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出会い〜ローエングリン(3) [PH]

この物語、源をたどれば、ヨーロッパの古いケルト神話にさかのぼることができるようです。ローエングリンは、アーサー王伝説にも登場するパルジファルの息子です。ワーグナーのオペラは、パルジファルが探し求めた聖杯の「聖杯伝説」と絶体絶命の危機に際してどこからともなく白鳥の曳く小船に乗った騎士が現われて悪者をやっつけ、助けてくれるという「白鳥の騎士伝説」を中心に、ヨーロッパ中世の歴史や慣習、雰囲気を巧みに織り込んでいます。さらには、孤高の芸術家、あるいは男性の心理、若い女性の憧れと愛する男性に対する感情など、非常に微妙に揺れ動く人間心理の側面も複雑に絡められ、単なるおとぎ話を超えたものになっています。

時代は10世紀頃、場所は今のベルギーの一地方。ブラバント公国は領主が亡くなり、跡継ぎが行方不明という最悪の事態に直面しています。折しも、ドイツ国王が東方のフン族との戦いのため徴兵に訪れます。そこで、領主の娘エルザの元婚約者でもあるテルラムント伯爵は、跡継ぎである弟殺しの張本人として、エルザを告発し、伯爵とエルザの代理騎士の一騎打ちによる神明裁判が行われることになります。エルザは夢で見た騎士を代理騎士に指名、呼び出しが行われます。騎士はなかなか現れないのですが、エルザの祈りに応えて、一羽の白鳥のひく小舟に乗って、ついに出現します。騎士は、代理騎士を務め、勝利の後はエルザと結婚することを約束しますが、条件はすなわち「禁問」、「名前と素性を問うなかれ」です。エルザは騎士によって救われ、二人は結婚します。しかし、エルザは「禁問の誓い」を守れず、騎士は去っていきます。

歴史面で興味深いのは、ひとつは、キリスト教の浸透、興隆と土着信仰とのせめぎ合いが見られることです。原始キリスト教は、貧しい被抑圧階層を中心に広まっていったような印象もあるのですが、いつのころからか、かなり初期からのようですが、まず布教地の権力と結びつくことによってその勢力を拡大していきます。しかし、頑固に拒否を貫く者もあったわけで、オルトルートはその最後の一人というわけでしょう。でも、彼女がテルラムントと結婚し、それが問題なく受け入れられているところを見るとまだまだキリスト教の完全勝利でもなかったのかもしれません。

こういう方向からオルトルートを見ると、彼女の行動は小気味良さ、潔ささえ感じられます。エルザを誘惑して、してやったりと、「この高慢を逆手にとってこの女の誠意と闘ってやろう」という台詞には共感してしまいます。キリスト教徒の偽善を告発しているようです。改宗を勧めるエルザを傲慢と認識できるオルトルートにとっても惹かれます。すっかりキリスト教化されているはずのテルラムントもまだまだ魔法やまじないとは縁が切れない日和見なのもおもしろいです。だからこそ、オルトルートにつけこまれたのでしょうけど。

もうひとつ、おもしろいのは、ブラバント貴族たちの厭戦気分です。このオペラも第三帝国時代に戦意高揚に利用されたとか、ヒットラーの一番好んだオペラだとかで、全体主義的であるといった非難の対象になったりもするようなので、この厭戦気分には意外感があります。「まだ侵略されてもいないのに、何故出兵しなければならないのか」とか「あいつ(ローエングリン)は我々を戦場に駆り立てようとしているのだ」とか、一部貴族は不満を口にします。もちろん大きな声では言えないところが、現代を含めて、いつの時代にも共通する状況を示しています。

この場合、非難される好戦的で冷厳としたローエングリン、キリスト教の正義を体現する迷いのないローエングリン、この雰囲気をP.ホフマンのローエングリン、特にバイロイトの映像のは、まさに体現しているように感じます。

ローエングリンという存在についても、様々なとらえ方が可能で、いろいろな文章も書かれているようです。ひとつは、ワーグナー自身、すなわち孤高の芸術家、誰にも理解され得ない芸術家の象徴と考えるもののようです。何も問うな、ひたすら信じて従い愛してほしいという、芸術家に限らず、男性の心理を具現したものと拡大解釈することも可能でしょう。

もうひとつは、危急存亡のときに突如現れる救い主、すなわち、P.ホフマンも伝記の中で語っている、スーパーマン、日本風に言えば、鞍馬天狗か月光仮面、それともウルトラマン、絶体絶命の時に突如現れるお助けマン。全人類の夢。ローエングリンの、その出現は、映画『スーパーマン』の シーンを彷彿させる感じが何とも言えません。あそこは、絶対こういう期待感をぎりぎりまで高めて、感激させてもらいたいものです。 そして、さらに登場した騎士は、全女性の心の憧れ、ホフマンの伝記の1979年の バイロイト・ローエングリンの「辛口批評」のように「エルザって頭悪すぎ!私だっ たら、絶対に名前を聞いたりしない!」と言える、「白馬の王子さま」であって欲し いものです。 P.ホフマンはまさにそういうローエングリンだったというのは、映像でもわかると思います。

また、P.ホフマンは、相手を愛する気持ち、必要とする気持ち、これは、エルザだけのものではなく、むしろ、ローエングリンのほうにこそ、より強く存在するということを、はっきりと感じさせてくれるローエングリンでもあります。

  

二幕後半、オルトルートを追い払う彼、エルザを唆すテルラムント夫妻とエルザの間に割って入る彼、エルザの心を必死で問いただす彼、エルザを許し、励まし、教会へ向かう彼。その焦りと希望の間で微妙に揺れ動く心、エルザとの幸福を失いたくないという激しい思いがひしひしと伝わってきます。この時、ローエングリンは、もはや、迷いのない戦士でも完全無欠のキリスト教徒でもなく、ひたすら愛するものを得て、人間らしい生活をしたいと望む、危ういほど壊れやすい心を持った一人の人間です。これは三幕の破局の瞬間まで維持されます。

三幕の寝室の場では、彼に本来的に内包される身勝手さ、愛する女性の心の襞を読むこと、思いやることのできない本質が、エルザを追いつめていくことに気づくことのない間抜けさも露呈されます。

そして、裏切られたとの思いと、まさに手に入りかけた幸福を失った絶望感に、怒りをあらわにし、エルザを冷酷に追及する様子は、恐ろしいほどです。自己の立派さを披瀝することで、怒りと絶望感から、立ち直ろうとするのが、あの「名乗りの歌」のようです。

白鳥を迎えて、やっと我に返ったかのように、エルザへの真実の愛と、優しさを取り戻し、彼女に駆け寄り、素直に心情を吐露する場面には、ほんとうに胸が熱くなり、ローエングリンに対しても、心から同情する気持ちになります。そして、この物語の本質は人間の心の悲劇にあるように思えます。

  

以上、P.ホフマンの二つのローエングリンを視聴しての感想です。これは、視覚を伴えばより微妙なところまで伝わってきますが、歌唱によっても充分に表現されており、録音だけでも充分に感じることができます。P.ホフマンの演技は、決して大げさなところはなく、むしろ非常に静的なものです。それでいて、そこにいるのは確かにローエングリンであって、P.ホフマンという名のオペラ歌手ではありません。

おまけ:
1)2幕後半、エルザが聖堂へ向かう場面
2)3幕前奏曲の後、まごころこめて導かれ(婚礼の合唱)

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ヴァラリン

>キリスト教の浸透、興隆と土着信仰とのせめぎ合いが見られることです。

以前『小さな音楽家』さんのお宅でも話題に上りましたよね。
『物語 ドイツの歴史』(阿部謹也著)によると、ドイツ語圏のキリスト改宗にはかなり時間を要したようですね。
グリム童話などにも見られる魔女伝説が語り継がれてきたのも 、そういう下地があったからではないでしょうか? そういった点からも、この時代はまだキリスト教>異教徒という力関係では計れない『何か』が残っていたのかもしれませんね。

オルトルートはまさにその『魔女』ですし、テルラムントも彼女が異教徒だと知って結婚した点は大変興味深いところです(^^;

ローエングリン役の歌手に求めたいのは、静的な動きです。
特に『名乗りの歌』では、腰が据わった、体の線がブレないことは基本中の基本だと思うのですが、なかなか難しいのでしょうね。
ホフマンはその点だけをとっても、理想的だと思います。

エルザはですねー、実は割と好きなキャラです。単なる能天気な女性・・とくくるには、ちょっと勿体無いような気もするんですね。
でも、オルトルートは『ウダツの上がらない夫を叱咤激励する、妻の鑑かも~~』だと思います・・^^;
by ヴァラリン (2005-05-19 11:19) 

euridice

ここのとこ、こればっかり聴いてます.......が、飽きません......
同時鑑賞、椿姫です^^; (食い合わせってことないみたい^^;)

ヴァラリンさん、
>ホフマンはその点だけをとっても、理想的
ですよね(^。^
声だけ聴いてても、気持ちがいいです。

さて、エルザですが
>単なる能天気な女性・・・
ってことはないと思います。やっぱりある意味、究極の女性というか、真に女性らしい女性でしょう。非常に無防備なのは、だからこそという面があって、欠点とは言えないと思います。

>妻の鑑
オルトルートって、完全自立タイプじゃない?(尻上がりのイントネーションでお願いします^o^ )/~~~)
夫は手段、良くて同志というところ^^;
by euridice (2005-05-19 23:40) 

TARO

>ウダツの上がらない夫を叱咤激励する、妻の鑑

突っ込むのは遠慮しておきます・・・ 
by TARO (2005-05-19 23:52) 

おさかな♪

euridiceさんの素晴らしい解説と綺麗な絵に、ホントにオペラを観ている気分になりました。
>相手を愛する気持ち、必要とする気持ち、・・・むしろ、ローエングリンのほうにこそ、より強く存在するということを・・・
>この物語の本質は人間の心の悲劇にあるように思えます
・・・切ないですね。。。
by おさかな♪ (2005-05-20 09:51) 

ユルシュール

えうりでぃちぇさん、分かりやすくかつ細やかな解説とこの作品の魅力についてのご説明、ありがとうございます!

実は昨日、音楽資料館で’82年バイロイトの『ローエングリン』第一幕を観てきたのです。ゲッツ・フリードリッヒの演出は非常に美しく、ローエングリン登場のシーンの日蝕のような表現には心奪われました。
私はローエングリンというのは『八犬伝』の犬江親兵衛みたいなもので(ちょっと語弊があるかもしれませんが)、現実世界や人間たちの思惑を超越した存在であり、ある意味非人間的な存在だと思っていたのですが、ホフマンのローエングリンは美しさ・力強さと同時に非常に繊細な雰囲気も漂わせていて、はっとさせられました。初めからすでに、エルザが禁問を発してしまうだろうことをうすうす予感しているかのような不安が感じられたのです。彼のたいへんソフトな声と歌いまわしからもそれが伝わってきました。続きがたいへん楽しみです。

オルトルートは同性からみたらとてもかっこいいですよね!「完全自立タイプ」、確かに!
実は私がこの作品を鑑賞する時って、白のカップル(ローエングリンとエルザ)の側よりも、黒のカップル(オルトルートとフリードリッヒ)の側に立って観賞してしまうのです。もっとも、白対黒といった単純な二項対立にとどまっていない(あるいは、複数の二項対立が重なっている)ところにこの作品の面白さがあるともいえますが。
by ユルシュール (2005-05-20 10:26) 

YUKI

オペラは神話的な物が題材と言うか、テーマになったものが多いですよねぇ。
「ローエン・グリン」もそうだし、ワーグナーの楽劇って舞台だけでなく映画になったら凄く良いだろうなぁ・・・とも感じています。
ホフマンのローエン・グリン、本当に王子様・・・って感じで素敵ですよねぇ。(^_^)
by YUKI (2005-05-20 10:55) 

Cecilia

TBありがとうございます!
読み応えのあるすごい記事ですね!
キリスト教と土着信仰・・・という点でもかなり興味があります。
これは是非通して見なければ!
昨日は40年代、50年代の古い録音ばかり聴いていたので、こちらの音声クリップの演奏はとても新しく感じました。

by Cecilia (2008-04-09 14:06) 

euridice

Ceciliaさん、コメントありがとうございます。
はじめの大きい画像にHMVのDVDページをリンクしてあります。
そこに婚礼の合唱のビデオクリップがあります。
小さいし、ほんのちょっとですけど。

by euridice (2008-04-09 22:39) 

降龍十八掌

まだ、ローエングリンの話の細かい筋書きと最後の結末がわからないのですが、燃えろアーサー白馬の王子は、白鳥の王子から題名をつけたのかもしれないと思いました。

なぜ、名前と素性をきいてはいけないのか?その理由が知りたいと思います。日本の古事記などでも、同じような話は多いです。
by 降龍十八掌 (2008-04-15 22:14) 

euridice

降龍十八掌さん、コメントありがとうございます。
>名前と素性をきいてはいけない
昔話にけっこうありますね。
名前(=素性)を知られると、特殊な力が失われるようですね。
本名を隠すというのは、たぶん多くの民族で古来、
一般的にもあったと思います。
by euridice (2008-04-16 06:22) 

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