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24)ハンブルク:オペラ座の怪人 [2012年刊:フリッツ・ホフマン著]

p.143ー151

 ペーターがハンブルクでオペラ座の怪人としてはじめて舞台に立つまでには大変な準備が必要だった。あらゆる詳細事項がすっかり決まるまでの長期間に渡るプロデューサーのフリッツ・クルツとの契約交渉はハンブルクあるいはロンドンで行われた。そして最終的に分厚い契約書の膨大な量の契約にサインすることになった。アンドリュー・ロイド・ウェバー社、すなわち、"The Really Useful Group"も発言権を持っていた。どんな小さな事も契約にきちんと書いておかなければならなかった。

 ハンブルクのオペラ座の怪人についてはほとんど言い尽くされ、書き尽くされているので、ここではハンブルクでの小さな体験にしぼろうと思う。

 1990年6月、ついに準備ができて、パリオペラ座の地下墓地への幕がノイエ・フローラ劇場において初めて開いた。この大劇場はオペラ座の怪人の為に建てられたのだ。プロデューサーのフリッツ・クルツがペーターと私と共に工事現場を初めて一巡したときにはこの巨大で複雑な建物にはまだ屋根さえなかった。

 初日の左翼過激派による暴力的な反対活動は今でも全く理解できない。

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国から補助金を得ているドイツの他の劇場と違って、ハンブルクのオペラ座の怪人は完全な独立採算だった。建物の建築資金は大勢の投資家から調達されたもので、税金は必要ではなかった。あの時彼らはただ単にデモ行進のために通りを進んで、その結果、初日を妨害するのを楽しんだにすぎないように思う。この日、私は劇場の安全な敷地内にすでに着いていたのでよかったが、公演の後、私より数メートル前にいた一人の女性来場者が大きな外階段で運悪く転んだとき、通りにいた覆面をした過激派たちが拍手喝采してはやし立てたのを覚えている。

 初日のずっと前にハンブルクでの長期間のリハーサルが始まったので、私はまたペーターと自分のための住まいを探した。最初の6週間はハンブルクのアルスター湖のすばらしい景色が眺められるアトランティックホテルの小さなスイートに泊まった。親切なホテル支配人が私の求めに応じて個人用のナンバーを持ったファックス機をすぐに用意してくれたので、私は自分用のミニオフィスを設置できた。私たちの滞在終了時には真鍮のプレートが入口のドアに取り付けられた。これには『怪人スイート』と書いてあった。

 アトランティックホテルは居心地が良かったけれど、ペーターと私は街のちょっと外で暮らすほうが好きだ。数えきれないほどの不動産屋を回った末についに、夢のようにすばらしいエルベ河の眺めと美しい砂浜がある静かなファルケンシュタイナー海岸のブランケネーゼ地区にある広い家を見つけた。ここに新しい建物を建てることは許可されなかったため、そこには数軒の家があるだけだった。ここの少人数の住民以外は、狭い川沿いの道を車で通る事は禁止されていた。

 私たちはすぐに静かなレクリエーションの場所も見つけた。テラスから、水着姿の若者たちがビーチバレーをするのを眺めることができた。夏はちょっとした海岸でのパーティーの間、ひとつかふたつのキャンプファイヤーが燃えていた。そんなことがなければこの海岸はより瞑想的な雰囲気で、それはよかった。夏の間だけはまるで南の国の保養地みたいだった。

 ごく近所に私たちの友人のオットー・ヴァールケスが住んでいて、頻繁に会った。実際、ここでは完全にリラックスできた。夜明けに裸足で長い海岸の柔らかい砂の中を歩くのは何にもまして最高だった。

 加えて、ペーターは近くのファルケンシュタイナー・ゴルフクラブのゲストメンバーだったので、朝食の後、一人で一周した。しかし、しばらくすると、大好きな馬に会いたくてたまらくなって、一頭をハンブルクに連れて来ることに決めた。幸運なことに、私たちの住まいから石を投げれば当たる距離のところにある、納屋に馬を入れることができた。だから、天気の良い日には、朝ブランケネーゼの砂浜に登場するオペラ座の怪人を度々目撃できた。もちろん仮面なしで。

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 夜11時ごろ、たくさんの明かりをつけた巨大なイギリスのフェリーが居間の大きな窓の外をゆっくりと通り過ぎる眺めもすばらしかった。目には見えないほど遠くにあってさえ、船のエンジンの響きがつま先に感じられた。

 こんな風に言うとまるで最高の休暇のように聞こえるが、ペーターはハンブルクでオペラ座の怪人として300回以上舞台に立っていたことを考えれば、常に最高の成果をあげるためには、十分な気分転換がとても重要だった。実際ペーターはほとんど毎日、午後4時から化粧係によって大変な苦労の末、オペラ座の怪人に変身させられていた。

 公演後、私たちはいつも歓楽街のレーパーバーンを通って家に帰っていたにもかかわらず、名高いハンブルクの夜遊びを経験することはなかった。ペーターは帰り道でブランケネーゼのファルケンシュタイナーの土手にある小さなゲストハウスに立ち寄るのが好きだった。そこには世界一のローストポテトがあった。そこからエルベ河畔の私たちの住まいまで数メートルしかなかった。友人のリュディガー・コヴァルケの漁港レストランにもよく行った。そこでは公演後、すばらしく美味しい夕食を取って、リラックスした雰囲気で夜の時間を過ごすことができた。それから、アルスター湖にはものすごく感じのいいイタリア人パウリーノのレストランもあった。彼はいつもペーターの訪問を喜んで、すぐにペーターが大好きなパスタを出してくれた。

 オペラ座の怪人の公演は何週間も前から売り切れだった。ペーターとクリスティーン役の共演者アンナ・マリア・カウフマンとがとてもすばらしく調和していたのも間違いなくその一因だった。二人は外見がお互いにぴったりだっただけでなく、声も卓越していた。何ヶ月にもわたってしっかりした友情を育て、現在にいたるまでアンナ・マリア・カウフマンと私との連絡は途絶えていない。彼女のすばらしいキャリアはハンブルクでのクリスティーン役で始まったのだ。

 初日の数週間後、数人の観客が私に近づいてきた。彼らは劇場のホワイエでペーターのCDを買いたかったのだが、アンドリュー・ロイド・ウェバー社の"The Really Useful Group"が認めている販売戦略にそった製品のみ購入可能なのだと言う理由で手に入れることができなかったのだった。私たちのレコード会社であるソニー・ミュージックはまさに競争相手だった。従って、ペーターのオペラ座の怪人のCD以外は彼の音楽ではないというわけだ。私は前からこの問題についてはちょっと腹が立っていた。

 ボックスオフィスの真向かいのホワイエの前の場所に小さな売店がいくつかあった。私はそのひとつが営業していないのに気がついた。すぐにこの30平米の狭い場所にペーターの音楽だけの店を開こうという斬新な考えがひらめいた。私と劇場支配人ベルンハルト·クルツとの良い関係のおかげで、私の考えはすぐに実現できた。ペーターははじめこの店の成功には懐疑的だった。『客が来ると本気で思っているのか?』というのが彼の意見だった。

 店の名前はペーター・ホフマン・ミュージック・ショップにすぐに決まって、私は私たちのレコード会社ソニー・ミュージックの全面的なサポートを取り付けた。空っぽの店内にスポットライト、ホフマンのポスター、よく見える場所に感じのいいCDの棚を設置した。店の一方にはクラシックを並べ、もう一方の側にペーターのポピュラー音楽を置いた。窓には新しい商売に注意を向けさせるために次のような電光掲示板をつけた。『ペーター・ホフマン・ミュージック・ショップ』私はすぐに魅力的な女子学生を見つけて、販売員兼マネージャーとして雇った。公演の前後に実に大勢の人々がホフマンのCD1、2枚と共に家路につくために、この小さな店に人だかりがするほどになったのには心底びっくりした。

 こういわけでペーターの初期の懐疑主義はあっという間に消え去った。ただ一人の演奏家の音楽だけを提供する音楽店が存在した事があるとは私の記憶にはなかった。私はこの店の前を通るたびに、大勢の客を見てわくわくした。そして、この成功をちょっぴり自慢にも思った。

 現在、家でペーターのオペラ座の怪人の仮面を手に取るとき、このハンブルク時代を楽しく思い出す。それは多分このハンザ都市の実に良い雰囲気と必要ならばすばらしい静寂の地、エルベ河畔のファルケンシュタイナーの私たちの避難所に引き返すことができるからだ。

 Nur allein mit dir wird es vollbracht,
 mach aus meinem Lied Musik der Nacht.
 あなたによってのみ、それは達成される
 私の歌、夜の音楽を歌ってほしい
 (You alone can make my song take flight
 Help me make the music of the night)
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☆ ☆ ☆

関連記事:オペラ座の怪人1990年

目次
ヨッヘン・ロイシュナーによる序文
はじめに
ロンドン:魔弾の射手
バイロイト:ヴォルフガング・ワーグナー
パルジファル:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ロリオ:ヴィッコ・フォン・ビューロウ
リヒャルト・ワーグナー:映画
シェーンロイト:城館
ペーターと広告
コルシカ:帆走
モスクワ:ローエングリン
ロック・クラシック:大成功
バイロイト:ノートゥング
ゆすり
FCヴァルハラ:サッカー
ドイツ:ツアー
パリ:ジェシー・ノーマン
ニューヨーク:デイヴィッド・ロックフェラー
ボルドー:大地の歌
アリゾナ:タンクヴェルデ牧場
ペーターのボリス:真っ白
ミスター・ソニー:アキオ・モリタ(盛田 昭夫)
ロサンゼルス:キャピトル・スタジオ
ハンブルク:オペラ座の怪人
ナッシュビル&グレイスランド
ナミビア:楽しい旅行
ペーター・ホフマンの部屋
ゲストブックから
表紙と目次


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コメント 2

ななこ

ファルケンシュタイナーでのかけがえのない思い出、読ませていただけて嬉しいです。

どこにも破壊だけを目的とする暴力的過激派っているのですねえ。

>ペーター・ホフマン・ミュージック・ショップ
素晴らしいですね。
それにしてもアンドリュー・ロイド・ウェバーの認めた販売戦略にそった製品とは何なのでしょう?
偉大な作曲家にしてはちょっと了見狭いですね。
ペーターファンが殺到することが分かってるのに勿体ないというか・・・

劇場での幕間に、関連グッズやCDなどあれこれ眺めるのは楽しみのひとつでしたね。

最後の詩はオペラ座の怪人の中の歌詞ですよね?
フリッツの心そのままぴったりですね。


by ななこ (2014-07-09 16:46) 

euridice

ななこさん、コメントありがとうございます。

>アンドリュー・ロイド・ウェバーの認めた販売戦略にそった製品とは何なのでしょう?
アンドリュー・ロイド・ウェバーの会社"The Really Useful Group"によるPolydorから出ているCDのことでしょう。

>最後の詩は
そうですね。
本来の英語とドイツ語訳
けっこう雰囲気が違うように思います。
劇団四季の日本語は
「我が愛は終わりぬ
夜の調べとともに」
だそうです。


by euridice (2014-07-09 18:04) 

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