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11章 ジェス・トーマス-2/4 [WE NEED A HERO 1989刊]

11章:
彼のようになりたい:輝かしい存在感を放つアメリカ人:ジェス・トーマス -2

   私は人生の本質的な真理を芸術のうちに見つけた。ジェス・トーマスは自分の職業について、こう述べている。彼は、劇場での三十年を越える年月を振り返り、ローエングリンをその音楽の道程のシンボルと捉えている。作曲家の音楽に生命を与え、聴衆に喜びをもたらすという、歌手の使命を、聖杯の騎士の聖なる責務に比している。個人的幸福を軽視し、それを失う悲しみさえも含む、芸術的苦悩を、ローエングリンの地上の至福に対する個人的な夢の喪失の間には類似点があるとし、音楽を、エルザ、すなわち、深く、霊感を持って、愛する芸術の女神、ミューズであるとする。トーマスがこの役に感じている親近感は、当然、彼自身とひいてはその観客が、彼をこのテノールの役と同一視する傾向を助長した。ローエングリンを演じるトーマスの放つ神秘的な輝きは、彼自身の音楽そのものに対する尊敬の念による部分が大きい。彼は、大自然、人類、そして音楽の中に、私は私の神を見い出す。芸術の中に、神と強烈に引き合う個々の関連性を確信する。 と述べている。音楽のキャリアを追求しようと決心したことによって、彼の人生は変容を遂げ、豊かなものになった。そして、彼は芸術の女神、ミューズの前で、芸術と観客に対する責任を喜びとして感じつつ、寛大な心を持って、謙遜に感謝を表す。
   ヘルデンテノール専門のアメリカ人として、たまたま住むことになった環境とは文化的に大きく異なる環境の中で育った子どもとして、比較的遅くこの職業についた歌手として、ジェス・トーマスは克服すべき幾多の障害を抱えていた。彼が大きな決断力とエネルギーをもって成し遂げたこと、そして、他の若いアメリカ人歌手に対する予断と認識を大いに変えたことは、彼の個人的な勇気に対する見返りだった。トーマスの目的に対する熱意は芸術全般に対する関わり方に非常によく示されており、新世代の歌手を形成した総合芸術への取り組みとその人間性が、おもいやりのある歌手仲間との関係にあらわれている。バイロイト仲間であり友人であったヴォルフガング・ヴィントガッセン同様、ジェス・トーマスもアンサンブルを重視し、公平さや協力関係、そして思いやりを尊重した。こういうことは、あの偉大なドイツ人テノール、ヴィントガッセンが常に実践したことだった。トーマスは自伝の中で、ヴィントガッセンのトーマスに対する寛大さをいくつかの例を挙げて語っている。ヴィントガッセンが、ヴィーランド・ワーグナーがトーマスに約束してあったテレビ放送されたマイスタージンガーの公演でそれと知らずに歌ったことに気がついて、後で、タンホイザーと他のもっと重い役に取り組もうというトーマスの決心を支援したことがあった。何が起こったかに気がついたヴィントガッセンはすぐにトーマスのところに来て、知らずに悪い事をしてしまったことを謝った。トーマスはヴィントガッセンの真摯な態度に応えて、(他の人たちがやったように)抗議のキャンセルをせず、残りの契約を守った。二人のテノールはこの出来事の結果、親友になった。ヴィントガッセンと同じように、トーマスも信義に厚い人間だった。殊に契約に関してはそうだった。そして、仲間が芸術的にしろ、個人的にしろ困っているときには喜んで手助けを買って出た。トーマスは何度かトリスタンのカバー歌手をすることによって、ヴィントガッセンの親切に報いた。彼は病気の仲間にも気を使った。例えば、いつだったか、腕を骨折したにもかかわらず、彼女の同僚のせいで神々の黄昏を歌わざるをえなかったビルギット・ニルソンに、ルーネ文字を刻んだ槍の代わりにこの腕輪をおくりますという言葉を刻んだブレスレットをおくったとき、そうすれば、ジェスの責任になるだろうと妻に話した。 共演者に対して、親切で楽しい存在、鑑賞眼のある人、彼のキャリアに関わり、支えてくれる全ての人たちに対する感謝を言葉と行動で積極的に表現する。トーマスは手に入れた名声と幸運を感謝していた。さらに、彼は苦労している他の芸術家を援助するのは義務だと感じていた。一番劇的な例は勉強の終わりの時期のペーター・ホフマンに対する援助だった。トーマスは謙遜にもこの話を自伝に書いていないが、ホフマンはトーマスがホフマンの音楽学校終了から最初の仕事までのしばらくの間、どんなにかホフマンと妻と二人の幼い子どもたちを支えてくれたかを語っている。
   ホフマンは、彼の才能に対するトーマスの信頼を回想して感謝すると同時に、勉強が終わって、軍隊の退職金も使い果たして、最初の契約を待っており、もうどうやったら家族を養えるかわからなかったとき、ジェス・トーマスはアメリカから毎月送金してくれたと語った。トーマスは、はじめからうまくいくという勘が働いていたのだ。しかし、私にとって、それは非常に強力な予言であると同時に責務だった。
   このような寛大さこそがジェス・トーマスの性格だった。正直で、剛毅、明快な自意識の持ち主。自分自身の苦労を忘れない人。自分を助けてくれた人を忘れることがない。関わった仲間たちを大事にすることを忘れない。その非常に開放的な性癖は、小さな町の出身という親しみやすく、気のおけない率直さと、その頭の回転の速い、鋭い知性と分析的な素質に由来することは疑いない。その「隣の男の子」的人格の持つ誠実な人柄の暖かさは人間の行動、すなわち、彼自身の行動、彼の知人たちの行動、彼の演じる役の行動に対する心理学的洞察と結びついて、非常に明確で、近づきやすい、非常に鮮明な個性を形作っている。少年時代の彼の、芸術、スポーツ、学問に対する強い関心のありかと才能のいぶきが円満な大人となる基礎となっている。そして、力強い、感動をもって反応する人生の捉え方が彼の芸術を彩っている。
   ジェス・トーマスの陽気で機知に富んだユーモアのセンスは、そのキャリアにも、自伝にもあふれている。彼は好んで自分を笑い飛ばす。自伝は、彼の劇場での失敗話でいっぱいだ。多くは舞台上のちょっとした災難もどきが中心だ。ジークフリートがさすらい人の槍じゃなくて、ノートゥングを壊してしまったときのこととか、アントニオとクレオパトラで、馬が舞台中央のプロンプターボックスの上に立たないようにするために孤軍奮闘した話などだ。他には、キャリアの初期に経験した滑稽な言語上の苦労を自嘲する話の数々だ。トーマスは中西部出身者として、短期間にドイツ語を習得するのは容易なことではなかったと自ら認めている。一度ならず、フロイド的な意味を持つ発音間違いで、共演者や指揮者を当惑させた。例えば、カールスルーエのワルキューレのリハーサルで、トーマスのジークムントは、フンディングにすごむのに、Seine Schneide schmecke jetzt du! (さあ、剣の切れ味を知るがいい!)と言うかわりに、Seine Schnecken schmecke jetzt du!(さあ、カタツムリをたっぷりくらえ!)と言ってしまった。別のところでは、Sank auf die Lider mir Nacht(夜が私のまぶたを覆った)というところが、彼の発音では、Sank auch die Glieder mir nackt(私の仲間たちも裸で沈んだ)と聞こえた。そして、トネリコの幹からノートゥングを引き抜いて、ジークムントが勝利の言葉を歌ったとき、まさに自己同一性の崩壊を示唆してしまった。つまり、Siegfried heiss'ich und Siegmund bin ich!(今こそジークフリートと名乗ろう。我こそはジークムント!)と宣言してしまったのだった。それでも、どんなに苦労しても、時にはへまをしても、最終的に正統的なドイツ語の発音とイントネーションを身につけたからこそ、トーマスは世界的なヘルデンテノールになれたのだ。
   トーマスが成功したもうひとつの要素はその断固とした性格にあった。協調性と頑固さの結合した忍耐強さである。トーマスは、自尊心と本質的な公平に関わるとあれば、難しい取引を遂行することができた。ウィーンの提示した最初の契約を、最高の地位を約束するものではないということ、そして、彼の目標と彼が達成する用意があった水準は彼をその仕事において最前線に置くべきものだという理由で辞退した。ルドルフ・ビングとも、長い時間をかけて話し合い、一級のヘルデンテノールとして自分が選んだレパートリーを受け入れさせることに成功した。しかし、役と契約内容を思い通りにすることが、トーマスの芸術に対する愛を損なうことは決してなかった。喜びの瞬間は、金銭によっては報われないこともあると、テノールは述懐する。そして、時にはベストではなかったときに、報酬を返すべきだと思ったこともあると控えめな態度で付け加える。そして、考えてみれば、芸術の女神から非常に多くの恵みを得たのだから、報酬など全然もらうべきではないのかもしれないとも言う。カールスルーエでの最初の重要な役だったフロレスタンを歌ったときの気持ちを、トーマスは謙虚に回想している。
   (フロレスタンの最初のアリアのあと)床にうつ伏せに横たわりながら、涙が流れるに任せていた。誰一人私の感謝の気持ちの大きさを知らなかった。それは、この音楽を感じ、表現する事ができるという、そして、ほんの少数の人間にしか与えられない成功を共有するという、大きな恩恵に対する感謝の気持ちだ。

   こういう不思議の感覚は彼の職業生活を通じて消えることがなかった。そして、これこそが、その輝きを生み出すのに必要な、ある種の精神性を彼に付与したのだった。
   6フィート3インチ(約190cm)、190ポンド(約86キロ)のスポーツマンタイプの魅力的なテノールは、その優雅さと外見の良さを、その才能と共に、すばらしい贈り物として、フットライトを通して観客に届けた。スヴァンホルムと同じように、トーマスの歌唱への取り組み方は、知的かつ完璧だったが、スレザクと同じように、独特なあたたかみを発散していた。歌手は皆、拍手喝采と賞賛を必要としていると、トーマスは書いている。私たちは皆子どもだが、それは観客とのコミュニケーションの輪の中に入るのに必要なのだ。カーテンコールは、トーマスにとって、特別の儀式だ。彼は一人ずつの挨拶を認める劇場が好きだ。そして、そこで、彼は、花や贈り物を投げる無数のファンたちと深い愛情を交歓する。生の舞台における思いやりのある、双方向的な交歓のエネルギーあふれる応酬こそが、トーマスのオペラへの愛情をかき立てるものだった。
   舞台で演じることを観客が共感するものにするトーマスの能力は、おそらく何にも増して、彼の統一がとれた人間性によっている。トーマスは、自分の強さと弱さを批判的にみることができる、現実的な自己認識のできる、地に足のついた芸術家だった。自信をもって、心を開き、経験から学ぶ、本質的な関係と事柄に集中する人間だった。様々な関係の中でもっとも重要なものは家族との、すなわち、三人の子どもと、何よりもヴィオレッタとの関係だった。トーマスの二度目の結婚が彼にもたらした幸福と安定が精神的よりどころを成した。レオ・スレザクの妻エルザに対するあふれんばかりの愛情告白と同じように、トーマスの自伝の中でも、ヴィオレッタとの関係に関するロマンチックな話が、繊細かつ深い感情をもって語られている。
彼自身が認めているように、彼の二度目の結婚は彼の人生に全く新たな次元をもたらした。そしてそれは彼の舞台と人間性を豊かにするものだったのだ。
   彼の話と仕事仲間や友人たちの話から判断すると、トーマスの感情にある非常に活気にあふれた性質は、職業生活で生き生きとしたコミュニケーションを実践したのと同様に私生活の特徴でもあった。キャリアを通じて本質を見失わないという能力を持ち続けた。感情を共有すること、自己の心理的鋭敏さをより普遍的な経験と結びつけることができた。一貫性のある人間、演技者、個人、仮面をつけた人物であることがトーマスの歌唱に、人間的な深みを与えていた。
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