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11章 ジェス・トーマス-4/4 [WE NEED A HERO 1989刊]

11章:
彼のようになりたい:輝かしい存在感を放つアメリカ人:ジェス・トーマス -4

   ことばはそれにふわわしい行動を求める。歌唱において言語はまず歌手の心から湧き出る。心できくことこそが何よりも重要だ。
   これらのことばは、ジェス・トーマスの音楽劇に対する信念を表わしている。現代的な歌手、まさしくスヴァンホルムとヴィントガッセンの後継者であるトーマスは、その知性と詩情あふれる演技によって知られた。そのキャリアを通じて、声と演劇的な才能を結合して、洗練された人物像を創造した。1971年12月のトリスタンに関して、批評家のアラン・リッチはトーマスの演劇的な才能を評して、「この役において私が初めて目にした天才的俳優」という熱狂的な言葉を繰り返し発した。
   トーマスの貴族的な雰囲気、すらりとした体型、若々しく、男らしい外見は、温和な父親的雰囲気の英雄に慣れた人々にとって、すがすがしく新鮮な変化だった。トーマスはこういった利点を彼の舞台の真実性を増すために役立てる方法を知っていた。常に自分の外見に注意を払った。衣装のデザインや化粧を自分ですることも少なくなかった。自分が創り出す全体的な視覚効果に責任をもったのだ。時には非常に大胆でさえあった。たとえば、メトロポリタン歌劇場での最初のラダメス(ヴェルディ作曲 アイーダ)で、きわめて写実的なスタイルの短い丈のチュニックの上に数枚の長い外衣(ローブ)を羽織った。4幕までに、一枚ずつ脱いでいったものだから、ルドルフ・ビングは、5幕がなくてよかったとつぶやいたものだ。1970年代のトリスタンでも、3幕で、水泳パンツのようなブリーフを身につけたので、イゾルデ役のニルソンは、手の置き場に困ると笑いながら言った。こういう男らしさの誇示を自己顕示欲だと言った人たちもいたが、大概の人は、トーマスが演じる英雄たちが、トーマスが彼らに付与した適度な性的魅力によって、存在感を増したことを否定できなかった。威厳と気品しかないトリスタンよりも、ロマンチックで情熱的に見えるトリスタンのほうが納得しやすいのは間違いない。
   トーマスにとって視覚要素と聴覚要素の完全な合体によって納得できる全体像を描き出すことこそが重要関心事だったのは間違いない。舞台での動作は、ヴィンドガッセンに比べても、より写実的だった。トーマスもヴィーラント・ワーグナーと共に仕事をし、この演出家から教えられた優美さと貴族的な節度を身につけていたけれど、トーマスは様式化よりは、演技を重視する方向へ向かう傾向がはるかに強かった。少年ジークフリートの歩き方を再現するてめに、幼い息子の歩行を注意深く観察したことがあった。人物を表現する身体の動きを常に追究していた。そして、身体の動きを細部まで写実的に示すスヴァンホルムのやり方とヴィントガッセンのやり方の心理的な要素を結合し、現世代歌役者へのスムーズな橋渡しをした。これこそがトーマスのすばらしい業績である。
   スヴァンホルムもそうだったように、トーマスも自分の演技のやり方に独自のものを持っていた。もの凄く知的、かつ分析的で、ヴィーラント・ワーグナーのような演出家と議論したり、パトリス・シェローのような専門家と本気で対話したりすることをいとわなかった。しかし、そういった議論が、共同作業の一員として彼に求められることを全うするのを妨げることはなかった。彼は、最も現代的な意味で、自主的に参加するタイプの演技者であり、仲間と協調して行動するチームプレーヤーだった。
   トーマスの演技法はその心理学の知識とその深い音楽性によるところが大だった。彼が言うには、ひとつの役は常に音楽から始める。つまり、台本に集中する前に、その全体像と声楽的条件とを研究する。これこそがおそらくトーマスの描き出す彼独自の人物像が、まず第一に叙情的歌唱の美しさ、それから、写実的な動き、所作、そして、心理学的表情づけ、最後に歌詞の朗唱という優先順位を持っているということの理由といえよう。卓越した歌手ならだれでもこの三つの要素を合体させなければならないが、その混合の具合は個々に違うもので、これこそが歌手たちの個性になるのだ。トーマスのやり方は、言葉は彼にとって重要でないという意味ではない。むしろ、彼の仕事が与える衝撃は、聴覚と視覚が互いに呼応しながら合体するところから発しているということだ。(まず第一に言葉、次に動作、最後に音楽的美しさに重きをおいたため、一番強い印象が知的ということだったスヴァンホルムのような歌手と対照的である) トーマスの舞台での特性は、外見のスマートな活発さ、男らしさ、性的魅力と、対照的に天上的な純粋さと輝きを持った声の合体から生じている。トーマス自身、ワーグナーの作品の官能的側面を認めて、こんな冗談を言っている。「もしリヒャルト・ワーグナーが、彼の音楽で示した半分程度、ベッドでもよかったとすれば、やはり彼は巨人だったにちがいない」 しかし、さらに彼はまじめな調子で付け加えた。「ワーグナーの音楽は満たされない憧れを含んでいる。この憧れのせいで、彼は性的な気まぐれより精神的な情熱に身を任せたのだと思う」 実際のところ、肉体的情熱と精神的情熱、この二つの間の緊張関係こそが、ワーグナー理解には肝要で、ジェス・トーマスこそがこの逆説を見事に伝えたと言える。
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