきりとした構成美がいい感じでした。こういう舞台は、演奏さえよければ、人物と音楽に集中できるような気がして、私の好みです。

   一幕のはじめの、ピンカートンとゴロー、そして、シャープレス登場のあたりでは、お腹の出た巨体の、ひたすら、がなりたてるだけといったピンカートンに唖然としましたが、蝶々さん登場の場面の美しさに目も心も奪われました。合唱団が登場すると、たいてはそこはかとない違和感に、ちょっと恥ずかしいような気分になることが多いのですが、きょうの女声合唱団、ほんとに美しかった。実に上品な色合いの着物、着付けもぴしっと決まって美しく、小振りにまとめた日本髪もよく似合い、動きもすばらしく自然で美しい。日本的に動けば、こんなに素敵なのかとほれぼれしました。その上、美人が多い! 蝶々さんは、もちろん衣装も白無垢で合唱団とは違うのですが、それでなくても、中でもひときわ背が高く、すらりと立ち姿も美しく、ヒロインだということが一見してわかります。

   一幕は、がさつなピンカートンのせいで、一緒に歌う蝶々さんがお気の毒って感じでした。でも、軽薄なヤンキーらしいピンカートンではありました。

   二幕は、もともと蝶々さんの独壇場ですが、ほんとにすばらしかった。美しい上に、立ち姿、歩く姿がすっきりと決まって、演技も巧いし、絶叫調のキンキンしたところが皆無、耳に心地よく響く声、歌は、もう感動的。1998年の公演では全然わいてもこなかったのに、涙があふれるのをどうすることもできませんでした。

   スズキも、姿も動きも歌もとてもよかったです。蝶々さんもスズキも、顔の微妙な表情が客席に伝わってくるのです。相当前の席ではありましたが、おそらく遠い席まで、その表情は伝わったと思います。舞台で存在感を示すことのできる歌手なのだと思います。

   蝶々さんの子どもも良かったです。最後に奥の障子を開けて、とことこと出てきて、母親の自害を目の当たりにしたところで幕となりますが、その子の訳がわからないながら、ちょっとぼう然とした様子に、また涙がこみあげました。

   二幕のピンカートンは、歌も大分落ち着いてきたし、一幕は白い軍服だったのが、二幕は濃紺で、こちらのほうがはるかに似合って、お腹も目立たず、蝶々さんの深い思いに、反省する様子が真摯でなかなかよかったです。シャープレスも役に合って、声も歌も心地よかったです。

  とにかく、頭はからっぽの思考停止状態で、すっかり音楽に身を任せて、悲しいからか、何なのかもわからず、胸がいっぱいでそれが涙になってこみ上げる。すっかりプッチーニにしてやられた二幕でした。


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コメント 9

keyaki

私は、1幕の「幸せにして下さいね」と正座して、三つ指ついて、丁寧におじぎをした時から、こみあげるものがありました。
日本人歌手なら誰でも蝶々さんになれるかというとこれがまた難しいですよね。今回の大村博美さんはよかったです。容姿も清潔な美しさが際立っていて、立ち居振る舞いも美しく決まっていました。この辺は日本人演出家ならではなんでしょうね。
私も、子供が出て来てからは、もぉーーー必死で涙をこらえて最後の場面で堪えきれずでしたね。
最後の場面、あそこに子供を出すのはいかがなものか、みたいな難しい議論をされている方もいますが、あれは、とても自然な演出だと思いました。私が母親だからそう思うのかもしれませんけど。
ルルの時、かっこいい切り裂きジャックのクラウディオ・オテッリが、シャープレスでしたが、紳士で、蝶々さんのことを本当に心配している様子が、伝わって来て素敵でした。
ピンカートン役の歌手の側では、小さく見えましたね。
by keyaki (2005-07-07 19:19) 

euridice

ほんとにいい公演でしたね。
頭はからっぽでひたすら感情に身をまかすのみというところでした。
by euridice (2005-07-08 23:54) 

なつ

euridiceさん、TBありがとうございます。TB返しさせて頂きました。
再演も、とても良質の上演でした。

私もフィナーレの演出に共感できました。
照明に浮かび上がっていた、倒れた母親の前に立ち尽くしている子供の姿、目に焼きつきついています。
by なつ (2007-03-31 23:37) 

サンフランシスコ人

「蝶々夫人」が、アメリカで現在一番人気があります。

by サンフランシスコ人 (2008-05-09 09:41) 

euridice

日本でも人気みたいです。
私も好きです。
岩波新書の「異文化理解」(2001年)には
「西欧人から見た東洋女性のイメージにぴったりと合う調子のいい話、オリエンタリズムのあらわれ」として批判したうえ、
「国辱的・・」なんて書かれてますけどね。

by euridice (2008-05-10 23:24) 

サンフランシスコ人

サンフランシスコ歌劇の初代総監督は、「ある晴れた日に」のアリアを指揮している時に倒れて死にました。
by サンフランシスコ人 (2008-05-11 06:16) 

euridice

劇的ですね。もちろん男性でしょ?
by euridice (2008-05-11 07:30) 

サンフランシスコ人

男性です。
by サンフランシスコ人 (2008-05-14 06:02) 

サンフランシスコ人

シンシナティ歌劇場が今週「蝶々夫人」を公演しているのですが、重松 みかの登場です。

http://news.enquirer.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20080612/ENT/80612009/1025/LIFE

"As the maid Suzuki, Mika Shigematsu was genuine and sang warmly."
by サンフランシスコ人 (2008-06-13 11:13) 

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