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Tokyo Opera Nomori [劇場通い]

ローマ字表記が不思議な命名の新たに始まった東京都の音楽行事のひとつ「東京オペラの森」の上野文化会館での「エレクトラ」に行きました。 エレクトラ:デボラ・ポラスキ
妹、クリソテミス:クリスティーン・ゴーキー
母、クリテムネストラ:アグネス・バルツァ
弟、オレスト:フランツ・グルントヘーパー
母の夫、エギスト:クリス・メリット
演出:ロバート・カーセン
指揮:小澤征爾

結論:昨秋の新国エレクトラのほうが私は好きです。
新国のほうはまた観たいと思いましたが、
今回のはもう結構・・・です。
でも、とにかく劇場でオペラを観るのは楽しいです^^

※ ※ ※
舞台ははじめから終わりまで変化なし。巨大な壷か瓶の底を思わせます。途中の高さまで緩やかな勾配がついていて、駆け上がろうとしては滑り落ちるという構造です。まさに「出口なし」の心的状況を象徴しているようです。色彩も全くなしの黒のモノトーンの世界。衣装もクリテムネストラとエギストが純白、ほかは全員黒。白はエレクトラの心の最重要項目、つまり、ハイライトというところかもしれません。エレクトラの心象風景を意図した舞台ということでしょうか。演出家の弁をちゃんと読んだわけではないのですが、ばらばらとめくったところ、ヒステリーという語が目に止まりました。

後半、手に持った照明灯を多用するのが、目を開けていられないほどまぶしいのには辟易しました。席のせいかもしれませんが、ほんとに目がくらみ、その辺りからは鑑賞力が急激に落ちて、記憶が曖昧・・・・・・ 演出意図があるのかもしれませんが、小さいけど猛烈なサーチライトでした。

この舞台のせいか、閉塞感が強く、幕間なしの一幕に相当に長さを感じました。エレクトラの心理的分身らしい同じ衣装の女たちの群れは、目障りな感じが強かったです。おもしろいと思ったのは一カ所ぐらい。復讐が成就したときエレクトラの後ろに一列に並びました。ああこれで、ヒステリーの自我分裂状態が終わり、自己同一性を取り戻したのかしらと思ったのですが、それは一瞬でまた、彼女らは暴れだしました。動きと音楽の一致があまり感じられなかったのが邪魔な感じがした一因だと思います。それにいかんせん多すぎる・・・死体役の男性や、王妃の載ったベッド、エレクトラ、オレストなどを、持ち上げて運んだりするにはあれぐらいの人数が必要だったのかもしれません。エレクトラやクリソテミスと比べて、平均頭ひとつは小柄な人たちでした。
王妃の登場は、その前の来るぞ来るぞの音楽も期待感を高めてくれましたが、どこから出てくるだろう、死体を引っ張りだした穴からかしらなんて思っていたら、いきなり舞台後方に白いベッドが浮かび上がりました。ここは一番意外感があっておもしろかったです。
それにしても、エレクトラのむき出しの二の腕のあまりのたくましさに、オペラ歌手とはやはり力仕事なんだわ・・と思ってしまいました。

ソリストは細やかな演劇的ニュアンスがどうこうというより概して大声びんびんという感じでした。昨秋の新国でのエレクトラで得られた繊細な印象はありませんでした。妹はいかにも普通の生活を夢見る若い王女さまというイメージを求めたいのですが、今回の妹は、まあ、ああいうタイプの家庭的な女性もいるな〜〜と、肝っ玉母さんになるタイプだわ〜と思いました。王妃には、本来は繊細な神経の女性が心を病んで、身勝手ながらも、苦しんでいるって雰囲気を期待するのですが、なんだか違うって感じがしました。アグネス・バルツァがそこにいるって・・、さすが・・という印象ですね。相変わらず美しかったです。

ドラマ性の弱さの一例です。母王妃が悪夢を見ないためにはどんな生け贄が効果があるかとエレクトラに質問するわけですが、この対話はなかなか皮肉が効いていたり、お互いの思惑のずれがあったりでおもしろいです。新国のときは、この対話の途中で客席から笑いが起こりました。私も思わず笑ってしまいましたが、今回は、少なくとも私は、全然おもしろいともなんとも思わず通り過ぎました。客席の反応にも気がつきませんでした。もう一カ所、新国のときは、エギストとの対話でも客席の素直な反応が感じられました。そういう悲劇と喜劇は紙一重の部分が醸し出されてこそ、お芝居としての真実が見えるような気がします。余裕の全く感じられない押せ押せの悲劇は疲労感が残ります。

結論:ドラマとしてのまとまりというか、説得性を強く感じた昨秋の新国エレクトラのほうが私は好きです。今回は歌唱に細かい表情、ニュアンスは、ほとんど感じられませんでした。舞台と音楽の一致が気持ちいいとはいきませんでした。
白いもののひとつに、アガメムノンの死体が登場します。死体役をするのに演技力が必要かどうか知りませんが、生きているとは思えない、しかも肉感たっぷりの生々しい死体でした。でも、ドラマの中で浮いてるというか、必然性を納得するにはいたらず、気色悪い感じだけが残りました。はじまったばかりのところで、死体と抱き合うというのは、劇的効果として、時期尚早なのかもしれません。オレストとも露骨に寝転んで抱き合ったりするんですが、心が伝わってこない。オーケストラは甘く、甘く演奏してましたけど。舞台と連動しないというか、浮き上がってくる思いが伝わって来ない。新国のときはまた観たいと思いましたが、今回はもうけっこうです。ざらざらした不快な感じが残りました。

でもどうであれ、劇場でオペラを観るのは、いいものです。(2005.3.23記)

分身=心を視覚的に表現する  といえば、ポーランド来日公演の「オテロ」でもやっていました。白塗りの男たち数人がオテロの心理を表現しているようでした。邪魔な感じもなくうまく劇の進行と調和していたように思います。オテロとの視覚的区別も明確でした。エレクトラの場合は、エレクトラと妹役の体格が突出しているにしろ、衣装が同じですから、肝心のソリストが行方不明という瞬間がけっこうあったのも疲れの原因だと思います。(2005.3.24記)

この演出、様々な解釈があるようですので、私の見方をもう少し細かく記録しておくことにします。
エレクトラの心的状況を象徴していると思われる閉じた舞台ですが、床は砂場状態、中央に矩形の深い穴があり、舞台向かって右袖に隙間があります。舞台への出入は中央の穴と右袖の隙間。この隙間を利用して出現するのはオレストとその従者、エギストだったと思いますが、あまり印象的でなかったので、間違っているかもしれません。妹が姉を拒否して消えるときこの隙間を利用します。これは印象的でした。そして、舞台奥。照明によって突如出現したり、消えたりします。これは王妃の出現が印象的でした。王妃とエギストが消えるのは穴です。アガメムノンの死体は穴から出現し、穴に消えます。オレストと従者は闇に消えたと思います。
中央の穴は王宮の出入り口と考える人もいますが、エレクトラの心の奥底、深層だと思います。そして床の砂場は心の浅い部分でしょうか。エレクトラの心の表層部分と思われる同じ格好の女たちとエレクトラは、乱れてはいますが、ほとんど同じ動作と行動を取ります。例えば、一斉に砂場を手でさぐり、かき回して、斧を取り出します。(2005.3.24追記)


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keyaki

感想、読ませていただきました。いつもながら、edcさんのレポートは、演出、舞台、衣装のことにも触れられていて、見てなくても見たような気になります。
エレクトラの分身がうじゃうじゃ・・・・なるほど
新国のエレクトラが、初エレクトラだったのはとてもラッキーだったということですね。なんとなく嬉しい!

最終日に行ったお友達のとりあえずの報告は、「恐るべき空席状況」と日本ではめずらしいくらいの「ブーとブラヴォーの応酬」だったそうです。(指揮者に対するもののようですけど)
by keyaki (2005-03-23 15:01) 

おさかな♪

ほんと、keyakiさんのコメントのとおり、euridiceさんのレポートは簡潔な中にポイントとなることが書いてあって、良いですね。
euridiceさんのページを見て最初に思ったことは、これだけ沢山すばらしいオペラを観て、すばらしい感想が書ける人がウイーンのオペラを観たらどんな感想を書いてくれるんだろう・・・ということです。(知識もあるし、でも読み手に知識を要求しないし。)
そんなeuridiceさんのために、おせっかいなおさかな♪は日曜日に記事を書きました。(euridiceさん、忙しかったら最後の行だけ読んでね♪)
http://blog.so-net.ne.jp/osakana2005/archive/20050320
>keyakiさんへ
このコメントには関係ないのですが、keyakiさんのページの画像は配置や大きさがとても見やすくて良いですね。ソースの表示で勉強させてもらいました。ありがとうございます!
これからも良い音楽に沢山出会えますように♪
(おさかな♪の場合は良い音楽が作れるように・・・ですね。)
by おさかな♪ (2005-03-23 17:31) 

TARO

「エレクトラ」いらしたんですか。でも、なんかキツイ舞台だったんですね。小澤さんはカーセンのプロダクションはポンネルの舞台のように、後世に残るみたいなことを言ってましたが。

それにしてもエレクトラの分身がうじゃうじゃって、それじゃオペラの森じゃなくてエレクトラの森じゃないですか。(Tokyo Elektra Nomori)
どんな意味だったのか、演出家の意図をちょっと知りたいような。来月発売の音楽雑誌なら、カーセンのインタビューが載るかもしれないですね。
by TARO (2005-03-24 02:28) 

euridice

>演出家の意図をちょっと知りたい
惰性で買ったプログラムの演出家ノートを今ごろ読んでみました。要点は「エディプス・コンプレックス研究に付随する女性のヒステリーの症例研究」ということらしいです。

TAROさん、参照ページにPDFをリンクしましたので、よろしければ、ご覧ください。
by euridice (2005-03-24 09:50) 

keyaki

>演出家の意図をちょっと知りたい
あの黒子さんたち、edcさんのレポートにもあるようにエレクトラの分身というか自我(エゴ)と考えるのが妥当だとおもいますが、

>今回の舞台では、圧政に苦しむ民衆の革命劇のような趣の演出がなされており、興味深かった。

というようにあの黒子を民衆と捕らえている方もいるんですね。
クリテムネストラのベッドを穴にほうりこむのも民衆の怒りが爆発・・・だそうです。
演出って・・・・
やっぱり、新国の演出のほうがいいってことかもしれない。
たとえば、全裸の死体を愛撫するより、アガメムノンのマントを大事に斧と一緒に隠していて、そのマントを時々出しては抱きしめる・・・という演出のほうが、エレクトラの心情を理解できるものね。
by keyaki (2005-03-24 17:18) 

euridice

へぇ・・ いろいろな見方があるものですね。ちょっとびっくりです^^; 私は、あの「穴」は、エレクトラの心の奥底、深層を現わしていると思いました・・・ 感想、ちょっと追加しました。
by euridice (2005-03-24 20:11) 

TARO

PDFのリンク、ありがとうございました。
(関係ないけど、アドビ・リーダー、1~2秒で起動するようになって、本当に使いやすくなりましたね。)

見てないせいだとは思いますが、ロバート・カーセンの説明、わかるような判らないような。分身うじゃうじゃも、カーセンは説明してくれてないし。
エレクトラの内面を視覚化したということなんでしょうか。でもそれだと分身だけじゃなくて、例えばクリテムネストラとエギストだけが、どうして黒じゃなくて白い服なんだろうとか。
by TARO (2005-03-25 00:04) 

euridice

TAROさん、さっそくどうも・・です。
>ロバート・カーセンの説明
実は同感です。なんというかあれでは「エレクトラ」の一般論的解説で、「ヒステリー症例研究」という語句を除いて、あの演出の説明にはなっていないと思います。
by euridice (2005-03-25 13:37) 

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