SSブログ

14章 ペーター・ホフマン -5/16 [WE NEED A HERO 1989刊]

14章 おじいちゃんのオペラは死んだ:
ペーター・ホフマンと総合芸術の仕事

おじいちゃんのオペラは死んだ;ペーター・ホフマンは生きている。
ペーター・ホフマン :ワーグナーテノール そしてポップスター

   1976年に、ハロルド・ローゼンタールはペーター・ホフマンの声について、こう述べている。はっきり言って、私があの戦争以後に耳にした最高にすばらしいヘルデン・テノールである。スヴァンホルムもヴィントガッセンも、そしてマックス・ローレンツでさえ忘れさせる。メルヒオール、そして、もしかしたら、ズートハウス以来、本物のヘルデン・テノールに最も近いものだ。
   ペーター・ホフマンの声は、一度耳にすれば、忘れられない声だ。独特であって、豊かな満足感を与える声は、抒情的な瞬間には甘い、澄んだ音色を響かせ、劇的な瞬間には、ほの暗い官能的な響きを醸す。そして、英雄的な瞬間には、適度のきしみ感とヴィブラート。これらが声に情熱的な奔放さを加える。
   メルヒオール、スヴァンホルム、そして、キングと同じように、ホフマンははじめはバリトンで、多くの人が「本物のヘルデン・テノール」と考える、豊かで、艶のある、常に暗い響きを持つ音色を保持している。その声は基本的にバリトンで、低音域の表現が豊かであるが、同時に高音域も驚くべき自由さと力を備えている。光沢のある鋼のような音色の高音は輝かしく響き、聞き手の心を揺り動かす。ホフマンの声の規模はスヴァンホルムと比較される。イェルザレムやコロやトーマスの抒情的な声よりははるかに、雄大かつ英雄的であり、メルヒオールほどの声量はない。およそ1オクターブ半ないしは2オクターブの音域を楽々と出す。非常に焦点の合った鮮明かつ音程のしっかりした声である。低いほうのGも十分に聞こえるし、高いB、そして C さえも輝かしく響く。ワーグナーを歌うときにも、初期に歌ったモーツァルトの軽快さと柔軟性を維持している。そして、その表現は、実に独特で、複雑で微妙な色合いを示す。
  こういう表現的な工夫でとにかく真っ先に注目すべきなのは、ホフマンの並外れて変化に富んだ微妙な陰影の付け方だ。大方の ヘルデン・テノールに比べて、mezza voce メッツァ ヴォーチェ(半分の音量で)や、弱音(ピアノ)、そしてピアニッシモを、他のテノールがそんなことは決してしないような難しい箇所で頻繁に耳にする。彼はまた、完璧な弧を描いて声を次第に弱く(diminuendi) したり、強く(crescendi)したりすることができる。聴き手はその英雄的な声が息つぎなしで切れ目なく見事にコントロールされているのに驚かされる。それから、音色は多様でヴァラエティに富んでいる。たいていは豊かで明るく響き渡るが、時には明らかに粗い響きに気がつく(スヴァンホルムも同様だ)。イタリア的な光沢のある輝きを示すこともあれば、冷たい真にドイツ的な様相も表わす。陰気に暗い音色から、銀のきらめきのような音色まで、すべての色合いを持っている。また、彼のヴィブラートは、劇的な効果をあげる仕掛けであって、テノールの声に個性と感情的な振幅を与える。しかし、これは一部の人たちの批判の的になっている。私の耳には、これはホフマンの声を特徴づける不可欠の要素である。これこそが、ホフマンの声に心の底からの本能的な訴えを加えているものだ。実際、ホフマンの表現的な声の特質のうちで、一番計り難いものは、おそらく彼の声の持つ独特の官能性(eroticism)だろう。今までにペーター・ホフマンほど強烈にこういった特性を示したヘルデン・テノールはひとりもいない。この特質こそが、彼の声と、その声から生まれる演奏を、抗し難い魅惑的な存在感で満たしている。
   しかし、何がホフマンの声を極めて刺激的なものにしているかと言えば、それはおそらく、これら表現的で潜在的な特徴を、芸術家としての手腕の、より外面的で知的な側面に結びつけるやり方だろう。同時に、彼の官能的な声は聴き手の無意識の反応を目覚めさせ、彼の完璧な音楽性が冷静で、批判的な賞賛を喚起するということだ。飾り立てずすっきりとしてはいるが、優雅なワーグナーにおけるドイツ的レガート、つまり、まるで彫刻のような歌い回しに対する感受性を示す。発声法は、その言語独特の明晰さを示し、朗唱法と歌詞のニュアンスは熟練者のそれである。ホフマンに耳を傾ければ、言葉と音楽は融合しており、ワーグナーがシュノールを賞賛したように、心のうちでめったにないような劇的な炎が燃え盛るのを聞く。もしワーグナーがペーター・ホフマンを聴いたら、愛してやまなかったシュノールに対するこんなコメントを繰り返すことだろう。彼は生まれついての詩人だ。まれに備わった天性の声を、理解力の助けを得て、使いこなした。
   シュノールとの類似性はもっとある。この19世紀のテノールと同じように、ペーター・ホフマンは、真のテノール(ect Tenor)と重いテノール(schwer Tenor)の響きが融合しためずらしい声を持っている。まずはじめはバリトンとして訓練しながら、1972年には抒情的な高音域と華やかな柔軟性を伴うテノールとして登場した。例えばモーツァルトのイドメネオだ。彼が1970年代半ばから後半にかけて、ジークムント、パルジファルといったワーグナーの役をやるようになったとき、自分の声の持つ重いテノールの可能性を開発した。けれども、1980年までに、両テノールの音域の切れ目のない統合に成功している。ローエングリンにふさわしい声の色調、音色の質がそれであり、現在にいたるまで、この均衡と広がりを維持している。その色調はより暗く、より豊かになってきているにしても、その輝かしい最高音は、その響きを失うことなく、輝かしく英雄的なメタリックな色調は今も、たとえばトリスタンで聴くことができる。このように、ホフマンの声は20世紀のヘルデン・テノールたちのなかで、独特である。ワーグナーの素晴しい理想を再現するために、ホフマンはベル・カントの抒情性を劇的な緊張感と結びつけた。イタリア的な暖かさと冷たい感じのドイツ的ヒロイズムを合体させたのだ。声の広がりとダイナミックな柔軟性の新たなフロンティアを築いた。そして、なによりも、先輩たちを超える情熱と力で、音楽と歌詞を結びつけた。ホフマンの歌唱は、過去の遺産の上に、今までなかったようなレベルでの現実感を持った新たな音楽劇を築き上げている。

*****

ペーター・ホフマンの芸術の声楽的側面はそれ自体独特で注目に値するが、演劇的な側面と分離することは不可能だし、歌う役者としての歴史的意義を見落とすこともできない。ペーター・ホフマンが過去と現在の全てのヘルデン・テノールの中でもっとも役者としての資質に恵まれていることは疑いようがない。彼自身の表現によれば、彼こそは、舞台の上でくつろぐことができる人間、すなわち、舞台人(Buehnenmensch)なのだ。
   彼のすばらしい多くのレコードの、どれひとつとして、その生の上演を全次元でとらえることはできていない。舞台上のペーター・ホフマンはオペラ体験を、単に声の威力に浸る行為を超えるもの、ある種の異化作用をもたらすものとして提供する。ハロルド・ローゼンタールは1980年、バイロイト音楽祭のワルキューレの録音に対する批評で、この現象についてほのめかした。ペーター・ホフマンの演技は、あまりにもわくわくして胸がいっぱいになるほど刺激的だったので、彼がいかにすばらしく歌っていたかということを、意識させなかった。純粋に聴覚的に、このジークムントは、間違いなく彼の最高の演奏である。
   舞台上のホフマンを見るとき、はじめてオペラを体験しているのだと信じてしまう。彼は突如目がくらむような光景を見せてくれる。瞬く間に時代を超越し、今現在、音楽劇がなし得ること、そして、音楽劇のあるべき姿を目の当たりにさせてくれる。
   彼を誹謗する者たちでさえ、ホフマンが訓練された役者であると同時に生まれついての役者であることに同意せざるをえない。この才能は、彼の内なる性格、すなわち、生まれつきの感受性、知性、そして、運動競技好きに由来するが、彼のキャリアを通して、ひたむきな情熱によって自分の技術をたゆむことなく磨きつづけている。ホフマン自身、その音楽学校教育で、実際的な舞台訓練をほとんど受けることができなかったと回想している。そして、最初の「沈むか泳ぐか」の時代だったリューベックで、演じることは自ら身に付けるしかないことに、すぐに気がついたと述懐している。デビューしたその年のうちに、すでに信じられないほどの進歩を見せたことが複数の批評を読めば明らかで、彼が自分一人で演技力を身につけることに成功したことは明白だ。1976年トゥールーズでのワルキューレを1975年のものと比較して、オペラ誌は、舞台上の彼は、昨年に比べて、俳優としての経験の浅さもぎこちなさも格段に感じさせなかったと書いた。
   ホフマンは自分の演劇的感受性は生まれつきのものだと感じている。歌手には、イメージする才能、演出家が望んでいることを理解する才能、つまり、演じる才能が十分あるものだと思ったと彼は言う。彼は、歌手にこの才能があれば、そして、仕事に没頭しようとして、完全に関われば、納得のいく、双方向的な交流のある舞台を創り上げることができるはずだと思っている。
   彼は役の勉強は常に台本から始めて、役の人物像を把握したと感じた時に音楽に移行すると明言する。深く考える注意深い演奏者として、ホフマンは自分の役を完璧に準備する。だが、彼のやり方は、スヴァンホルムがそうだったようには、何よりもまず理性的にということでは決してない。むしろ、知性と同じレベルで、感覚と心を通して、人物の全体像を理解しようとするものだ。身体を備えた人物描写は常に強烈で、外面的な表現は常に内面に由来している。この内面での自己同一視と安定感があるからこそ、 ホフマンは、ほとんどリハーサルなしの客演で演じることを楽しむことができるのだ。
   ホフマンの演劇スタイルはヘルデン・テノールの伝統において起こった全てを超越した、最高のものだ。彼は、シュノールやヴィッカーズの内面的激しさとスヴァンホルムの論理的で詳細にわたる準備、ヴィントガッセンやトーマスの心理学的徹底を統合する。それだけでなく、ホフマンはこれら全てに、独特の直感的な質感を加える。これが、彼の芸術を舞台を超えて、じかに触れることができるわかりやすいものにしている。観客の耳と心だけでなく、その内奥の自我の部分でも、観客に音楽劇を感じさせるこの能力こそが、彼の演技を、先輩たちのそれと区別する。実際、これこそがホフマンをオペラの演技の全歴史の中で、別格のものとしている。
   ペーター・ホフマンは考えを行動に、音を刺激的なコミュニケーションに、演劇を生き生きとした現実感のある人生模様に変える。ホフマンの放つ演劇的存在感の鍵は、いくつかあるが、その映画にも通用する魅力のある外見も大きい。彼は英雄的人物にふさわしい身体を持っており、この身体的特徴はエネルギーに変質する。彼の動作はまったく自然で、型にはまらない演劇的選択をする勇気がある。彼はローエングリンのNun sei bedanktを舞台の奥を向いて歌う気があるし、難しいWaelseの叫び声をしばしば両膝をついて歌うのを厭わない。彼はこれらの場合や他の数知れない芸当を声の美しさを犠牲にすることなくやり遂げるつもりでいる。なぜならば、現代のオペラにとって、納得できる、目にみえる要素は、声楽的要素同様、本物で人を感激させるものでなければならないことが彼にはわかっているからだ。だから、彼が創り出すことのできる細やかなニュアンスと、創造的なリアリズムのせいで、彼の演技は綿密に眺め回すカメラに耐える(これが彼のすべての役がフィルムにおさめられることをだれもが望む理由のひとつだ)。ホフマンの演技の独自性は現実的な細かい部分まで微妙な陰影をつけて人物像を描き出し、形作る能力にある。つまり、顔の表情、まなざし、心の微妙な変化を示す動作などだ。そして、同時にこれらの細かい微妙な変化を劇場の最も遠い席にまで届かせる能力だ。ジークムントを演じるとき、ジークリンデがはじめて彼の名を叫ぶときに、彼が彼女に対して一瞬見せた微笑みは、あまりにもきらきらと光を放ち、あまりにも内面的な喜びにあふれていたので、それは、メトのような4000席の劇場でさえ、さざ波のように広がる暖かい雰囲気の強烈な衝撃として、観客席全体に伝わった。
   彼の演劇面におけるもうひとつの特質は話し言葉を音楽と一体化させる人並みはずれた能力である。私もマリールイーズ・ミューラーと同じように、様々な年齢層の子どもたちに、ホフマンの公演をビデオで(あるいは、一度は実際のオペラ劇場で)見せるという実験をした。子どもたちは話し言葉と歌を全く区別しなかった。子どもたちにとって、その公演は非常に感動的で、全体としてひとつの劇であって、あまりにも没入したものだから、おそらく彼らが持っていると思われるオペラという演劇形態そのものにたいする偏見をすっかり忘れてしまったようだった。要するに、子どもたちは、すばらしい、理解の容易な演劇を見ていたのだった。
   こういう現象を見れば、ペーター・ホフマンの舞台上でのもの凄い集中力と聴く力が確かなものであることは疑いようがない。何も歌わないとき、何も言うことがないとは言えない。ホフマンはこう力説する。彼の舞台上での関わり方は全体的で完全だ。登場から退場まで、ペーター・ホフマンが衣装をつけ扮装して登場人物に変容したのだと感じる範囲を超えている。ほんの些細なことがすべて、まるで啓示のように何かを表わしている。例えば、メトロポリタン歌劇場の新演出ワルキューレで、彼が舞台の奥を横切って走り、再びドアのところに戻ってくる様子が、フンディングの小屋の裂け目を通して見えるのだが、ジークムントが実際に登場する前に、ジークムントが敗走していることが、心理的にも視覚的にもはっきりと示される。最初のカーテンコールでいつも彼の没入振りがわかる。その瞬間、彼はまだジークムント、あるいはパルジファルやローエングリンのままだ。そして、数秒、拍手喝采で彼は我に返る。
   舞台への最初から最後までのこういう完璧な没入がホフマンを理想的な共演者にしている。メルヒオールとは違って、パルジファルの一幕で食堂に座っていることなど、ホフマンには考えられもしないことだ。自分の役の人物に心理的になりきるために重要だから、代役を使わずに聖杯の場面を自分自身体験することは、個人的な贅沢なのだと彼は言う。過去の偉大なヘルデン・テノールたちと同じように、ホフマンも舞台で共演者の一人として関わることのほうを専門家気質を発揮するより重視している。共演者たちに対する彼の寛容さは良く知られている。ほとんど知られていない話だが、1979年バイロイトのローエングリンの最終日をキャンセルする羽目になったとき、具合が悪いにもかかわらず、劇場にやってきて、公演の前と幕間に、代役のジークフリート・イェルザレムを指導したという話は有名だ。(実際のところ、一部のジャーナリストは自分の都合に合わせて無視した)1987年バイロイト音楽祭開幕のトリスタンは、代役を見つけることができなかったため、インフルエンザによる発熱と吐き気と闘いながら歌った。確実にやれるし、キャンセル嫌い、献身的に100%以上のものを提供しようとするのだから、経営陣にも観客にもホフマンが好まれるのは当たり前のことだ。
   オペラの舞台上、ペーター・ホフマンは観客にやけどを負わせるほどの強烈な熱を発散することができる。彼は、少数の歌手にしかできないようなやり方で、舞台を超えて広がっていくことができる。観客に信じないという気持ちを保留にさせ、神話の世界に連れていくことができる。
   ホフマンの信頼性は大概の歌手のそれより高い。批評家である私も、こういう現象を一度ならず目撃した。観客は扮装している役者を見ているのだということを忘れ、登場人物がそこに現実の肉体を持った人間として存在していると思うのだ。そして、その運命がジークムントのように悲劇的ならば、観客はほとんど絶頂的な幸福感を伴うカタルシスを体験する。
   メトロポリタン歌劇場、1988年5月19日の公演について オペラ・インターナショナル誌に書いたことだが、観客のジークムントの死に対する感情移入の程度はもの凄くて、人々は叫び声をあげ、私の周囲には涙を流していない人はほとんどいなかった。
   クラウス・ガイテル Klaus Geitel は、1988年クプファー演出のワルキューレで、テノールが提供したまるで磁石のように人々をひきつけた魅力的な公演について、まさにホフマンの歌う役者としての真骨頂であったと断言した。ペーター・ホフマンだけがこういうこと、すなわち、身体で歌うという行為を為しうる。ここに、ワーグナーの舞台における彼の独自性がある。表現力豊な声で人物を描き出すだけでなく、その身体言語によってもその人物像を明確に示す。
   ペーター・ホフマンはどうやってこの演劇的魔法を産み出すのだろうか。彼も言っているように自己陶酔的な気持ちではなく、自分がしていることを本当だと信じることによって、自分のエネルギー、集中、理解、直感力、テクニックなどを、内面の熱い思いの中で鍛え上げることによって、役の人物と完全に創造的に同一化することによって、伝説は、そこに生きて存在するものになる。
   ペーター・ホフマンは、オペラはおとぎ話として受け止められることが必要だと度々発言しているが、ロック・コンサートでも、デボラ・サッソンの美しい歌につけた歌詞 Fairy Talesを歌った。Take my hand/ Holdon tight/ And we might/ Reach that horizon so far out of sight./ I believe fairy tales can come true,/ Now it's just up to you.
おそらく、明らかに矛盾するものが、ペーター・ホフマンの歌う役者としての成功の秘密には含まれているようだ。彼はヘルデン・テノールというものに不可欠のめったにないようなあの才能で、オペラの物語を保持しつつ、それを実際にそこに存在するものに変えてしまうのだ。
*****

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。