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ルネ・コロとパトリス・シェロー [人々]

 またkeyakiさんの記事に便乗です。映画「ドン・ジョヴァンニ」の話題にパトリス・シェローが登場するとは予想外でした。この映画の監督の話、まずシェローに行ったのだとは。ちょうどバイロイトで「ニーベルングの指環」を演出していた頃ですね。
そこで、ルネ・コロの自伝にちょっとおもしろい話があったのを思い出しました。つまり、コロの見たシェローです。それを紹介します。
コロがシェローに初めて出会ったのは、1976年にはじまったバイロイト音楽祭「ニーベルングの指環」の「ジークフリート」にジークフリート役として出演することになったときでした。当時シェローの名前は天才的演出家としてコロの耳にも入っていたようです。ちなみに、コロは1937年生まれ、シェローは1944年生まれです。

追記:この「ジークフリート」では、コロが歌い、シェローが演技した公演の他に、声の調子が悪くてコロは歌えないというので、ジーン・コックスに歌ってもらって、コロが演技だけした公演もあるということです。どちらの公演も、1976年〜1979年の間のいつのことなのかわかりません。どなたかご存知ありませんか?


 このシーズン(1975年)の終わりに、ヴォルフガング・ワーグナーは、私に、ジークフリートを歌うことができるかどうか質問した。もちろん喜んでやりたいが、同時に「神々の黄昏」をやることはまだできないというのが、私のこたえだった。はじめから両者をやるのは負担が重すぎるだろうと思った。

 そして、この指環は全部若いフランス人が演出することになっており、指揮はピエール・ブーレーズだといううわさだった。この天才少年はパトリス・シェローという名前で、パリではすでに世間をあっと言わせるような大成功をおさめていた。うわさをきいて、私はシェローと会いたいと言った。それは、彼が、別のものではなくて、まさに「リング」を演出したがっているのだということを確信するためには、彼の演出構想について知りたかったからだ。ここ数年、残念ながら、少なからぬ演出家に対してそういうことを確認せざるを得なかったことがままあった。

 私は、繊細で、非常に神経質な、かつ、何よりも自信にあふれているくせにまったく自信がないようにも見える若い男と出会った。彼が私に話したことは非常に説得力をもっていることがすぐにわかった。彼の演出は、一部の人たちが即座に悪意を持って解釈したように、政治的な意図しか持ち得ないというよりは、非常に演劇的だったと思う。シェローは、動き、人間関係、演劇的な時を演出した。それは、まさしくシェイクスピアの演劇だった。100%シェローと考えが一致したわけではないにしろ、良い演劇なら、不都合はすぐに忘れて、妥協できるから、シェローと、相手役のギネス・ジョーンズ、ハインツ・ツェドニク、ドナルド・マッキンタイヤーと仕事をするのはとても大きな喜びだった。

 後に、シェローは「リング」に関する自著の中で私のことをこう書いた。私は非常に才能があるが、同時に多少怠惰なところがある。これは正しい観察だ。ただし、私の怠惰さというのは、歌手としての自己防衛に起因するもので、よく考えた結果なのだ。彼のような演劇の演出家の要求する事を歌手が全面的に実行に移したら、あっという間に声がだめになってしまうだろう。(若い世代に警告しておく!) オペラという芸術形態は、演劇とは全く異なる身体の扱い方が必要なのだ。ここのところをよく考えるべきだ。歌うということはとにかく緊張をはらんだ停止状態でこそ成り立つのだ。その状態でなければ、美しく歌うことはできない。


 オペラと演劇はどこが違うか、ちょっとした出来事を紹介しよう。これは、バイロイトのジークフリートで起こったことだが、脚を骨折したとき、薮の陰に隠れて歌うように求められた。

 そこで、私は、私用の薮の後ろのバー用の腰掛けに座り、前には楽譜を立て、時々ちょっと喉をうるおすために、あめ玉とコカコーラをその上に載せておいた。観客からは私は見えなかった。その公演では、ただ私の声だけが聞こえていたのだ。

 私の役、つまり、ドイツの伝説の勇士の役は、演出家シェローおんみずから演じた。南国の黒髪の男が私の金髪のかつらをつけると、とてもおかしく見えた。それで、落ち着かない雰囲気だった。まったくひどく誇張して、身振りはやたらに大きく、細かいところまで感情豊かだった。私たちとのリハーサルのときは、とても美しくて感動的だったのだが、あの晩は全体的に私の趣味ではなかった。

 一幕の後、彼は汗まみれになって二人の共用の楽屋に入ってきた。私は気の毒そうに彼を見て、言った。 「親愛なるパトリスくん、ご自分の演出がどんなに骨が折れるかわかったかな。私の場合はその上に歌わなければならないんですからね」それから、私は彼が誇張しすぎているということも説明した。「そう。わかっていますが、どうもひどくあがってしまって」

 オペラと演劇の違いが非常にはっきりとした、面白い思い出だ。演劇は完全に身体を使い尽くすことが可能だ。それに対してオペラは歌唱のために静止した状態が必要なのだ。だから、動きと静止に関して、正しい認識を持つことが、歌手の為すべき仕事なのだ。


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keyaki

面白い話ですね。
私もシェローの談話を記事にして、こちらの記事をリンクさせて頂きました。
こちらは若くてほんと美青年の頃の写真ですが、私の方は、昨年の夏の写真を載せました。
TBもさせて下さい。
by keyaki (2006-06-20 00:12) 

euridice

TBしてくださった記事の
参考記事:シェローが語る「オペラの演出とオペラ歌手について」のコメントに、きのけんさんが、シェローが演技した公演を実際にご覧になったというのがありますね。見逃してたみたい.....
by euridice (2006-06-20 07:56) 

Ginger

客席から見ていて、口パクする俳優と舞台袖の歌手の気持ち、一度聞いてみたいと思っていましたが、最高の事例を伺い感激です。以前スカラ座で、声が出なくなった歌手が、それでも演技だけしたジャンニスキッキ(多分)を見ました。
by Ginger (2006-06-20 09:46) 

keyaki

>見逃してたみたい.....
私もです....きのけんさんは情報量が多いから....
シェローが二度と一緒に仕事したくない歌手って誰だ! ということから発展した話題でしたね。

『彼と一緒に仕事をしたうちで最も見事だった歌手は誰だろうな?…。......そしてシェロー自身シェロー自身(《ジークフリート》のジークフリート;ルネ・コロがオートバイ事故で足を負傷した時、あの演出では代役を出せないもんで、コロがピット内で歌い、舞台でシェローが演技を担当した:僕もヘンな回に当たったもんだよね)。きのけん』
ですね。

2003年のホフマン物語では、シコフが体調くずして、アンダーの歌手が舞台袖で歌って、舞台では演出のマクヴィカーが演技をしたそうです。かつらはあわなかったのかつけてなかったそうです。
いろいろなケースがあるんですね。
by keyaki (2006-06-20 10:27) 

たか

たかと申します。はじめまして。ホフマンとコロは私も大好きなので時々読ませて頂いています。シェローの指輪は昔FMで聞いていましたが私が聞いた年はすでにユングに替わってしまっていました。後に見た映像もユングで残念でした。この時期のコロはR.シュトラウスの影のない女でもジョーンズと共演していてパリオペラ座での80年9月20日収録のビデオが存在するそうです。他の出演はベーレンスとベリーという豪華キャストですが演出と指揮は分かりません。えうりでぃちぇさんはこの映像について何かご存じですか?影のない女の皇帝はコロの当たり役なのでぜひ映像で見てみたいのですが.....
by たか (2006-06-20 21:15) 

euridice

Gruenさん、
>口パクする俳優と舞台袖の歌手
私はまだ体験したことがありませんが、俳優役のほうが大変そうですね?
by euridice (2006-06-21 08:32) 

euridice

たかさん、ようこそ!コメント、うれしいです。
>ユング
何年からユングなのか知らないのですが、79年には間違いなくそう
だったみたいです。
>影のない女
非正規の映像があります。演出はニコラス・レーンホフ、指揮はクリストフ・ドホナーニ。画質は相当悪いです。「最悪=何も見えない」の次ぐらい^^;
by euridice (2006-06-21 08:46) 

たか

えうりでぃちぇさん こんばんは

>影のない女
持っていらっしゃるのですか! すごい! 指揮はドホナーニですか。てっきりショルティかと思っていました。ドホナーニは84年に日本初演を振っていますね。
コロの正規映像はオペレッタを除くとトリスタン(2種類)、指輪、タンホイザー、アリアドネ、アラベラ、フィデリオ、第九(2種類)といったところしょうか。本当はローエングリンも78年8月2日にミュンヘンで録ったビデオがあるそうですね。サバリッシュとリゲンツァという素晴らしい顔ぶれだそうです。ひょっとしてえうりでぃちぇさんはこれもお持ちですか?
by たか (2006-06-21 20:50) 

euridice

>ローエングリン
これも非正規版です。画質も相当悪いです。影のない女より多少いいかもしれません。他に、エヴァ・ランドヴァ、レイフ・ロール、カール・リッダーブッシュ、ヴォルフガング・ブレンデルです。
>コロの正規映像
第九は見たかどうか忘れましたが、他に「大地の歌」をテレビで見ました。
by euridice (2006-06-22 07:43) 

たか

>ローエングリン
これも持っていらっしゃるのですか! 凄すぎる! ヨーロッパにお友達がいらっしゃるのですか? こちらも素晴らしい顔ぶれですね。この時期のミュンヘンの収録であれば本来はユニテルが録った映像なのではないかと思うのですがどうでしょう?正規発売を期待したいものです。この時期のサバリッシュは結構映像を録っていてコロは出ていないと思いますがマッキンタイアとリゲンツァで78年に録ったオランダ人の映画もあるそうです。

コロの非正規映像には他にどんなものがあるのですか? マイスタージンガーとパルシファル、あるいはサロメの映像などは存在するのでしょうか?

>大地の歌
そうでしたね。バーンスタイン指揮でDVDにもなっています。でもバーンスタインは60年代のCDの方が良かった。カラヤン盤のCDもイマイチだしせっかくコロ向きの曲なのに残念。第九はカラヤンの77年盤とバーンスタインの79年盤に出ていてこちらはどちらも素晴らしいです。どちらもユニテル収録なのでそのうちDVDになると思います。

ところでカラヤンの第九で思い出したのですが、コロはカラヤンと喧嘩して76年のローエングリンと78年のサロメを降りているのになぜ77年の第九に出演したのでしょう? カラヤンとのいきさつがもしも自伝に書かれていたら教えて頂けますか?
by たか (2006-06-22 22:18) 

euridice

>ユニテルが録った映像
ではなくて、テレビ放送録画だと思います。
>オランダ人の映画
これはテレビ(現スカイパーフェクトTV、クラシカジャパン)で放送されました。テレビ用映像だと思います。
>コロの非正規映像
どれぐらいあるかとか調べたことはありませんが、マイスタージンガー(チューリッヒ1984年)はあります。テレビ放送です。P.ホフマンが捻挫で出演できずコロが代役を務めたようです。
>カラヤンと喧嘩
これについては、えうりでぃーちぇのホームページ(サイドバーにリンクがあります)、「おまけ」というところに入っています。コロの自伝には1977年にカラヤンの第九に参加したという記録は見当たりません.....
by euridice (2006-06-23 08:24) 

たか

えうりでぃちぇさん こんばんは

>カラヤンと喧嘩
ローエングリンで喧嘩したところまでしか書いてありませんね。第九は77年です。間違いありません。大晦日のジルベスターコンサートのライブだったと思います。おかしいですね。推測ですが、ローエングリンを風邪でキャンセルしたのは事実だとしても伝記に書いてあるほど大喧嘩をした訳ではなかったのかもしれません。なぜならこの時点で録音は半分しか終わってなかったので残り半分をこの後に録音したのですから。あるいは大喧嘩をしたのは実際は第九の後だったのかもしれません。カラヤンはサロメのヘロデに本当はコロを望んでいたらしいのでサロメで喧嘩した可能性はあります。

ちなみにこの77年の第九はLDで発売される前に、今はなくなったVHDというディスクでユニテルの映像が発売された際(85年頃)の最初の作品でした。私がコロの映像を見たのはこれが最初です。カラヤンが珍しく一発ライブ録音で素晴らしい演奏をしていることもあって当時は結構有名な演奏でした。

>チューリヒのマイスタージンガー
チューリヒは最近アーノンクールやメストのビデオをよく見かけますが80年代はむしろジュネーブの方が元気だったと思います。コロのマイスタージンガーの映像が残っているとは意外です。他のキャストや指揮、演出も教えて頂けませんか?
by たか (2006-06-23 21:15) 

euridice

たかさん、こんばんは。
1976年のザルツブルク、ローエングリンでのコロとカラヤンの確執については、CDのリブレットにも書いてあります。それによれば、翌1977年の復活祭音楽祭のころには一応和解ができていたようで、録音完成が1981年になったのはベルリン・フィルのスケジュールの都合だとあります。だとすると、子どもの喧嘩じゃないんですから、1977年末のコンサートは契約を履行したものでしょう。契約はあの騒動の前には成立していたのでしょうから。無視したのか、忘れたのか、自伝の年表にはありません。

>>チューリヒのマイスタージンガー
フェルディナンド・ライトナー指揮
クラウス・ヘルムート・ドレーゼ演出
ザックス:ドナルド・マッキンタイヤー、ポーグナー:ハンス・チャンマー、ベックメッサー:ルドルフ・A・ハルトマン、ダーヴィッド:ヴィルフリート・ガームリヒ、エーファ:ベアトリーチェ・ニーホッフ、マグダレーネ:アンネ・イェヴァング、リチャード・デッカー、ハワード・ネルソン、ジョセフ・ディーネほか 画質はそこそこ(PCで小さくすればけっこうきれいです)
by euridice (2006-06-23 22:19) 

keyaki

たかさん、横レスです。
77年ジルヴェスター・コンサートの第九は、私がいつも参考にさせていただいているサイトに、「契約の都合かソリストに前年の復活祭音楽祭で衝突したコロがいる。」という管理人さんのコメントがありますが、「77年の大晦日に、カラヤンはベートーヴェン:交響曲第9番を採りあげ、映像化しています。.....衝突時にEMIへ録音中だった《ローエングリン》全曲盤の最終録音セッションが81年にまで持ち越されているのに、こちらは平気、というのも妙な話です。」という記載もあります。
コロの自伝に書かれていないというのも??ですね、edcさん。

>80年代はむしろジュネーブの方が元気だったと思います
リーバーマンの右腕だったやり手のユーグ・ガルがインテンダントだったからではないでしょうか。(1980年から1995年まで)
by keyaki (2006-06-23 22:32) 

keyaki

euridice さん、かぶっちゃいましたね。
>無視したのか、忘れたのか、自伝の年表にはありません。
忘れたのでしょう、ドミンゴじゃないですから (笑
ライモンディも小澤さんとはボリスで共演するはずだったが、キャンセルになって、その後共演のチャンスがなくて残念だ、、とか言っちゃってましたので、信じていたら、1995年にスカラ座の「ファウストの刧罰」で、しっかり共演してるんですよね。
by keyaki (2006-06-23 22:45) 

たか

えうりでぃちぇさん、けやきさん

結局すぐ仲直りしていたっていうことですよね。やっぱり自伝の記述はちょっと大げさなのかも。ローエングリンの81年のセッションは若干の手直しのみで76-77年で一応全曲録音してあったという話を聞いたこともあるし。だったらヘロデも歌って欲しかったなあ.....

ストレーレルとカラヤンが74年の魔笛で険悪だったというのも知りませんでした。この演奏が豪華な出演者(コロ/マティス/プライ/グルベローバ/ファンダム)の割に全体としては低調だという話は聞いていましたがそのせいかもしれません。カラヤンはスカラ座で66年から3年間ストレーレル演出のカバレリアスルティカーナを振って最後の68年には映画まで作っている(コソットが素晴らしい!)のに芸術家同士の関係は微妙なものですね。
by たか (2006-06-24 00:55) 

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