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14)ゆすり [2012年刊:フリッツ・ホフマン著]

p.79ー82
 このタイトルがすでに示しているように、ペーターの歌手生活は、楽しい出来事ばかりでなかった。あれほど知名度が高ければ、ひどい不都合もおこりえた。

 1983年の夏のある日、私は、シェーンロイトで、いつもの朝のように、郵便受けの手紙を取りに、自分のオフィスから、正門まではるばる出かけて行った。たくさんのファンレターやサインのリクエストを開封していたとき、「親展」と書かれた封筒に気がついた。タイプライターで書かれており、差出人の名前のないそれは、次のような内容だった。「100万スイスフラン、現金で払え。受け渡しの詳細および場所はおって連絡する。要求に従わなければ、二度と歌えなくなるだろう。酸が顔をめちゃめちゃにするだろう。あなたは常に監視されている。警察に知らせるな。知らせたら後悔することになるぞ」

 ともかくまずは私が対処しなければならなかったが、はじめは冗談かと思った。私は向こうの馬場で馬に乗っているペーターを見ながら、この脅迫の手紙のことを知らせるべきかどうか迷った。午後にはバイロイトで大変なトリスタンの上演が控えていた。完全に集中しなければならないから、頭を悩ますことがあってはいけない。このひどくショッキングなニュースをとりあえずは彼に背負わせたくなかった。
 
  この手紙が本気だということが徐々にわかってきた後、私は何も知らないふりをして、翌日まで待つことに決めた。朝食の時、私はこの悪いニュースをペーターに伝えた。彼は驚くほど冷静なじみがないナンバーので落ち着いていた。彼も私と全く同じ認識だった。つまり、これは悪い冗談なんかじゃない。たとえそれが垣根越しに見たがっている熱心なファンかもしれないとしても、シェーンロイト近辺をゆっくり走る、なじみがないナンバーの車が直ちに怪しく感じられた。恐喝者はいわゆる長期にわたる継続的観察に基づいて脅しているのか、それとも、安全な場所から双眼鏡で見張っているのだろうか。息の詰まるような状況。こんな状況は誰も望まないだろう。この状況を記述するのはものすごく難しいとしか言えない。

 そうこうしているうちに、3通目の脅迫状が書かれていた。また同じ内容で、差出人不明だった。私たちは直ちに、婉曲なやり方で警察に届けることにした。私たちが脅迫状をヴァイデンの警察に提出したとき、係官は非常に重大に受け止めて、ミュンヘンの州警察にこの事案を回した。数日後、私たちは次のような内容の手紙を受け取った。「残念なことに、あなたは私の警告に従わず警察に届けた。これは大きな過ちである」

 彼はどうやってそのことを知ったのだろう?

警察に言われて、ペーターと私は、大急ぎで武器技能試験を受け、1983年7月7日に武器携帯を許可された。これによって私たちは公然と拳銃を携帯する権利を与えられた。私たちはスミス&ヴェッソンの拳銃と弾薬を買った。アメリカのハイウェイパトロールの武器だ。幸い、私たちは、軍隊時代に、火器を扱う基本的技能を身につけていた。

 音楽祭の期間中、ペーターは公演後は常に刑事が一人付き添った。私服で舞台の出入口にいて、サインを求める人たちの中で全然目立たなかった。酸による襲撃計画が予告されていたので、人ごみは絶対に避けるように忠告されていた。ミュンヘンの州警察に恐喝についてだれにも話さないように言われていたので、兄と私は可能な限り普段と同じように行動した。

その後、ペーターだけでなく、他の有名人にも脅迫状が届いていることが明らかになった。例えば、安楽死支持で有名な外科医のユリウス・ハッケタル教授も同じような手紙を受け取っていた。繰り返し同じ額、100万スイスフランの要求があった。

 残念なことに、脅迫者はなかなか捕まらなかった。スミス&ヴェッソン357を肩にかけた拳銃ケースに入れて、バイロイト音楽祭に行くのは憂鬱で奇妙な感じだった。ペーターがバイロイトの重要なレセプションに招かれれば、目立たないように付き添う刑事は絶対に彼のそばを離れなかったが、兄の安全が100パーセント保証されているわけではもちろんなかった。

 私たちは、脅迫者がついに逮捕されたという、ミュンヘンからの良い知らせを、毎日待っていた。このどっちつかずの状態は、家族全員の神経をひどく消耗させていた。ペーターは表面的にはほとんど変わりなく、ほとんど毎日バイロイト音楽祭の舞台に立っていた。想像を絶する精神的重荷だったにちがいない。

 そうこうするうちに、州警察に加えてインターポールが力をいれて捜査に当たるようになった。そして、ある日、警察から電話があった。「犯人はギリシャへ出国しようとしてるところを空港で逮捕されました」その脅迫状の文面がそのまま彼のタイプライターに残っていたため、彼を逮捕できたのだった。脅迫者は正当な判決を受けた。塀の中で、4年間、自分の行為について考えることができただろう。私たち全員にふりかかったひどい災難だった。なんと言う解放感。なんと言ってもペーターにとって。有名であることはマイナスの側面もあるということだ。
 
目次
ヨッヘン・ロイシュナーによる序文
はじめに
ロンドン:魔弾の射手
バイロイト:ヴォルフガング・ワーグナー
パルジファル:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ロリオ:ヴィッコ・フォン・ビューロウ
リヒャルト・ワーグナー:映画
シェーンロイト:城館
ペーターと広告
コルシカ:帆走
モスクワ:ローエングリン
ロック・クラシック:大成功
バイロイト:ノートゥング
ゆすり
FCヴァルハラ:サッカー
ドイツ:ツアー
パリ:ジェシー・ノーマン
ニューヨーク:デイヴィッド・ロックフェラー
ボルドー:大地の歌
アリゾナ:タンクヴェルデ牧場
ペーターのボリス:真っ白
ミスター・ソニー:アキオ・モリタ(盛田 昭夫)
ロサンゼルス:キャピトル・スタジオ
ハンブルク:オペラ座の怪人
ナッシュビル&グレイスランド
ナミビア:楽しい旅行
ペーター・ホフマンの部屋
ゲストブックから
表紙と目次
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コメント 2

ペーターのファンです。

こんばんは。
雨かと思えば、急に夏が近づいたような日がありますね。
翻訳を続けてくださってありがとうございます。

スター歌手ともなれば余計な苦労もあったんだなと思いました。
ホフマンの場合は目を引く容姿も手伝ってのことかもしれないですね。
最近あまりオペラも聴いていないのですが、それでも疲れた時に聴きたくなるのがオペラ、特にワーグナーって、おかしいですよね。
聴いているとイライラしていた神経がスッともとに戻るような感覚があって、気分が落ち着きます。
また続きを心待ちにしています。
by ペーターのファンです。 (2014-05-24 20:26) 

euridice

ペーターのファンです。さん
こんにちは〜 
近年、天気の変動が激しくなっているようですね。
一時相当穏やかだったのかもしれません。

拙いそしてあやしい「訳」を読んでくださり恐縮です。
ずいぶん間があいてしまいました。

途絶え途絶えになるかもしれませんけど、
時々のぞいてみてください。





by euridice (2014-05-25 08:06) 

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