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ワーグナー作曲 オペラ「パルジファル」 [PH]

このワーグナーの最後のオペラ、キリスト教世界の「聖杯伝説」と「人間の成長」が重要な要素でしょう。このオペラの成立や、物語の源、背景について、研究したり調べたりしたわけではありません。あくまでも私の楽しみの一環として、たまたま読んだもの、見たものからの知識と、映像、録音などから想像しているにすぎませんが、私なりに、簡単に紹介したいと思います。
Parsifalプラシド・ドミンゴが案内役を務めている「聖杯を求めて」というDVDは、インディ・ジョーンズや、モンテパイソン、ベルイマンの映画「第七の封印」などを交えながら、なかなかおもしろくこのオペラについて解説してあります。 外国版DVDしかないのが不便ですが、テレビで放送されたこともあります。

エクスカリバージョン・ブアマン 監督の映画「エクスカリバー」はこのオペラとは直接関係はないけれど、野生児パルジファルは登場し、ついに聖杯を見つけます。そして、このオペラのメロディーが効果的につかわれています。関連記事

聖杯とは、キリストの最後の晩餐で使われた器とも、十字架上のキリストの血を受けた器とも伝えられています。この伝説は、ヨーロッパ人の大航海への強い動機のひとつです。聖杯と並んで、十字架上のキリストの生死確認のために、その脇腹を刺した槍が聖槍で、このオペラにも登場します。もうひとつはキリストの亡骸を包んだ聖骸布があるようです。キリスト教徒の聖遺物への執着は相当なもののようで、キリストのみならず、諸聖人の持ち物や身体の一部などが崇敬の対象になっています。

さて、この物語、スペインのどこかにあるというモンサルヴァートの地、聖杯騎士団が、聖杯と聖槍を安置し、守護しています。純潔、従順、清貧の三つが、神に仕える者の守るべき重要な誓いです。この騎士団への参加を願い、拒絶された一人の男、クリングゾール。彼は屈辱に怒り心頭。魔法の花園を出現させて、魔法の花たち、つまり若くて美しい女たち、花の乙女をつかって、聖杯の騎士たちを誘惑し、虜にしています。時の聖杯王アンフォルタスも、騎士たちを奪還しに乗り込んで、ミイラとりがミイラに。さすがに花の乙女に陥落したわけではなく、キリストを嘲笑したかどで、永遠に苦悩の人生を続けなければならぬ身となった絶世の美女クンドリーの手に落ち、油断したところを、聖槍を奪われ、それで刺されるという失態を演じます。かろうじて逃げ帰ったものの、聖槍を失い、その傷は癒えることなく、王を苛み続けています。王は聖杯顕示を執り行うという義務も怠りがちになっています。聖杯騎士たちは、その聖杯顕示によって、力を得ているので、王に義務の遂行をひたすら要求します。聖なる愚者、すなわち「同情によって知を得る清らかな愚か者」がいつかやってきて、この事態を打開してくれるという予言があり、長老騎士のグルネマンツはそれを待ち続けています。美女クンドリーは、クリングゾールの魔法の支配下にないときは、聖杯騎士団のために、世界中を巡って、効きそうな薬を探してくるなどの奉仕活動をしています。

そんな危機的状況の聖杯城にひとりの無知で粗野な美しい少年が紛れ込んできます。殺生禁止の土地で、白鳥を射たものですから、大騒ぎになり、捕まってグルネマンツの前に連れてこられます。まさにこの少年こそ、予言の若者だったのですが、グルネマンツはそれを見抜けません。ただのばかだと言うわけで追い出してしまいます。

追い出された少年は、クリングゾールの魔法の花園に迷い込み、売られたけんかは当然買って、花の乙女に血迷って滞在中の堕落騎士たちをやっつけ、花の乙女たちにもみくちゃにされ、逃げ出そうとしますが、ここで、美女クンドリーに名前を呼ばれ、立ち止まります。お母さんに呼ばれていた名前を思い出したのです。美女クンドリーは、母親路線で少年を誘惑にかかります。そして、最初のキス。これで少年パルジファル、劇的に成長を遂げ、聖杯城で見たものの意味と、自分の運命、つまり聖杯王になるという運命を悟ってしまいます。美女クンドリーの助太刀を求める叫び声に、クリングゾールはパルジファルめがけて聖槍を投げつけますが、パルジファルがその槍をやすやすと素手で受け止め、振り回すと、魔法の花園もクリングゾールの城も崩壊して消え去ります。

聖槍を手にパルジファルは、聖杯城を目指しますが、時にあらずというわけで、道に迷い、なかなか目的地につくことができません。そして、世界を彷徨した末、ある年の聖金曜日、折しも先王の葬儀が行われている聖杯城の地に辿り着きます。苦難のうちにすっかり成長した青年を認めたグルネマンツは、彼を、未だ傷がいえず、苦しみ、死を願うばかりの聖杯王アンフォルタスのもとに導きます。聖杯顕示式も途絶え、騎士たちはすっかり意気消沈、退廃のムードが広がり、苦しむ王に勤めを果たせと迫るばかり。そこに現れたパルジファルが、聖槍で傷に触れると、傷は閉じ、王は平安を取り戻し、王に変わってパルジファルが聖杯を顕示し、幕となります。美女クンドリーはどうなったかって。パルジファルは、王のもとに行く前に、最初の勤めとして、彼女に洗礼をさずけますから、きっと救われたのでしょう。

こういう話が、荘厳で実に美しい音楽に乗ってゆっくりと展開していくのがこのオペラです。その流れに身を任すことができれば、至福の時となり、長さなど感じることはないほどです。

     
ジーバーベルク監督、映画「パルジファル」フィナーレ


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coyote

私がこのオペラでどうしても注目してしまうのは、クンドリーの苦悩です。
死ぬ事もできず永遠に生きなければならない。(まるで「オランダ人」のようですね)
クリングゾルの支配下にいるときには、いやでも彼の命令に従って、男を誘惑しなければならない。(この2人のやりとり、ちょっとビックリしますよね)
クリングゾルの元で犯した罪を償うかのように、聖杯騎士団の元にいる時には打って変わって男性の気を引かない身なりになり、グルネマンツ以外の騎士たちに悪く言われながらも、ひたすら奉仕活動をしている。
奉仕活動をしている時の彼女は、おそらく少しは救われた気分になっているのかもしれませんが、クリングゾルに呼び出されると、聖杯騎士団の元にいる彼女の身体は泥のように眠り、実体(?)はクリングゾルの元で、また男を誘惑する。
彼女のキスでパルジファルが劇的に成長し、クンドリーがパルジファルに救いを求める場面、とても哀れだし、聴く人の哀れを誘うような歌唱がいいな、と思います。
by coyote (2005-07-08 18:18) 

euridice

ジーバーベルクの映画では、最後、クンドリーは盛装し冠をつけて、アンフォルタスと並んで、横たわります。このシーン、とても美しくて、安息の気分に満ちています。
by euridice (2005-07-09 00:22) 

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