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コジ・ファン・トゥッテ@新国立劇場 [劇場通い]

三月予定の劇場通いは、コジ・ファン・トゥッテ。やはり午後二時はかなり厳しいです。花粉症の季節というのも問題ですが、夜だったエレクトラは全然眠くなかったですから、お昼寝時という時間帯のせいが大きいような気がします。もともと大好きなオペラではないことも手伝ってか、特に前半一幕では、長いアリアになると真ん中三分の一はどうも意識が遠のいていたことが多いようで、とっても残念です。
とてもよく出来たおもしろいお芝居でした。舞台は明るくて、色使いが美しかったです。歌手たちも全員役柄にふさわしい外見で、演技も巧くて、オペラ的うそっぽさは皆無でした。じっくり観察すれば、いろいろと意味が込められていそうで、何度見ても新しい発見がありそうな舞台でした。参照

ジョン・健・ヌッツォに代わって純情で初々しいフェルランドを演じた紅顔の美少年、軍人というよりはベルボーイに見えてしまったグレゴリー・トゥレイくん。

演出:コルネリア・レプシュレーガー/指揮:ダン・エッティンガー/アルフォンソ:ベルント・ヴァイクル/フェルランド:グレゴリー・トゥレイ/グリエルモ:ルドルフ・ローゼン/フィオルディリージ:ヴェロニク・ジャンス/ドラベッラ:ナンシー・ファビオラ・エッレラデスピーナ:中嶋 彰子
※ ※ ※
映像もけっこう沢山見ていますし、CDもかなり聞いてはいるのですが、どうも好きになれないというか、心底おもしろいとは思えないオペラです。音楽は美しく、好きなメロディーもあるのですが、デモーニッシュな部分がないせいかもしれません。物語としても何か違和感がぬぐえないわけです。それでも、何故か気になります。今回は、実演を見るのは2度目、およそ十年振りです。

午後2時という時間帯と、花粉症の時期ということもあってか、残念なことに、かなり眠かったです。長〜〜いアリアになると、相当厳しいものがありました。まあ、2幕からは、眠気もおさまって、楽しく鑑賞できました。

舞台は、すっきりしていて、装置、衣装、照明の織りなす色彩が美しかったですが、男と女を象徴するらしい、合唱団の一団の男性、黒のスーツ、女性、短めのタイトなワンピース姿はその中でちょっと違和感がありました。ついでに言うと、動きが美しくないのも興醒めでした。装置移動にいわゆる黒子(衣装は白っぽかった)を使っていたのもじゃまな感じがしました。

お芝居としては、歌手も全員演技達者で、外見も役に合って、美しかったし、オペラ的違和感は全然なく、自然に楽しめました。フェルランドは写真と同じでやっぱりとっても可愛い感じでした。映像での経験では、デスピーナがあざとすぎると嫌なのですが、中嶋さんのデスピーナはとても気に入りました。昨年のスザンナ@フィガロの結婚よりずっと素敵でした。登場人物の性格の違いがはっきり伝わってきます。グリエルモが積極的にアルフォンソの計略に協力している様子、フェルランドの気がのらない雰囲気。アルフォンソがあのひどい策略を巡らしてまで女たちをだます、その理由がいつも不可解なのですが、理由はともかくとして、今回は、なぜか、あの人ならやりそうだと思えました。ヴァイクルのアルフォンソって、そんな風に見えました。やっぱり演技力は相当なものだと思います。それとも地かしら。姉妹もほんとに対照的でよかったです。

音楽的には、非常に美しいという感じではなかったような気がします。途中、おそらく管だと思いますが、奇妙な音も聞こえてびっくりしました。何だったのでしょうか。いわゆるアンサンブルもちょっとばらばら感があったような気がします。歌手たちの声も、美しいな〜〜いいな〜〜という感じではなかったような。ヴァイクルは相変わらずいい声だと思いますが、急に大声になったり、なんというかちょっと緻密さに欠けるという印象は否めませんでした。多少コントロールが甘くなっているのかもしれません。でも、役柄からして、別にかまわないようにも思います。

それにしても、歌も中嶋さんが一番よかったような気がします。今までに見た彼女、評判ほどにはいいと思っていなかったのですが、今回は、素敵!と思いました。声もいいし、声と歌に切れがあるというか、今回の若い5人の中でも口跡が最も美しいって感じました。

フィナーレで彼女自身もだまされていたことを知ったときの複雑な表情が際立っていました。姉妹との関わりでは、ドラベッラのそばにいたり、軽く触れていたりすることがけっこうあったように思いますが、フィナーレ以外は、どこでとまでは、記憶があいまいです。

演出で気がついたこと。姉妹が自分の恋人のすばらしさをそれぞれ歌うところ。これまでに見た映像では、たいてい恋人の絵姿をながめながらという場面。この部分、目隠しをして歌われました。このオペラ、いくらなんでも恋人に気がつかないなんてことがあるかという現実的疑問を全く持たない人はいないのではないかと思いますが、そのあたりをうまく説明していたと思います。つまり、見えていても見ておらず、聞こえていても聞いていないという人間の心理的傾向を視覚的に表現したものでしょう。これで、姉妹や、デスピーナが怪しげな外国人が、グリエルモ&フェルランドだと全然気がついていないことに納得できます。ですから、ここから後のお話の展開に感情移入が容易になったと感じました。

女性というものは、生真面目で、思いもよらぬことは夢にも想像しないという性向もよく表現しているのではないでしょうか。彼女らは、恋人にだまされるなどということがあるとは、露ほども思っていないのです。このあたりの心理の機微が、だまされていたことを知ったときの、彼女らの表情にはっきりと見られました。これが明確に伝わってこないとこのお芝居、あまりにもウソっぽすぎるものになると思います。映像というものは、場面を切り取るため、そのあたりをうまく伝えられないのではないかと思いました。

舞台装置転換で特徴的だったのは、壁に掛けられた沢山の絵です。はじめは、モノトーンの風景画のようなものが掛けられています。それが、女たちがこの恋の火遊びを楽しもうと思い始めるころ、艶かしい女性の裸体画に変わります。デスピーナが掛け変えたわけでしょう。かなりきわどい感じの図柄もあったようです。デスピーナの歌に、例の裸に黒のスーツを着ただけの男の象徴でもあったらしい男性合唱団員たちが絡みますが、こういうところも、また他の部分でも、かなり露骨にこのオペラでの「愛」がはっきり肉体関係を含むことが示唆されていたと思います。

前情報があったので、注目していましたが、計画実行のはじめから、グリエルモがどうもアルフォンソにもっとも協力的、積極的に計画推進している様子が伝わってきました。目配せしたり、笑いかけたり、わかってるよという感じ。多くの行動、表情が、アルフォンソのほうを向いているように感じました。ドラベッラを陥落させるやり方も強引で汚い。フィナーレで姉妹のどちらにも嫌われるのも当然と思えます。

グリエルモのドラベッラに対する仕掛け方には「女性蔑視」を感じましたし、フィオルディリージに対しては、そこはかとない「無関心」があると感じました。彼女が落ちない事に対する喜びと、落ちたと知ったときの怒りは、単なる自尊心の問題だったようです。自分たちがうそをついてだましたのだという事実に対する後ろめたさやひけめが全くないようです・・・  ドラベッラに赤いハートのペンダントを強引に押し付け、フェルランドの肖像をほとんど強奪します。
要するに、グリエルモはどうも終始一貫アルフォンソのほうを向いていたようです。いきなり半裸になったりするんですが、こういう行動が、姉妹に対してなされているのではなく、アルフォンソにアピールしているように見えました。視線がほとんど彼のほうを向いている・・・・

これに対して、フェルランドははじめからこのゲームにあまり乗り気ではない様子。ドラベッラの陥落にショックを受けると同時に、自分が本当に好きなのは実は姉のほうではなかったかと気がついたようです。ですから、積極的に迫りはじめたときは、本気だし、同時に彼女に対して尊敬と思いやりの気持ちを持っており、グリエルモのような押せ押せの迫り方はしません。フィオルリディージのほうも本気になっているのが伝わってきます。

フィナーレは、恋人たちは元の鞘に収まるかに見えますが、少しずつ移動していき、最終的には、ドラベッラはグリエルモに近づき、また、離れて、デスピーナに寄り添い、デスピーナもそんなドラベッラの手を取ります。フィオルディリージとフェルランドは互いに見つめながら近づき手を取り合います。そんな様子を眺めていたアルフォンソは、おもむろに上着を脱ぐと、グリエルモに近づき、上着を着せかけ、肩を抱きます。

いろいろに感じることができると思いますが、人間だれしも、特定のだれかと排他的な関係を結ぶことを望むもの。それは、固定的ではありえず、流動的かつさまざまな組み合わせがありうるのだということじゃないでしょうか。人間関係の多様性を認めたいというところでしょうか。
そしてまた、終始一貫まさに彼女自身でしかなかったデスピーナを除いた五人は、あのドタバタ騒ぎを通して、本当の自分を発見し、変化し、もう決してもとにはもどれないはずです。仕掛人のアルフォンソでさえ、ミイラ取りがミイラになるのたとえの通り、潜在意識に突き動かされたかのように、あのゲームを仕掛けた結果、自分の本性を認識する結果になったのだと思います。

来シーズン、同じ演出で再演の予定ですから、また見てみたいと思います。
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ヴァラリン

edcさん、早起きですね^^
鑑賞記、楽しく読ませて頂きました~~お疲れ様でした。
いいな~~私も見てみたいです・・この演出。
近いうちに、ウチのサイトの『コジ』の記事を加筆予定なので、そしたらTBさせて下さいね!
by ヴァラリン (2005-03-30 06:08) 

keyaki

ちょうど写真が出てますが、ホテルのドアマン?ベルボーイ? 士官には見えないですね。
それと安っぽいショートブーツで靴が合ってないし、変装してからもこの靴のままです。
靴の色も黒より茶系の方が目立たなくていいとおもいました。
靴大好きなkeyakiとしては多いに気になりました。

主要キャストは容姿共に役柄に合っていてよかったですね。
舞台の小道具とか絵は、なにかを暗示したり象徴していたりのようですが、あまりありすぎるとめんどくさくなりますし、当然自分の知識の範囲でしか理解できないわけですから・・・判じ物みたいなのは好きじゃないです。
結婚式のテーブルの上のものなんて、なんなの!さーーでしたわ。
黒服の男女の群衆(合唱団?)が、出て来て、寸劇?マイム?をやってましたけど、違和感がありました。

とはいいながら、けっこう笑いもありましたし、全体的に楽しめました。
ヴァイクルのドン・アルフォンソに注目してましたが、
ビールッ腹のオヤジが、昼間っからビール飲んでくだまいてるような歌いっぷりでした。
なにがいいたいかというと、酔っぱらうとなぜか大声になりますでしょ。とにかく声は大きかったけど、ヘロヘロでした。哲学者というよりは、酒飲み仲間かなぁ。
なんでも初役だということです。彼は、バリトンですので、グリエルモがレパートリーですね。
デスピーナは訳知りのやり手ババアのようでなくて、お嬢様方に悪いことしちゃった・・・という感じが出ていて、好感持てました。

同伴者に「ほとんど寝てたでしょ」と言われました。
by keyaki (2005-03-30 13:59) 

おさかな♪

写真が何だか楽しそうで素敵ですね♪
by おさかな♪ (2005-03-30 18:41) 

TARO

ヴァイクルはもうモーツァルトを歌える声ではなくなったんでしょうか?「さまよえるオランダ人」のときにすでに、はっきり声の衰えは感じられましたが。
by TARO (2005-03-31 21:51) 

euridice

ヴァイクルのアルフォンソ、とっても自然な存在感がありました。良い声でしたよ〜〜 ただね、いきなり大きな声になるんですね。これが欠陥だとしたら、まあ多少コントロールが甘くなっているのかも〜〜ですけど。でも、全然聞き苦しいとか、耳障りってことはなかったです。いつもあの役って不可解で、違和感があるんですけど、その点、とっても納得のいくアルフォンソでした。いかにもああいうことをやりそうな奴にみえて。結局、ミイラ取りがミイラにって感じで、おもしろいというか。ああいうぼけっと立ってるだけで、愛嬌のあるアルフォンソ、はじめてでした^^; と言ってもほとんど映像体験ですけどね。
by euridice (2005-04-01 00:14) 

keyaki

TAROさん
>声の衰え・・・・
いいえ、声は、人一倍大きかったです。ソロの時。
アンサンブルの時は、ちゃんとアンサンブルしてました。
私、ヴァイクルのモーツァルトははじめてききましたが、洗練されてないというか、荒削りで、演出なのか、怒っている=怒鳴っているような感じを受けました。ファルスタッフの時と同じ印象ですけど・・
それより、次期新国芸術監督というウワサがでてますよ。
私もなんか怪しいとおもいますね。今回のコジもそっちの話のためについでに出演したのかしら??とか思っちゃいますね。

それと話題が全然違いますが、ライモンディが「愛の妙薬」に出演!とパリのファンが騒いでます。2006年6月、先の話ですけど。初役ですヨ。
by keyaki (2005-04-01 00:28) 

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