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「オペラ歌手の品定め」の仕方 [PH]

読んでいるブログ数カ所、keyakiのメモ、メモ.........、TARO'S CAFE、Valenciennes Tagebuchで、「オペラ歌手について書く人たち」つまり、いわゆる音楽評論家というものが話題になってます。手元に全ての資料がそろっているわけではないので、記憶に頼る部分もありますが、1980年9月30日発行の「レコード芸術別冊 オペラのすべて」という本が見つかったので、これを中心にP.ホフマンがどう書かれて来たか、あるいは書かれなかったかを、ちょっと見てみます。

主として新しい歌手品定め(転機を迎えたドイツ・オペラ界、小粒だがレベルは高い)といった堀内修氏と黒田恭一氏の対談。P.ホフマンに関して、非常に慎重な用心深い態度が明白です。

堀内「今挙げた名前の中ではペーター・ホフマンがよさそうだ、といったのですが、彼にしても決して卓越した存在ではありません。唯一無二のジークフリートやトリスタンになれるかというと、やはりヴィントガッセンのような存在にはなれないと思うのです。ルネ・コロだって悪くないし、ジークフリート・イェルザレムだって声としてはすばらしいものを持っています。」

また、オペラ歌手WHO'S WHOという頁。コロ、イェルザレムは載っていますが、ホフマンは載っていません。

よく見ると、表紙のパルジファルはイェルザレムのようです。ローエングリンは一幕のはじめのほうですね。中の写真は、ホフマン&アームストロングですが。中のパルジファルは、ホフマンとユンクだと思います。シェローのリングの写真には、コロやトーマスが確認できます。

ショルティの初のデジタル録音「フィデリオ」に関する記事があり、そこでは、歌手も期待され、100%肯定的に「絶妙の独唱者を得た」などと書かれています。カラヤンの「パルジファル」録音予定もあります。これも、どちらもP.ホフマンが主役級で参加しています。これは無署名記事です。

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同じころの「レコード芸術」、シェロー&ブーレーズの「リング」のLPに関する座談会では、P.ホフマンは完全に無視されています。ちなみに、1980年のバイロイト「リング」のLPも1979年のフィデリオのLPもP.ホフマンの紹介文は、誰の事?と思うほど、間違いだらけだったと記憶してます。

1980年代の前半になると、CD評など、さすがに評価されているものが多いですが、1990年に入るころには、批判が多くなります。例えば、上記「フィデリオ」の再発売CD評「80年代後半に声のフォームを崩す事になるがすでにその兆候がみられる」とか、カラヤンの「パルジファル」に「ロックの悪影響が見られる」などと書かれます。

1990年代が進むと共に、批判どころか、堀内氏のごとく生活態度、人格まで非難して当たり前、ほめたりしたら、沽券にかかわるといった雰囲気。関連記事

オペラと40人のスターたち―歌手・指揮者・演出家、スターで愉しむオペラの目録
2000年に入る頃には再び完全無視。新刊本からは排除。しかし、堀内氏は2004年の新刊のルネ・コロの項で、わざわざホフマンを中傷しています。関連記事

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堀内、黒田両氏は、ホフマンを評価しすぎなかったことを、1980年のレコード芸術別冊編集者は、ホフマンではなく、イェルザレムを歌手紹介に載せたことを、先見の明があったと、満足していることでしょうけど、私は彼らはちょっと変わった感じの新人に対して異常に用心深く、臆病だっただけだと思います。

良い指揮者、演出家のおかげで、実力以上の力を出す者もあるから気をつけるべきだとか、彗星のように昇ってあっという間に消えた歌手なんて文章もどこかで読みました。だれとは言ってませんけど、ホフマンのことかしら。

ちなみに、上記別冊の対談には、keyakiさんのブログの記事と同じことが、カタリーナ・リゲンツァについても書かれています。「とうとうニルソンの後継者にはなれなかった」「○○は××の後継者になれなかった。期待はずれだった」というのは音楽ジャーナリストの常套句と思われます。

とにかく、ジャーナリストの期待を読み、先輩に倣い、定石通りに、道を踏み外す事なく、レパートリーを限定し、○○一筋にキャリアを進め、目立つのもそこそこに、無難に長く、元気で長持ち、継続は力なり、こういうのが理想の歌手のようです。

参照:キャリア概観
P.ホフマン
イェルザレム
ルネ・コロ


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コメント 21

TARO

TBありがとうございました。

カラヤンの「パルジファル」に「ロックの悪影響が見られる」などという批評があるんですか?それはひどい。いったいどこなんでしょう?

しかし私にとってはもっと(失礼!)重要なことが。

>カタリーナ・リゲンツァについても書かれています。「とうとうニルソンの後継者にはなれなかった」

これは、これは・・・2ちゃんねる風に言えば「香ばしい」発言ということになるのでしょうか。
ここでのニルソンの後継者というのは、時代を代表するブリュンヒルデ、イゾルデ歌いという意味だと思いますが(声質はニルソンとリゲンツァでは、かなり違うので、そういう意味での後継者ではそもそもない)、70~80年代のワグナー上演を背負って立っていたリゲンツァが、そんな否定的な書き方をされるとは・・・
by TARO (2005-05-13 01:40) 

ヴァラリン

TBありがとうございました。こちらからもTBさせて頂きますね。
当時の本が見つかったなんて、面白いじゃないですか(^^;

それにしてももう20年も前から、同じようなことが延々と繰り返されているんですねぇ・・

>良い指揮者、演出家のおかげで、実力以上の力を出す者もあるから気をつけるべきだとか、彗星のように昇ってあっという間に消えた歌手なんて

まぁ~~~っ、失礼な発言(怒)
良い指揮者&演出家と仕事が出来た末に、出した結果だって、その人の『実力』じゃないのかしら?
実力を生かすように仕事をするのが、プロというもんじゃないのぉ?!

ところでTAROさん、
>2ちゃんねる風に言えば「香ばしい」発言ということになるのでしょうか。
って、何ですか?^^;
(すみませんーー;日々の流行語からは隔離された世界で暮らしてますので(^^;)

リゲンツァと言えば、昨日の私の記事ネタ『音楽の友3月号』に、堀内さんの挙げた往年の歌手として
《大成したようなしなかったようなソプラノだが、イゾルデやブリュンヒルデやアガーテとして、とてもすばらしかった》と挙げられています・・
by ヴァラリン (2005-05-13 05:17) 

euridice

>いったいどこなんでしょう?
こういうのをちゃんとコピーとかしておくべきなんでしょうけどねぇ・・ まあ、ネット検索を丁寧にすれば、英語、日本語で、当たると思います。元ネタはどうもドイツ発だったわけですからね(伝記にもこの話はあります)keyakiさんのところで話題の「オペラ歌手201」の前身「オペラハンドブック」(1993年)には、「ロックのシャウト唱法との融合を目指した歌唱」なんて見事な作文が載っていますし・・・

>後継者
これも語彙の定義がいい加減すぎると思います。
あの人たちにかかると、「後継者」とは「完全なコピーになること」のようです。そんなこと、芸術家たるものするはずもないから、必ず、期待外れに終わるに決まっているのです!

>「香ばしい」発言
(私もあまりピンと来るわけではないのですが・・)
ホフマンのクリスマス・アルバムを、信仰心を疑う(と言わんばかり)とか、ファンには垂涎のアルバムだろうが(と、暗にファンを侮辱するがごとき;ひがみかな^^?)といった「香ばしい」?批評は切り抜いておいたんですけどね、見つからない・・・
by euridice (2005-05-13 10:00) 

ふくろう

どうも日本の批評家は女性ファンが騒ぐとそのアーティストを
コキおろす傾向があるみたいです。
また男のヒガミやっかみかぁと思うこと多し(笑)
クリスティアン・ツイメルマンなんかその典型でしたよ。
初来日の時、余りルックルのことばかり言われるものだから、
頭に来たのかその次からヒゲ面になってました!(笑)
「ピアノの演奏を聴いてください」と言ってましたもんね。
こんな低次元なことが原因ならホフマンも損をしたものです。
by ふくろう (2005-05-13 14:55) 

euridice

ふくろうさん、ごめんなさい。自分の投稿を書き直そうとして、ふくろうさんのを削除しちゃった。あわてて戻しましたが、ちょんぎれてますね。m(_ _)mm(_ _)m

「日本ではブーニンでもハンサムだと言われる」でしたかしら?

だとしたら、オペラ歌手と言えども、ドミンゴはもちろん、イェルザレムだって、コロだって、カレーラスだって、「ハンサム」は多いことだと思います。

話題にした本の歌手紹介に、イェルザレムがあって、ホフマンがない理由はよくわかりませんが、マルタのレコード(ワルベルク指揮、ミュンヘン放送交響楽団)が紹介されていますから、そういうことなのでしょう。レコード紹介欄にはポップ、ニムスゲルン、ゾッフェル、リーダーブッシュしか名前は載ってませんけど。それによく見ると表紙のパルジファルはイェルザレムみたいです。
by euridice (2005-05-13 15:08) 

TARO

>ヴァランシエンヌさん

香ばしい発言というのは、そうなんと言えばいいんでしょうか?
「ある種の人々の香」がふんぷんと伝わってくるような発言ですね。
それは主に、
▼ちょっとイっちゃってる(別の宇宙へ)方々に使うことが多いように思いますが、他にも
▼トンデモ説をマジで信じてる人とか、
▼物凄い頭悪そうだったり、非常識だったりするのになぜか偉そうな物言いをする人々とか、
▼やたら近視眼的で一方向のものの見方しか出来ない人とか、
▼異常にヒステリックだったりする人とか、
なんかそういう人たちの発言について、よく使われるようです。

>euridiceさん
>>ロックのシャウト唱法との融合を目指した歌唱

ええーーーーーーっ!?
そんなことを真面目に書いてる人がいるんですか?
仮にそれを目指したとして、そんなものカラヤンやショルティが認めるわけないじゃないですか、ねえ。
by TARO (2005-05-13 21:37) 

にぃにぃ

euridiceさま
コメントありがとうございました。
euridice様のブログを いつも大変興味深く拝見させて頂いております。
どなたかが>ブログには、カウンセリングの効果もある…というようなことをコメントしていましたが、本当にそうですね。
私は寡聞にして、ここに挙げられているペーター・ホフマンさんに関する記事を
知りませんでしたが、ひどい言い方ですね。
日本のクラシック界では、イタリアよりもドイツが好まれているようなので、ドイツオペラの歌手に対してはもっと正確に、正当な評価がなされているものだと思ってました。(私の好きな歌手はイタリアオペラをレパートリーにしているので、それでみんな関心がないのかなーと…)

ペーター・ホフマンさんの声を未だ未聴ですが、昔、オペラを聴き始めた頃、この人の経歴を読んだ時に
『オペラ歌手にこんな”自由”な人がいるんだー。オペラって楽しいかもしれない』
と感じたことを覚えています。
by にぃにぃ (2005-05-13 22:32) 

ふくろう

日本人は名前がヨーロッパ風であればありがたがり、
英語圏のであればコキおろす風習があります。
ヨハンナ・マイヤー、タチアナ・トロヤノス、フランコ・ファリーナ、
エデュアルド・ヴィラがみ~んなアメリカ生まれのアメリカ人だってことを、
ああいう方々はご存知なんでしょうか?(笑)
by ふくろう (2005-05-14 01:03) 

ヴァラリン

TAROさん、
>香ばしい発言
・・詳しい解説、ありがとうございます(^^;はぁ・・

にぃにぃさん、
はじめまして。keyakiさんのお宅でのコメント、興味深く読ませて頂いてます。宜しくお願いします。

>日本のクラシック界では、イタリアよりもドイツが好まれているようなので
あら?そうなんですか?^^;

私はどちらかというとドイツオペラに偏っているんですけど、イタリアオペラの方が圧倒的に情報量が多いなぁ・・といつも感じています(^^;
自分が好きなものって、いつも『情報が少ないのよねーー;』って思う傾向があると思いますが、私の場合はあんまり大勢が持ち上げていると、それだけでゲンナリしてしまうタチなので、まぁいいかなって思ってます(^^;


ふくろうさん
>英語圏のであればコキおろす風習があります。
私が読んだ(久々の^^;)『音楽の友』では、英語圏のバリトンさんたち、随分誉められていましたよ(^~^}}}}}
(ターフェル、キーンリーサイド、ギルフリーなど)
by ヴァラリン (2005-05-14 07:41) 

euridice

ふくろうさん、ヴァラリンさん、にぃにぃさん、TAROさん
いらっしゃいませ。にぎやかで、うれしいです^^

>日本人は名前がヨーロッパ風であればありがたがり、
英語圏のであればコキおろす風習があります。

この日本人は、たぶん一般日本人ではなくて、いわゆる音楽評論家、音楽ジャーナリストのことをおっしゃってるのだろうと思います。ふくろうさん、どうでしょうか。
国籍、民族に対する、この人たちの従来の性向については、知らないというか、私は意識したことがありません。

>英語圏のバリトンさんたち、随分誉められていました
最近の傾向では、と言っても、ヴァラリンさんのご紹介くださった最近の音楽の友特集記事とか、たまにネットで知らない歌手さんを検索した結果ぐらいですが、英語圏の歌手さんが非常に大勢いらっしゃいますし、ジャーナリスティックにも好まれているように感じます。まあ、ロドニー(ギルフリー)さん、私はアメリカ人だと思ってましたが、堀内氏は、イギリスに分類してましたね、何故か。

>>日本のクラシック界では、イタリアよりもドイツが好まれているようなので
あら?そうなんですか?^^;

いわゆる「クラシック音楽」と言えば、そうかもしれません。明治以降の学校教育がそうですから。ベートーベンとか、シューベルトとか、でしたね、音楽の時間にまず教えてもらったのは・・ 違ったかしら?? 「オペラ」に関して言えば、学校音楽は完全無視でしょ? (序曲、前奏曲やアリアは教科書に多少あるけど、オペラとしては教えてもらいませんでしたねぇ〜〜)「オペラ」ファンが少ないというべきかも。

で、長くなりますが、「オペラ」と言えば、これはもう、「イタリア・オペラ」こそ!ってファンのほうが実際多いと思います。オペラ公演数、観客動員数を調べれば、おそらくそう出ると思います。まあ、ワーグナーの熱狂的ファンなんてのも存在するのも間違いないところで、音楽専門家みたいな人にけっこう多くて目立つかもしれないです。

私? 分類して、楽しむ傾向は低いと自認しています。ワーグナー?、好きな演奏だと、なぜか殊更に気持ちいいです。

観て、聴いて、気持ちよくなること。これだけが音楽を聴いたりオペラを鑑賞したりする目的です^^;
by euridice (2005-05-14 08:29) 

keyaki

>英語圏のであればコキおろす風習があります。
えぇーー、知りませんでした。
私達日本に住んでいる日本人は、名前ではアメリカもヨーロッパも区別つきませんが、戦後は、アメリカさまさまの人が多いですし、とりあえず外国人=アメリカ人と思ってしまいます。ですから、メトが世界一とか言ってる人が多いですよ。
今でこそ私達個人もネットのおかげで、ヨーロッパの情報が直接手に入りますが、まだまだ、アメリカを経由する場合が多いとおもいますけど。
by keyaki (2005-05-14 10:28) 

ふくろう

コキおろす人たちはクラシック某誌に沢山います。
(私は一般日本人のことではなくeuridiceさんご指摘の通り、
評論家に絞って書いています。)
どこのヨーロッパのオペラハウスでもバイロイトでも、
今やアメリカ人歌手がいないと成り立たないくらいですが、
今だにヨーロッパ偏重ですね。
どうしてカナダ人のマイケル・シャーデをミヒャエルと読むのか?
アメリカ人なのに無理やりイギリス系にするのか?
どこにも分類できないベン・ヘップナー、リチャード・マージソンは無視ですねぇ(笑)
ちなみにマージソンは私の長年の友人の同級生です。
カナダ人歌手達の日本での評論家達の認識程度を話したら、
呆れたり大笑いしたりでした。
「ミヒャエルだってぇ~?!わははははは!!」
日本人はジョン・ヴィッカーズ、ルイ・キリコ、ユジェット・トーランジュー、
テレサ・ストラタスのことなんか知らないんじゃないか?と
心配してくれましたから、
「多分全員アメリカ人だと思ってるよ!」と言っておきました(爆)
by ふくろう (2005-05-14 12:20) 

ヴァラリン

keyakiさんのコメントに全て同感です・・
恥ずかしい話ですが、20歳代中ごろまでは
>とりあえず外国人=アメリカ人と思って
いました(^^;

>英語圏の歌手さんが非常に大勢いらっしゃいますし、ジャーナリスティックにも好まれているように感じます。

私もそう感じます。確かに
>今やアメリカ人歌手がいないと成り立たないくらいですが、
ですけど、若手で現在、確実に増えてきているのが、東欧・ロシア系の歌手だと思います。
(まぁ、田舎臭いといえばそうなんですけどね^^;)

元々その系統の歌手は昔から一定の数はいたと思いますけど(ちゃんと調べたわけではありません)ドイツ語圏では確実に増えています。
この辺りは、何故か日本のクラシック関係の書物では決まった歌手しか話題に上っていないような気もしますけど・・

>カナダ人のマイケル・シャーデ
これは知りませんでした。何かでスイス系のかただと読んだ記憶がありますけど・・カナダの方だったんですね。失礼しましたm(__)m
また、ヘップナーは無視されているどころか、絶賛されている批評をかなりの確率で目にしますけど・・
by ヴァラリン (2005-05-14 13:11) 

ふくろう

ヘップナーはワーグナーを歌うから絶賛されていますが、
マージソンはイタリアものが多いのでさほどでもないですね。
一本調子な歌い方をする時もありますが、
なかなかの美声です。ルックスはさておき・・・(笑)

シャーデはドイツ人の父親、カナダ人の母親の下、
ジュネーヴで生まれドイツで12才まで育っています。
その後カナダに移り、ウェスタンオンタリオ大学を卒業、
バンクーバーオペラでアプレンティスシップをとった後、
デビューしてあちこちで歌っています。
現在はメゾの奥様、子供たち3人とウィーン住まいですから、
かの地では「ミヒャエル」と呼ばれていることでしょう。
生で聴いたことがありますが、素晴らしい声でした。

カナダのバリトンで良いのはラッセル・ブラウン、
バスバリトンではフィリップ・エンス、ジョン・レリアです。
どうぞご贔屓に!(笑)
by ふくろう (2005-05-14 15:21) 

euridice

にぃにぃ さん
>ペーター・ホフマンさんの声を未だ未聴ですが、昔、オペラを聴き始めた頃、この人の経歴を読んだ時に
>『オペラ歌手にこんな”自由”な人がいるんだー。オペラって楽しいかもしれない』と感じたことを覚えています。

>こんな”自由”な人がいるんだー
って肯定的に感じる方もやっぱりいらっしゃるんだって、嬉しい気持ちです。
「けしからぬ逸脱者」扱いされていることも多いですから・・

どう感じるかは別として、いつか声も耳になさることがあればいいな、と思います。
by euridice (2005-05-14 21:24) 

ユルシュール

前にご紹介下さった記述などを読んだ時は、堀内さんはもともとホフマンのことが好きではなかったのかな、と思っていたのですが、最初はそうでもなかったのでしょうか?今回ご紹介の発言を読む限りでは、どちらともとれない感じですね。

真に偉大な演奏家というのは、昔の偉大な演奏家の後継者という図式にはあてはまり得ないのではないか、と思うのですが……こういう論調、現在でもたくさんみられますよね。

>良い指揮者、演出家のおかげで、実力以上の力を出す者もあるから気をつけるべき
演出家についてはよく分かりませんが、歌手の実力を十二分に引き出すのは、むしろオペラ指揮者の能力のひとつだと私は思うのですが……。

ふくろうさん、カナダの優れたバリトンたちのご紹介、ありがとうございます!バリトン好きの私、名前を覚えさせていただきますね。
シャーデはスイス出身と思っていましたが、そういうことなのですか。父君はドイツ人だけど、彼自身の現在の国籍は母君と同じカナダ、ということですね?
シャーデは先日のFMで流れていたアーノンクール指揮『ツァイーデ』で聴きましたが、なかなかきれいな声だと思いました。
by ユルシュール (2005-05-16 01:33) 

ふくろう

ユルシュールさん:
>歌手の実力を十二分に引き出すのは、むしろオペラ指揮者の能力のひとつ>だと私は思うのですが……。

これは大正解です!
これがうまいのはジェイムス・レヴァインです。
だから歌手達はMETに戻って来たがるんですね。

シャーデが「I am a Canadian!」と誇らしげに言ったのを
この耳ではっきり聞きました。
大柄なテナーで演技も上手でしたよ。
私も大好きなマイケル君、
ラッセル・ブラウンとのデュエットCDもあります。

ラッセル・ブラウンも生で聴きましたが、
素晴らしく良く通る声のバリトンでした。
これからもどうぞご贔屓に!m(_)m
by ふくろう (2005-05-16 02:23) 

euridice

ユルシュールさん
>前にご紹介下さった記述などを読んだ時は、堀内さんはもともとホフマンのことが好きではなかったのかな、と思っていたのですが、最初はそうでもなかったのでしょうか?今回ご紹介の発言を読む限りでは、どちらともとれない感じですね。

歌手が好きとか嫌いというよりは、相手(黒田氏)の反応を探りながら、それに合わせて、物を言っている印象があります。堀内氏に限りません。イタリアオペラ界についての対談では、黒田氏が武石氏に合わせているように感じます。(keyakiさんの記事:"オペラ歌手"のことを書いて金を稼ぐ人達の不思議(6)

堀内氏の著書(初期の講談社新書〜2004年夏の新刊)の文は、断片的、表面的に得たP.ホフマンのその後の状況に合わせた悪乗りの一種だと思います。遠慮なく貶せると判断なさったのでしょう。
by euridice (2005-05-16 06:45) 

euridice

>真に偉大な演奏家というのは、昔の偉大な演奏家の後継者という図式にはあてはまり得ないのではないか、と思うのですが……こういう論調、現在でもたくさんみられますよね。

同感です。紹介した雑誌一冊を取っても、殊に対談では、それ一色というか、議論の核はそこにあるという感じです。

そもそも「後継者」の意味が問題だと感じます。普通にはその分野で次の時代を担う者という意味だと思いますが、音楽ジャーナリストあるいは評論家がこれを使う場合、前任者のコピーになることを期待しているように感じることが少なくありません。日本の伝統芸能の襲名はこれに近い感覚だと思います。先輩の芸風を模倣し、身につけ、新たに自分のものを付け加えるのが理想なのでしょう。

P.ホフマンの伝記によれば、彼はヴィントガッセンの後継者と言われ、期待されていたそうですが、伝記を読む限り、彼にヴィントガッセンの「芸風」を模倣しようという気持ちははじめからさらさらなく、独自性こそ、価値があると考えているようです。念のために言うと、それはオペラ自体の伝統を無視するとか、大事に思わないとか、そういうことではありません。
by euridice (2005-05-16 07:03) 

rosina

いつもkeyakiさん等のお宅でお名前は存じておりましたが、こちらではおそらく初めまして。

本当に不可解ですよね。ホフマンくらいの歌手なら、当然記載されていて良いはずなのに。本当に、『〜の後継者』、『〜の系譜』って言うのも評論家の常套文句ですよね。日本ではありませんが、その昔、バスティアニーニの事を、『ティッタ・ルッフォに連なる怒号派の一人』等と書いた某有名評論家がいましたが><;。

以前、こうした評論家の先生方も含めたメンバーでの食事会に参加させて頂いた事があったのですが、もちろん中には専門的に音楽を研究されている方もいますが、ほとんどは多少知識はあっても、結局は仕事柄もあって、普通人より頻繁にオペラを観ている程度の違いしかないのかなと感じました。それぞれによってむしろ、通常よりも強い好み、偏見もありそうでしたしね。
by rosina (2008-07-05 19:57) 

euridice

rosinaさん、いらっしゃいませ。

ヴィットリオ・グリゴーロに関する文章を読むと、ホフマンとの共通性、類似性があるのがおもしろいです。グリゴーロがホフマンのことを知っているのかどうか、興味があります。

by euridice (2008-07-06 23:41) 

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