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ロベルト・シュンク [人々]

ペーター・ホフマンの交通事故関連で注目したのかどうかは忘れましたが、ロベルト・シュンク(1948.1.5- ドイツ)は、1977年ホフマンの代役としてバイロイト音楽祭にデビューしました。初めて彼を視聴したのは、NHKが一時繰り返し放送したミュンヘンのニーベルングの指環は「ワルキューレ」のジークムントでした。彼のせいではないのでしょうが、粗暴で品のないジークムントにがっかりしたものです。その後、バイロイト音楽祭1985年収録映像「さまよえるオランダ人」のエリック。1977年以降、バイロイトの常連になったようで、「タンホイザー」「トリスタンとイゾルデ」などにも小さい役で、出演しています。

ネット情報によれば、オペラ歌手としてのキャリアは、1973年、カールスルーエの専属歌手として始まり、ボン、ドルトムントと契約、1979年以降、フリー。いつからかはわかりませんが、ケルン大学のアーヘン校で声楽教授をしているらしいです。

ホフマンの交通事故は1977年6月11日で、バイロイト音楽祭の練習が始まる前日。当時NHK-FM放送関係の仕事をしていた人の著書によると、急遽代役を調達しなければならなくなって、ジークムント役として見つけてきたのが、当時29歳のロベルト・シュンク。すでにキャリアを積んでおり、ドルトムントでジークムントを2回、ボンではすでに「フィデリオ(ベートーベン作曲)」に出演していたそうです。たぶんタイトルロールのソプラノ、フィデリオ、実はレオノーレの夫、フロレスタン役だったのでしょう。

余談ですが、この著者もけっこういい加減でして、『「フィデリオ」のタイトル・ロールを歌っている』なんて書いていらっしゃいますから・・・ この時期登場した歌手たちはどの歌手も部品みたいなもので、「キャラクター」が感じられない、ちょっと先輩のコロには多少キャラクターが感じられるが、ヴィントガッセンの個性にはかなわないなどと断言なさってますが、どれほどご存知かは知らず十把一絡げにする貴女の感性が鈍いだけじゃないのなんて、悪口を言いたくなります。

さてシュンクですが、バイロイト音楽祭では1977年の代役の後は、小さい役ばかりだったみたいですが、他の劇場では主役級も担当しています。ジークムント役では、ミュンヘンの「ワルキューレ」の映像が残っています。これも代役だったとか。いつもおじゃましているOrfeoさんのブログでの情報によれば、ホフマンがプレミエをやった後の再演に出演ということが少なくないようです。体格が違うので衣装はけっこう問題で、自前の衣装で出演ということもあったとか。傑作エピソードがこちらにあります。

右の写真は、バイロイトでのレクリエーション、バイクでのツーリングに出発、勢揃いしたW.ワーグナーと歌手たちです。左から三人目がシュンク。ぽっちゃりと可愛い感じですが、舞台映像で見ると、全然可愛くないんです・・ まあ、役柄ってこともあるにしても、相当緊張しちゃうんじゃないかなんて思っちゃいます。

オペラシェアのおかげで、1977年ワルキューレ@バイロイト音楽祭の放送録音がきけました。代役としてはもちろん立派ですが、その後の経緯からも明らかなように、突出した魅力はないというべきかな^^?。

ワーグナー:ワルキューレ
バイロイト音楽祭1977年
ピエール・ブーレーズ指揮
パトリス・シェロー演出

ジークムント:ロベルト・シュンク
ジークリンデ:ハネローレ・ボーデ
フンディング:マッティ・サルミネン
ヴォータン:ドナルド・マッキンタイヤー
フリッカ:エヴァ・ランドヴァ
ブリュンヒルデ:ギネス・ジョーンズ

情報をいただいたので追記します。
ウィーン国立劇場への出演記録です。

*フィデリオ:フロレスタンを3回、1983.5.12.-1991.2.7.
*さまよえるオランダ人:エリックを8回、1983.5.14.-1988.4.8.
*影のない女:皇帝を3回、1981.5.3.-1985.4.4.
*パルシファル:パルシファルを2回、1992.4.16.-1992.4.18.
〜Chronik der Wiener Staatsoper 1945-1995,p605



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コメント 4

ななこ

バイクで並んでる一番左がP・ホフマンですか?!
愛車はホンダではなくカワサキだったのですね!
今の病気もこのときの怪我がある意味影響してるなんて事はないんでしょうか?

ロベルトシュンクはバイロイトでのエリックとミュンヘンのジークムントだけでしか知りませんでした。
容姿でかなり損をしてると思っていました。
今、ここでシェローの演出でのジークムントを聞かせていただくとヘルデンテノールとしての声質はあると思うのですが、ここぞっという聞かせどころでの切れと盛り上がりが平坦で魅力がいまいちなんですね。
でも、現在これだけ歌えるジークムントそんなにはいないとも思います。
突出した歌い手は50年にひとり・・・?
あるいはもっと少ないかも・・・
特にヘルデンテノールの場合は。
by ななこ (2007-05-17 12:18) 

euridice

>一番左がP・ホフマンですか
そうです。
左から、ペーター・ホフマン、ヘルムート・パンプフ、ロベルト・シュンク、ヴォルフガング・ワーグナー、ハンス・ゾーティン、マルティン・エーゲルだそうです。

>愛車
事故のときのはカワサキですが、後にソニーの盛田氏を乗せて時速200キロで飛ばしてあげたときのは、ホンダ1200ccだそうです。この時のことは盛田氏の著書メイド・イン・ジャパンにもあります。

>今の病気もこのときの怪我がある意味影響してるなんて事はないんでしょうか?
これは本人ももちろん思ったそうですが、だからと言ってどうしようもないし、結局のところ原因はわからないということだということです。

>でも、現在これだけ歌えるジークムントそんなにはいない
そうかもしれません。最近のバイロイトの放送とか聞いて、これを聞くと、突出した魅力に欠けるだけで、とても立派だと思います。

>50年にひとり・・・?
100年にひとりかも・・^^?
by euridice (2007-05-19 08:46) 

euridice

参考までに下記に「メイド・イン・ジャパン」からの抜粋を載せています。

http://www.geocities.jp/euridiceneedsahero/reference2.html
by euridice (2007-05-19 08:49) 

ななこ

>参考までに下記に「メイド・イン・ジャパン」からの抜粋を載せています

ありがとうございました。
有名なアウトバーンを二人乗りで時速200キロのスピードなんて想像するだけでふるえます。

ジークムントを歌うために、或いはローエングリンを歌うために、パルジファルを歌うためにトリスタンを歌うために産まれてきたようなP・ホフマンのこんな一面を知ると心が熱くなります。

素晴らしい映像や録音が残される時代であったことに感謝感激^^
そして彼の生きるこれからの日々が幸せであることを祈らざるを得ません。
by ななこ (2007-05-20 15:21) 

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