SSブログ

14章 ペーター・ホフマン -6/16 [WE NEED A HERO 1989刊]

14章 おじいちゃんのオペラは死んだ:
ペーター・ホフマンと総合芸術の仕事

おじいちゃんのオペラは死んだ;レパートリー研究
コンサートとイタリアのレパートリーなど

   ペーター・ホフマンはこの17年の間に20以上のオペラの役を歌ってきた。同時に、ポピューラー音楽の分野でも広範囲にわたるレパートリーを確立した。今なおキャリアの中期だが、タンホイザー、リエンチ、ジークフリートを除く全てのワーグナーの役を演じてきた。ジークフリートについては、すでに練習済みだがデビューの時期は慎重に選ぶ必要があると考えている。演奏の見本となる録音のコレクションも積み上げた。ペーター・ホフマンは、ジークムント、パルジファル、ローエングリン、シュトルツィング、トリスタンとして最もよく知られており、これらの役を最も頻繁に演じて来たが、想像以上の多様性を有している。中心的なレパートリーに加えて、様々のイタリア・オペラ、フランス・オペラ、ドイツ・オペラの役を歌っているし、クラシック・コンサート、ポピュラー・コンサートを行っている。さらには、あまり好きではないにしても、いくつかのオペレッタも歌っている。
   クラシック・コンサートの分野には、ベートーベンの交響曲第九番、冬の旅、いくつかの教会音楽、マーラーの大地の歌などが含まれる。この分野ではすばらしいレコードが二つ存在する。バッハ/グノーのアベマリアの美しい演奏(1988年録音)と、ぞくぞくするほどの複雑なアプローチを見せるマーラーの大地の歌である。どちらも歌曲におけるホフマンの力強さと確信を顕著に示している。
   アベマリアは、現代的な楽器編成によるが、比較的伝統的な編曲で、きわめて輝かしく詩情あふれる録音である。その音色は実にすばらしく、マリアへの崇拝の念にあふれている。イタリア系のドラマティック・テノールがよくやるような、熱狂的な懇願ではなく、より瞑想的で、個人的請願、賛美の聖歌になっている。巧みで完璧な旋律線、非常に開放的なイタリア的クライマックス、静かにうねる豊かな躍動感、音価に対する注意深さ、豊かで表現的な音色、ホフマンはこの歌を吟遊詩人の愛の調べのように歌い上げる。(実際のところ、これは本来的にマリアに対する熱愛の歌だ) 彼は柔らかい声mezza voceで歌い始め、聖寵満ちみてるgrazia plenaで、暗い驚嘆の念をにじませる。かすかなきらめきと柔らかさで、無理することなくフレーズを保ち、三カ所のサンタマリアで喜びの頂点を構成する。各々が、それぞれの祈りを含んでいる。最初のは、官能的な畏敬の念に打たれた憧れ、二番のはけだかい崇敬の念、三番目のは、情熱的な請願。静かに高揚する信仰をもって、罪人なる我らのために祈りたまえora pro nobis, nobis pecatribusと心を開き、最後のアーメンでは静かになめらかに母音を消して終わる。最終的に深い感動をもたらす。一個人の私的な詩が深淵な信念を持った普遍的な祈りへと昇華する。
   1980年、ロスアンゼルス、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮による大地の歌の公演は、マーラーの憂鬱と皮肉を完璧に表現していた。ホフマンの声は、地上の悲愁の詠える酒席の歌 Das Trinkleid von Jammer der Erde において、難なくオーケストラを超えて飛翔し、彼は、英雄的な次元の絶望感を伴って心に浮かぶ悲しみをとらえ、この音楽を、吠えるのではなく、歌っている。青春にふれて Von den Jugendは、上品で、Wunderlich in Spiegelbildといった旋律では、その可愛らしく魅力的な柔らかい声mezza voceを披露している。ホフマンが、最後の部分、trinken,plaudern(飲んで、語る)に添える憂鬱で意気消沈するような喜びの感覚は、酔いつぶれる喜びの、忘れがたい印象を醸している。最後の歌、春にありて酔えるもの Der Trunkene im Fruehlingは、ホフマンの演奏では、力強く鳴り響く苦痛の叫びである。ホフマンはこの公演で、声の色彩感と躍動感の繊細な土台、知性、表現的なテキストの扱いにおいて、コンサート歌手としての資質を示している。多くのヘルデンテノールの先輩たち以上に、それぞれの歌を小さなドラマに作り上げることができる。ドラマに隠されている意味を巧みに明示することができるのだ。
   彼に対してワーグナー・テノールとして奉仕する事だけがけたたましく要求されるようになる前のキャリアの初期には、いくつかの現代オペラを含む作品を幅広く歌った。1975年10月にヴッパータールで歌ったギーゼルヘル・クレーベ Giselher Klebe作曲のEin Wahrer Held 真の勇者の題名役、クリスティは、批評家たちに特別に注目された。オペラ誌は、この役に、急上昇中のヴッパータールのヘルデンテノールであるペーター・ホフマンを得たことは真の喜びであったと述べた。ホフマン自身は、この役は複雑な人物像を創造する良い機会だったと回想しているが、批評の注目と高い評価が興行収入に結びつかなかったことを残念がっている。またキャリアの始まった年にバーゼルで、ベルクのヴォッツェック Wozzekで、鼓手長を歌った。この経験を振り返って、はじめは、この人物の野蛮さにとても当惑したが、結局は、この役に肉体的強さと音楽の力との必然的な関係を見出したと言っている。
   キャリアの初期にリューベックで試みたファウストとドン・ホセは、それぞれ異なった領域での成功をもたらした。1972/1973年のシーズンに、ファウストのアリア、Salut demeure chaste et pureで要求される高いドの音(high C)を楽々とだすことはできなかったと、彼は回想している。(後に、マリオ・デル・モナコと一緒に練習したおかげで、こういう高音を獲得することになった)そういうわけで、最初は満足できない結果だった一連の公演を通して、非常に苦労して、公演を重ねるたびに改善していった。それに対して、ドン・ホセは彼に合った快適な役だということが立証され、今日にまで、その本領を発揮してきた。彼は、この役を、その抒情的なところも英雄的なところも、どちらも非常に魅力的に歌い、あの激しい三幕を、我ながら、まるで気が変になったみたいだったけど、とても冷静に落ち着いて演じた。その効果は衝撃的で、観客はもの凄いカタルシスを感じた。これはホフマンの聴き手を感動させる才能を示す初期の例だ。    ホフマンのイタリア物を歌うテノールとしての才能は、ヴェルディとプッチーニからのいくつかの抜粋録音で明らかだ。これらの録音は、聴き手に、ぜひとも舞台で彼がこの役を全曲歌うのを聴きたいものだと思わせる。彼のテレビ番組、Hofmanns Traeuereien(ホフマンの夢)の中で、トスカからRecondita armonia(妙なる調和)の場面を歌っているが、燃えるような情熱と輝かしいレガート(ドイツ語翻訳で歌っていてさえも、それがイタリア的な旋律線を損なっていない)を耳にするとき、彼は間違いなく理想的なカヴァラドッシであることを立証するだろうと感じざるをえない。それに、最近出したアルバム「モニュメント Monuments」の「星はきらめき E lucevan le stelle 」 もこの結論を支持している。クラシック音楽の原曲を編曲するのが、このアルバムのテーマだから、ホフマンはこのアリアに新たな終結部を加えて編曲しているけれど、まずは完全にプッチーニが書いた通りに歌っている。そして、それは息をのむほど瑞々しく新鮮に響く。彼は、瞑想的で官能的な思い出を、憂うつな気分のチェロと調和しつつ、かすかにちらちらと光が揺らめくような音色で歌いはじめる。このカヴァラドッシは手を触れることができそうなほど鮮烈な記憶に触れることさえできないという究極の皮肉な状況の中で、突き刺すような痛ましさで、広がっていく官能的な詩の世界を眼前に構築して見せる。Entrava ella fragrante  (彼女は香りを放ちつつ入ってきた)は哀しいまでの憧れに満たされ、 mi cadea fra le braccia (彼女は私の腕の中に倒れ込んだ) は、失われた願望を思っておののき震える。彼は半分の声量 mezza voce で、O dolce bacci, o languide carezze (おお、甘いくちづけ、おお、ものうい愛撫)を熟練した歌い回しで静かに歌い始めるが、その声は、月光のような弱音 piano に向かって弧を描き、再びゆっくりとmezza voce に戻っていく。同じ技術をつかって、 le belle forme disciogliea  (彼女の美しい姿が露になった) は、滑らかな弱音へと下降 diminuendo して行き、嘆きの息づかいを含みながら、最後の言葉、dai veli (彼女のヴェール)へと進む。最後の部分は、抑えた情熱と、細心の注意深さで、mai tanto la vitaを強調して、微妙さと綿密さを有効に利用しようとする。ホフマンは過剰なむせび泣きを避けるが、disperato(絶望して)のひとつの音節にかけたかすかなトレモロによって、多くのイタリア的なテノールよりも深い哀感を漂わせ、その身を切るように痛切な e non ho amato mai tanto la vita(そして、人生をこんなにも愛おしんだことはなかった) の中には、表現力豊かに変化する音色の万華鏡、苦悩と愛と反抗が存在する。    ホフマンは、デボラ・サッソンのデビュー、リサイタル盤に、ボエームトラヴィアータの二重唱で、参加している。ここでも、E lucevan le stelle (星はきらめき)のとき同様、完璧なイタリア語である。O soave fanciullaで、彼はその大きく、英雄的な声を、とろけるような柔らかい半分の声量 mezza voce と 最弱音 pianissimoに落として、小さなフレーズにいちいち微妙な意味を付与する。例えば、Sei mia(私のもの)はもの凄くロマンチックに、そして、al ritorno?(私たちが戻るとき)は、心臓がどきどきするほど官能的だ。彼はまた最後のEを書いてある通りに扱っている。最近の劇場で、こういう選択は珍しく、これはすがすがしい魅力的な響きを創り出している。ホフマンはまた、Amor e palpitoを歌う歓喜に満ちたアルフレートとして、 トラヴィアータの台本は好きでないにもかかわらず、ヴェルディの音楽に対して独特のふさわしい感覚を持っていることを示している。彼は、この二重唱に、正確で、音楽家らしい、そして優美なベル・カントで貢献している。    1988年に録音された La donna e mobile(女心の歌)も、まず書かれた通りに歌われ、それから、即興的なカデンツァが付け加えられている。活発で陽気に歌われるこの歌でも、やはり巧みな演奏ぶりがわかる。この高度な声楽技術を要する作品で、ホフマンは安定して、心地よく、鳴り響く最高音と、名人技のレガートを披露しているが、派手な目立つ雰囲気を達成するために旋律線を引き延ばすという誘惑に陥ることを回避している。彼は、他の非常に多くのテノールたちに比べて、このアリアのスケルツォとしての特質をはるかによくとらえている。彼の歌は心地よく、刺激的で、軽やかで、好色で、何と言っても自然でのんきな雰囲気を醸している。彼はこのアリアをヴェルディが意図したように、人物描写のミニチュアとして表現する。魅力的な例を一カ所挙げるなら、mutata cen-の部分の美しい弱音への下降 diminuendoだ。その後に最後の音節 toが続くが、両方とも音は原曲のままであって、演劇的に著しく惹き付けられる。    これらの断片は、ホフマンがイタリアのレパートリーで自由に操る優美さ、音楽家としての技量、伝統に基づくスタイルを示している。彼はこの分野の額面以上の特質、すなわち、squillo(高らかに響く声)、morbidezza(柔らかな声)、そして、legato(レガート)をportamento(ポルタメント) と区別して用いることといった特質を身につけている。彼はレパートリー間を、音楽的かつ様式的確実性を崩さずに移動することができるが、こういうことはめったにないことなのだ。そしてまた、ベル・カント唱法とワーグナーの役の歌い方を混ぜるのは必ずしも賢明ではないにもかかわらず、誰もがホフマンが彼の夢であるオテロを引き受けるかもしれない日を楽しみに待っているまさにこの時、彼のスケジュールが許すとき、そして、経営陣が彼のイタリア物のレパートリーに対する才能を求めるときが待たれる。彼がこの役に必要な演劇的強さと、抒情性と、英雄性を有していることは間違いない。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。