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ただ単に•••2 [1983年刊伝記]

・・・後は、ただ漫然と閉じこもっている
   歌うには力が必要だ。力がなかったら、どうするか。精神的に落ち込んでいるときは、どうするか。賢明な格言がある。私はいつも「東の中国の」言い伝えだと言っているが、きちんと確認したわけではない。『私が一時間微笑んでいれば、あなたもまた心の中で微笑む』 気分に関係なく、微笑むこと。耐え抜く一時間は途方もなく苦しい。しかし、それを試してみたところ、それやり遂げることができた。そして、それは効果があった。何だか変な感じが忍び込んで来るのに気がついたら、私は、まずは、プールで50コース分、泳ぎ抜く。(その時、ホテルでも、家でも、ほんの目と鼻の先にプールがあるという利点を享受している)その後でマイナス状態が突然のように終っていることが多い。確かに、隅っこに座って、私に起こっていることについて、じっくり考えることもできるだろう。だが、それは、気分転換をはかるには骨の折れるやり方で、私には合わない。身体を動かしての間接的な試みのほうがいい。
 もちろん、時にはだらしなく気ままに過ごしている。知らない町に客演した場合、なんだかんだの招待に出かけて行こうという気はなく、ホテルでつけっぱなしのテレビの前に座っている。すでに相当長い間、つけているものだから、テレビ受像機は燃えださんばかりで、目は四角になって、頭はいっぱいで何も考えられない。これは、もうとてもたまらなくなって、穴蔵から這い上がるべき時だ。休みが四日もあると、何か有意義なことをしようとして、生理的にひどく疲れる。精神的な落ち込みがおこりそうな気配がするが、だれも私を制御してくれないし、だれも見張っていてはくれない。何か反対のことをしている。
 他人に対する思いやりがあれば、何も要求しない人に無理強いしたりしないものだ。朝食の時間が過ぎても、寝ていたら、お昼の12時になるだろう・・・
 だから、つまり、そういう傾向の日が近づいているのがわかればいいのだ。出ておいで、山盛りの朝御飯だよと呼んでもらって、後は、ただ漫然と閉じこもっている。そういう時、窓の外を眺めたら、さらに陰うつな感じで雨が降っていたりしても、やっとの雨で、自然も一息ついているなどとはもちろん思わない。田舎にいると、大都会にいるより、そういうことがよくわかるのは当たり前だ。都会では、目の前に自然があっても、すでに自然はほとんど目に入っていない。
  こういう一時的状況を嘆くつもりはない。超過密の予定表について、苦情を言う権利もほんのちょっとしかないのと全く同じだ。目下乗り切らねばならないことをやるだけだ。それでも、時には、突然、全てが重くなる、本当に苦しくなる・・・
 特別な地点に到達すれば、その後のことはあたかも自動的に生じると信じている人が少なくない。それは逆で、どうしても成功したいという気持ちがいくつかのことをさらに困難にする。決まった日に決まった場所に最高の状態でいなければならない、他の多くの職業ではこういうことは重要ではない。オフィスの仕事なら、四日か五日、あるいは六日でも、最高の状態かどうかはどうでもいいことで、七日目に調子が戻れば、十分に間に合う。しかし、よりによって五日目に公演が待っていたら、それが一体何の役にたつのか。
 オペラというものは、ライブで、起こりうる失敗と紙一重のところで、準備万端お盆に載せてうやうやしく差し出されるのだ。大体において、さあ、とにかく難しいところだ、ああ、神様、キャンセルしたほうがいいんじゃないかなどと自問する日が幾日もある。病気になるかな。それはクロスカントリーの場合と似ている。実際のところいったい何を悩んでいるのだろうか。全力を尽くしての困難なエネルギーの集中なしでも、全ていとも簡単ということもありうると思う。弱気の虫はしつこくつきまとって、なにがなんでもあきらめさせたがっている。私は自問する。何故、私は頑張るのだろう。まず第一に、自分がそれを克服できるということを、自分自身に対して立証するためだと思う。スポーツの場合も同じだ。森を抜けて走っていて、二キロのところで棄権したいと思って、それができれば、その時はそれを隠さない。だれもその場にいなければ、後で、十キロ走ったと、全く同じように簡単に言うことができるだろう。しかし、そういうことは私にとって、気分のよいことではないことはわかり切っている。そういう瞬間に決心する。さあ、あと五キロだ。やり遂げれば、すごく気分がいい。弱気を克服したのだ。これこそが飛躍の瞬間だ。なぜなら、その後の自分が好きだからだ。こういう良い気分の故にのみ、自分自身に与えるこういう愛撫の故にのみ、成果をあげたいのだろうか。できるとしても、こういうことを徹底的に考えたことがない。なるほど、私としては、可能なことはすべて意識化しようと試みているが、しかし、幾つかのことはそうでもない。意識的に物事を無意識のままにおいておく。もちろん思考停止ではないのだが、物事をあれこれとつつきまわさない。もしかしたら、それはこの本の仕事にとっていくつかの部分で必要だったのだろうか。だが、自分のためでも、他人のためでもなく、だれでも全てを明るみに出す必要はない。幾つかは「深い眠り」のうちにおいておくほうがよい。
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