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ただ単に•••11 [1983年刊伝記]

時間
 時間は私にとって最高に重要な財産になった。数日自分の家にいて、何もしなくてもよければうれしいのだが、案の定、朝から晩まで駆け回って実際、家でしかやれないことを済ませなければならない。だが、じきにしかたなくやめることになる。そうしなければ負担がかかりすぎることになる。
 それでも、当然郵便には目を通したいのだが、家に戻ると、そこに5000通の手紙が置いてあれば、やる気も萎えざるをえない。一日中座り込んで、返事は書かず、読むだけで、600通がせいぜいだ。手紙を読むことがどんなに大切かということは、読めばすぐにわかる。時には、その手紙が注目されることは、私にとってではなく、書いた人にとって、重要だ。大勢の人が私の返事を期待している。だから、私は大勢の人の共有財産になったわけで返事をする義務があるのかどうか、否応なく決めなくてはならない。こういうことをすれば、その結果、私には私的な時間はないも同然だ。テレビの人気によって、この傾向はものすごく強くなった。私は、人々が私が好きだということ、つまり、人々の喜びと、まだ残っている私生活を守るために為すべき抵抗との間で、板挟みになっている。知名度は、私の職業においては、バロメーターであり、可能な限り本人だとは見破られずに生活するために、この職業に就いたわけではないのはその通りだ。今、だれもが手にいれようと努力するものに到達した今、その結果について、不平を言ったり嘆いたりすることはできない。落ち着きを保つようにしようというわけで、きちんとした計画に従って事を進めようと決めた。これが難しい。手紙を読むために予め二時間取っておいて、きちんと読んでいたら、四時間手紙の山の上に座ったままで、その日の予定の残りに関してはもう時間が足りなくなる。オペラファンとポピュラーファンと、どちらがより多く手紙をくれているのか、正確に別々に分類することはできない。私としては、私に喜びをもたらす音楽によって、娯楽音楽とクラシック音楽をブレンドしたいのではなくて、とにかく聞き手の幅を広げたい。このことは、レコードに対しておよそ7000通受け取った手紙によれば、成功だった。このレコードは今までに(この対談は1983年復活祭に行われた)約700,000枚売れたが、これに匹敵する他の枚数に比べても、相当注目に値するものだった。(1982年1月に、ルチアーノ・パヴァロッティの「聖夜 オー・ホーリー・ナイト」が500,000枚の売り上げ数を獲得し、同程度の記録はマリオ・ランツァの「偉大なカルーゾー The Great Caruso」が達成した)

 「音楽劇世論調査(企画調査機関による1975年)によれば、ドイツ連邦共和国におけるオペラの観客の54 パーセントが基幹学校(=中学校)卒業者である。この結果は少なくとも、オペラを安易にエリート的な事業として推進することはできないということを示している」(ヒルマー・ホフマン)

 それ故、新聞の批評は結局のところ重要ではない。だれでもが気に入る歌を歌うことはできないのは当然だ。法律にしろ、映画にしろ、オペラの演出にしろ、だれもが気に入るものを生み出すことなどできはしない。最前列に幸福な十人の人が座っているが、そのすぐ横には、すぐさま眠り込み、もう三度もオペラグラスを落としている男が座っている。ポップスのショーをするようになってから、マスメディアに登場するやいなや、評価は完全にまちまちの結果になるということがはっきりとわかった。
 ある雑誌が書いたように、ショーは私にとって余暇的仕事だというのは、もちろん正しくない。それどころか、この分野の仕事を私は物凄く大切に思っている。ショーでのしあがろうと試してみれば、どれほど格闘しなければならないかということにすぐに気がつくことになるだろう。
 二つの異なるレベルの音楽をやり抜く上で、なぜショーが私にとって大切かということに簡潔に答えれば、こういうことだ。ねらいどおりの効果を達成すること。私はすでに、自分の周囲の人々の中から、私が好ましく思う人や、まだオペラに行ったことのない人を大勢公演に招待している。そして、それによっていまもなおねらい通りの成果を得ている。
 話の順序を戻すと、私のレコードがきっかけで、子どもたちと再び話ができたと親たちが語っている、たくさんのお礼の手紙を受け取った。こういうことがなければ、親たちにとって、ポップスは、その「騒音」について文句をつける単なる原因にすぎなかったのだ。それが、今、とにかく自ら耳を傾けたところ、ちっとも悪くないということに気がついたというわけだ。
 こういうのはすばらしいと思う。自分の人生において、肯定的なことを実現させる以上に、いったいどんなよいことが達成できるだろうか。

  「結局のところ、問題はエネルギーであり、エネルギーは情報であることが判明するだろう」(カール・フリードリヒ・フォン・ワイツゼッカー)
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 問題は歌手である。エネルギーを費やすその声だ。そのエネルギーによって歌手が表現できることは、問題のなかでそれ以上は表現できない事柄に関する、私たちに向けた彼の情報である。
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