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ただ単に•••7 [1983年刊伝記]

このような人生はいずれにしてもあまりにも短すぎる
 私がやりたいこと全てをよく考えれば、時間は全く足りない。一年前、馬に乗るという考えがわいた。大きな間隔をあけてたまにしか、ちゃんと家にいることはめったになかったから、およそ十時間の乗馬時間をとった。先生は優秀だった。なぜなら、彼は重要なことだけ説明してくれたので、それに基づいて進むことが出来たからだ。スポーツマンとして自分の身体を通しての体験から、私は歌手として、歌うことは、歌うことによってしか、乗馬は馬に乗ることによってしか学べないと思っている。それに加えてたくさん本を読んだ。物事に基礎知識無しで取りかかるのが嫌だからだ。簡単な例を挙げると、小勒を馬の歯の間に押し込むとき、その物を何と呼ぶのか知らないのは、しゃくに障るだろう。それを知らなくても、何の問題もなく、乗馬は可能だ。が、しかし、そういうことについてだれも私をテストしたりしないことはわかっていても、そういうのは落ち着かない。私がきちんと知りたいのは、最終的に確実な自立に導いてくれる事柄である。
 今は、ギャロップで気違いみたいにあちこち走りまわるところまできている。そして、私は、並行してさらに別のクラスをとったり、すでに以前に乗馬の経験があったりはしないという私の話を、先生は信じてくれない。非常な速足にうまく合わせているとき、おそらくその最高の難しさが私を途方もなく刺激した。そういうのを私は必要としないし、軽快な速足で走ることもでき、そのほうがより美しいようにさえ思われるにもかかわらず、すぐに把握できなかったことが私をいらいらさせのだ。私はいつも、何が起こっているのか、すぐに知りたい。そして、それが私にとって一番楽しい。はじめの物凄い筋肉痛のあと、相当長時間休むほうが楽なのは明らかだ。最初の乗馬の授業の後、熱いお湯を何度も筋肉にかけながら、湯舟からほとんど出なかったほどで、つらいだけかもしれなかったが、翌日すぐに続けて二時間の授業をとった。私としてはやめる理由はなかった。これが何か奇妙な性格なのか私にはわからない。
 だが、私は自分自身を完全に良い評価を与えることができるし、ある状況のなかで、私にとって本質的なことを見分けることができる。しかし、だれもがこの自己究明の課程を通っているわけではない。従って、この出来事の場合だけに見られるのではない私の完全主義的傾向は、私の周りの人たちにとってはかなり迷惑なのだ。だれかがこういう類の力を示さないとき、それが私は理解できない。無意識に他人にもこういう完全主義を要求しているが、これは確かに誤りだ。私はもっぱらスポーツを通じて、自分自身を観察することを習得する十分な機会を得たが、それは私には育成するべき目標として適切な戦術だった。その結果、だれかが馬に乗りたいと思いながら、実行しないと言うことが理解できないというわけだ。そのための資金を調達できないという理由でやめるというのは、わかるが、才能がないからというのはわからない。
 目下のトリスタンの習得の場合のように、ただひたすらひとつのことにかじりついていることもできない。一ヶ月ひたすらトリスタンだけ? そんなことは、私にはできない。平行してロック・レコードの準備をしている。半日はクラシックで、半日はテレビのショー番組の準備というリズム。これはかなりの量だ。そのために、少し前から、いつもよりずっと早く起きている。ようやく十一時に、一日をはじめれば、一日はあまりにも速く終ってしまう。今は時計が十一時を告げるときには、すでに数時間起きている。最近になってようやく自分自身気がついたことがある。それは、時間があまりにも少ししかないということだ。この焦燥感が必然的に規律をもたらした。しばらくの間はまずこの焦燥感に身をまかせていることもできるだろう。しかし、私はむしろただちに、どうすればこのパニック状態を回避できるだろうかと、問いかけたい。パニックの原因は、時間が足りないことだ。それならば、一日により多くの時間を与えることだ。では、どうやって時間を増やすのか。早起きすることだ。睡眠は何と言うかある意味でとんでもない時間の浪費だ。普通より早く起きて、それでも、夜は遅くまで良いコンディションを保てるように訓練することは可能だ。夜、舞台に立って、その時一日のうちで頂点に達しなければならないときは、違ってくる。その場合は、別のリズムが必要だ。
 しかし、1981年のバイロイト、この夏、記憶にあるのは数日か、一週間だ。バイロイトでの最初の夏はもっと長かった。その時は六月ではなく五月にけいこがはじまって、一日中祝祭劇場にいた。食堂が第二の我が家だった。幾人もがこういうことは初めてだった。だが、今は、祝祭劇場にはあまりいない。二年前に、十人の歌手が小さなオートバイを買った。自由時間に、オートバイで、その辺を走りまわる。もの凄く楽しい。休暇気分。だれも役を覚える必要はない。ねたみも生じない。劇場でのようではない。劇場では、幾人もが押し合いへしあい、ひじで押し退けて、注目されようとしている。ここではそういうことはまったくない。だれもが自分の契約があって、するべきことをはっきりと知っている。こういったよい雰囲気から、次の仕事への力を得ることができる。
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