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ヒルデガルド・ベーレンス [オペラ歌手2]

2009.8.19
昨日、東京で亡くなったそうです。驚きました・・ベーレンスは一昨年以来、草津の音楽アカデミーに講師として参加していました。一昨年、昨年と聴きに行きました。今年も行くつもりでしたが、こちらの都合でパスしていました。
『2009年草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルに出演する為に来日していたが、前日の17日から体調不良を訴え入院していた。8月18日、動脈瘤破裂などにより東京都内の病院で死去。72歳』産經新聞記事

↓バーンスタインとの「トリスタンとイゾルデ」TV放送映像の一部です。
☆こちらの記事☆から行ってください。

* * *

追記:草津2007年8月、ベーレンスのリサイタルに行きました。
草津2008年8月の記事
* * *
ヒルデガルド・ベーレンス(1937年2月9日- ドイツ)は何と言ってもバーンスタイン指揮の「トリスタンとイゾルデ」で、ペーター・ホフマンとぴったりのカップル。ショルティ指揮の「フィデリオ」(1979年、シカゴでのコンサートと録音)でも共演しています。どちらの録音も声の相性もほんとにいいと思います。メトロポリタン歌劇場の1986年「ワルキューレ」の新演出では、ベーレンスのブリュンヒルデで、ジークムントでした。この演出は後に映像になって、今はDVDで見られます。ジークムント&ジークリンデは別の歌手、ブリュンヒルデはベーレンスです。新演出当時と同じ歌手なのは彼女だけでしょう。

Beethoven: Fidelio「フィデリオ」、ホフマンは慢性化した気管支炎に悩まされ、満足のいく結果が得られなかったということです。録音のほうは、オペラ全曲としては初デジタル録音で、なんだかもの凄いスピードで編集がなされ、試聴したときとは違う結果になっており、こんなのならOKを出さなかったのにと思ったほどだそうです。コンサートでも大変な思いをしたとか。

ベートーベン フィデリオ
ゲオルグ・ショルティ指揮
シカゴ・シンフォニー・オーケストラ
1979年 シカゴ(LONDON)
レオノーレ(フィデリオ):ヒルデガルド・ベーレンス
フロレスタン:ペーター・ホフマン
ロッコ:ハンス・ゾーティン
ピツァッロ:テオ・アダム
マルツェリーネ:ソーナ・ガザリアン
ヤキーノ:デビッド・キューブラー


.........シカゴで、ショルティの下での「フィデリオ」のコンサート上演では失敗した。やっぱり気管支炎で、おまけに、ハンブルクの冬の寒さから、重くのしかかるような暑さのシカゴへという、極端な気候の変化のせいで病気になった。三、四日後、十五時間眠った後で、目が覚めたら、死ぬほど疲れていて、唯一考えることと言えば、もっと眠りたいということだけだった。

この日のけいこで、いくらか浮上したので、自分自身の回復力に期待した。そして、避けられない公演の日。地下牢のアリアで、最初の「Himmlische Reich 天上の王国」はまだやり遂げたが、二番目のは、もうだめだった。

想像もできないほどの物凄いショック!燕尾服を着て、照明煌々の中でのコンサート、舞台なら倒れてごまかして切り抜けられるところだが、前には楽譜立て、後ろにはオーケストラだ。

その場にいた共演のヒルデガルド・ベーレンスは、後でこのコンサートは成功だったと言っていた。「私たちは、あのときあなたがどんなにつらかったか、気がついていたわ」

とにかく立ち去りたいというのが私の唯一の望みだった。私はただ口を開けていたにすぎなかった。ショルティはすぐに対応して、オーケストラを大いに煽ったので、人々は、しかし彼はなんと弱く歌っていることか、と思った。その時、私はそもそも歌っていなかったのだ。私は意気消沈して、どんなにか消えてしまいたかったことか。(1983年の伝記から)


Wagner: Tristan Und Isoldeバーンスタインのトリスタンも歌手にとって苦労の多かった仕事だったようです。3幕は全員疲労困憊。風邪も蔓延して、ホフマンはゲネプロを欠席、ベーレンスは舞台で咳き込んで、やり直したことさえあるそうです。このトリスタンとイゾルデはおよそ一年に渡って、一幕ずつ上演されました。ベーレンスは、2幕のときは、妊娠中、3幕は出産後で授乳中だから、薬をつかいたくなかったので、余計大変だったとか。


ワーグナー トリスタンとイゾルデ
レナート・バーンスタイン指揮、バイエルン放送交響楽団
1981年 ミュンヘン (PHILIPS)

トリスタン:ペーター・ホフマン
イゾルデ:ヒルデガルド・ベーレンス
クーベナル:ベルント・ヴァイクル
ブランゲーネ:イヴォンヌ・ミントン
マルケ王:ハンス・ゾーティン
若い水夫:トーマス・モーザー
羊飼い:ハインツ・ツェドニク
メロート:ヘルベルト・シュタインバッハ

ペーター・ホフマンは軽やかに明確な演技と動作を舞台上にもたらしているが、しかし、その軽やかさは、彼の妥協のない厳格さによって実現されている。彼のような人々にとって「変化」という要素は、一見苦もなく駆使できているようにみえる。歌手の日常から、舞台裏でどんな自制をしているか、そして、舞台上では、仲間を頼りにできなければならないという、二つの小さなエピソードを紹介する。

すべての舞台上の陥穽に際して、「危急の場合」において、共演者相互の連帯も結果の質を左右する。何かうまくいかないことがあった場合、とりわけそういうことが重要だ。

  『トリスタン』第三幕、ミュンヘン、ヘルクレスザールでのコンサート形式の上演。ペーター・ホフマンの初トリスタンだった。非常に短く集中的な練習期間のせいで、負担がかかりすぎていたし、けいこはアメリカで行われたから、気候の変化にも閉口させられた。おまけに冷たいドイツの霧の中で、歌手たちの間に風邪が蔓延してしまった。歌手たちは薬と注射をめいっぱいつかって公演を待った。

イゾルデを歌ったヒルデガルド・ベーレンスは、最後のアリアで、咳の発作からかろうじて逃れた。この公演は翌日再演された。ストレスは、一層「熱をおびる」ことになった。テレビ録画のためのスポットライトのせいだ。それに加えて、同時にレコード録音も行われたから、二重の負担だった。

大喜びですべてを投げ出して逃げ出したいような気分だったと、後にペーター・ホフマンは話した。しかし、冷静さを保て!ということだ。冷静さこそが、歌手が殊にしっかりと身につけるべき美徳である。市場価値の上昇に伴って、負担も大きくなるものなのだ。(1983年の伝記から)


バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」関連記事:バーンスタインと共に.. ..の一年 バーンスタインの「トリス タンとイゾルデ」 テレビ放送  再発売  歌の息つぎ

ベーレンス出演の他の映像:
ベルク ヴォツェック 
彼女の映像では、一番好きです。関連記事

プッチーニ トスカ
ジュゼッペ・シノーポリ指揮 
フランコ・ゼッフィレッリ演出 
メトロポリタン歌劇場1985年
トスカ:ヒルデガルド・ベーレンス
スカルピア:コーネル・マクニール
カヴァラドッシ:プラシド・ドミンゴ

Der Fliegende Hollanderワーグナー さまよえるオランダ人
海に浮かぶ古城が舞台。このオペラにはぴったりです。
若い合唱団に混じると、ちょっと年齢を感じますが、素敵なゼンタです。

レイフ・ゼーゲルスタム指揮
Illka Backman演出 
フィンランド、サヴォリンナ音楽祭1989年
オランダ人:フランツ・グルントヘーパー
ゼンタ:ヒルデガルド・ベーレンス
ダーラント:マッティ・サルミネン
エリック:シルキエ
舵取り:シルヴェスティ

ワーグナー ニーベルングの指環
ワーグナー:楽劇《神々の黄昏》全曲★ジェームズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場1989年
オットー・シェンク演出
この新演出は1986年シーズン開幕、「ワルキューレ」から始めて、ジークムント:ペーター・ホフマン、ジークリンデ:ジャニーヌ・アルトマイヤー、ヴォータン:サイモン・エステス、フリッカ:ブリギッテ・ファースベンダー、フンディング:オーゲ・ハウグランド、1988年にジークフリートで、ジークフリート役はペーター・ホフマン予定だった・・・そうです。酷い気管支炎でキャンセル。「神々の黄昏」は「ジークフリート」をやった後が望ましいと判断して、これもキャンセル。結局、舞台に立たないまま終わってしまいました・・・

★ヴォルフガング・サヴァリシュ指揮
バイエルン国立歌劇場 1989年 ニコラウス・レーンホフ演出
これはNHKがハイビジョンで撮影したということで、何度も放送されました。
こちらの公演には、ペーター・ホフマンは関わっていなかったようです。レーンホフの演出では、サンフランシスコに1983年〜1985年にやはりジークムントで出演したようです。
R.シュトラウス:歌劇「サロメ」(全曲)R.シュトラウス サロメ カラヤン指揮
ベーレンスと言えば、カラヤンとのサロメが有名らしいです。録音はありますが、映像がないのが残念です。
関連記事:サロメ&ベーレンス  女の愛と生涯


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コメント 21

ヴァラリン

うふふ。いつ取り上げて下さるのかしら?と心待ちにしていました(o^o^o)大好きです!!
>ペーター・ホフマンとぴったりのカップル
>声の相性もほんとにいいと思います。
同感です(^^!ホフマンの声は男っぷりのいいテノール声なので、こういう、繊細な女性(でも芯は強くて、たおやかな感じ)のソプラノ声と相性がいいんですよね(*^^*)
by ヴァラリン (2005-12-17 00:52) 

NO NAME

METの指環のVTRと「ヴォツェック」のVTRを持っています。
肝心のペーター・ホフマンとの共演の音源を持っていないのが残念なのですが。
手持ちのVTRでは、どちらも圧倒されます。
歌唱がすごいから?演技がうまいから?オーラが強いから?
多分、全部なのでしょうね。
全身全霊で役を表現しているようなところが好きです。
by NO NAME (2005-12-17 04:51) 

coyote

すみません。HN書き忘れました。
上の投稿、私です。ああ、恥ずかしい…。
by coyote (2005-12-17 04:52) 

佐々木真樹

フィデリオ,ご馳走様でした♪
さぁ,これで腹ごしらえは完了,仕事に行きま~す。
by 佐々木真樹 (2005-12-17 08:33) 

助六

70年代終わりにカラヤンの「サロメ」でのセンセーショナルな成功が伝えられて以来憧れでしたが(「サロメ」聞かれたTAROさんが羨ましいです!)、生で聞けたのは漸く87年のパリの小沢指揮「エレクトラ」で、透明でしなやかに美しく伸びる声が見事でした。ドラマティック・ソプラノとしては声同様、スタイルもスリムでしたし、共演したルートヴィッヒ、アルトマイヤーも素晴らしかった。ただ数ヵ月後に同じプロダクションでジョーンズを聴き、ジョーンズの方がエレクトラの凄みは遥かにあることに気付きましたが。同年にバレンボイム指揮パリ管の演奏会形式で「ジークフリート」第3幕でも聴きましたが(88年からバイロイトで『指環』を始めたバレンボイムがパリ管定期を事実上予行練習に使っていた)、「風邪引き」のアナウンスがあり、確かに今ひとつだった印象があります。マッキンタイヤー、イェルザレムが共演してました。その翌年あたりには同じくバレンボイム指揮パリ管演奏会形式で「トリスタン」2幕がありましたが、余り強い印象は受けませんでした。トリスタンはレイクスで薄っぺらでしたね。その後随分間を置いて96年にマゼール指揮「エレクトラ」で再会しましたが、当時58歳とは思えぬ、昔と何ら変わらぬ瑞々しく透明で力強い声が素晴らしく驚喜しました。しかし2年後の98年の「エレクトラ」では声の衰えが始まっており、最後に聴いた01年の「ヴェーゼンドンク」は、「風邪引き」の断りは口実じゃないかと勘繰ってしまうほど、痛々しい状態でした。
ドラマティックな力強さも十全にありながら、透明でよく伸びる柔軟な声が心地良い稀有の歌い手さんだったと思います。出来るなら最盛期の80年前後にサロメやイゾルデ、ブリュンヒルデで聴きたかったけれど。
by 助六 (2005-12-17 10:05) 

なつ

イタオペの話で恐縮ですが、私にはとっては、初めて映像で観たトスカがベーレンスでした。
それから随分色々なトスカを観ましたが、今でもカヴァラドッシ処刑から飛び降りまでの迫真力は、ベーレンスのトスカが一番だったと思っています。
演出のゼフィレッリは、来日時だかのインタビューで「彼女は、トスカをあんまりお利口に演じすぎた」なーんて言ってましたけどねえ。
by なつ (2005-12-17 15:49) 

TARO

役の本質を穿つ人ですよね。単に感情表現が上手いとかいうレベルではなくて。
録音のほとんどが高いレベルというのも驚くべきことだと思います。

ただ私はなつさんとは逆で、映像のトスカだけはあまり好きになれませんでした。発声がイタリア風じゃないので、プッチーニの旋律美が上手く出てなかったように感じます。あとドミンゴともちょっと違和感が。ホフマンやコロがカヴァラドッシだったら、ぴったりだったかも・・・

>助六さん

ミュンヘンで聞いた「サロメ」は指揮がかったるくて、全体にいまひとつに終わりました。ベーレンスのほか、エッケハルト・ウラシハにマンフレート・ユングと歌手は揃ってたんですが。
私にとってのサロメは、やはりリザネックにつきますねぇ。
by TARO (2005-12-17 16:40) 

euridice

ヴァラリンさん
お待たせしました・・共演の正規映像がないのが残念です。
>繊細な...ソプラノ声
こういう感じのドラマティック・ソプラノ、少ないのかもしれませんね・・ 最近はメゾソプラノから...が目立ちますし。

coyoteさん
>「ヴォツェック」
映像ではこれが一番好きです^^!
私もNO NAME やっちゃいます。お気になさらないでね:-)

真樹さん
この二重唱、好きです。
(ご本人も不満でも私は満足....です^^)
土曜日もご出勤、お疲れさま!!

なつさん
>ベーレンスのトスカ
可愛いですね.... 
ほんとに大勢のトスカを観たり聴いたりしましたが、
好きなほうに入ると思います^^!

助六さん、TAROさん
興味深いお話、ありがとうございます。
ウ・ラ・ヤ・マ・シ・イ・・・ としか言えません^^;
また、いろいろ聞かせてください。
楽しみにしています。
by euridice (2005-12-18 00:27) 

ななこ

悲しいニュースに茫然です。
動脈瘤があったのですね・・・
一見元気だけど、いつ破裂するか分からなくて、破裂したら致命的と聞いてます。
それでも来日してくださってたのですね。
異国でこんなことになるなんてお気の毒です。
72歳・・・まだお若いのに。

ベーレンスの録音や映像はすべてオペラに最も熱狂してた頃に視聴してるのでとても思い入れが強いものばかりです。
そして私にとってドラマティックソプラノの最高の存在でした。
ご冥福をお祈りいたします。
by ななこ (2009-08-20 00:00) 

ペーターのファンです。

突然の報に驚きつつ、哀しい思いでおります。
繊細なドラマティック・ソプラノ、強い声としなやかできめ細やかな表現と、こんな声は二度と出てこないでしょう。
ななこさん同様に、私にとっても最高のドラマティック・ソプラノでした。
草津の音楽祭を気に入ってくれていたのでしょうか。聴いておきたかったと悔やまれます。
心からご冥福をお祈りいたします。
by ペーターのファンです。 (2009-08-20 07:58) 

Cecilia

私も情報を得たのでこちらに来てみたら、さすが・・・もうご存知でしたね。
私がよく拝見させていただいている作曲家のサイトでもそのことが取り上げられていました。
何と二日前に一緒にお食事をされていたようですが・・・。
私のところのサイドバーに「音楽の大福帳」のリンクがありますが、そこからご覧になれます。
by Cecilia (2009-08-20 23:34) 

euridice

ななこさん
私たちの世代がそういう時期に入ってきたんだとつくづく思います。
今年も草津に行くつもりだったのに、都合でチケットを取りませんでした。リサイタルは20日の予定でした。来年は・・もうないのが、ちょっと信じられません・・


by euridice (2009-08-21 07:53) 

euridice

ペーターのファンです。さん
草津、きっと気にいっていらっしゃったのでしょうね。おととし初めて来て、続けて来てくださっていたのですから・・ 2度、生で聴くことができて、ほんとうによかったです。
by euridice (2009-08-21 07:56) 

euridice

Ceciliaさん
ご紹介、ありがとうございます。さっそく行きました。お化粧しての舞台姿は、一段と美しかったですけど、普段の写真も素敵ですね。

遠い日本までいらっしゃったぐらいですから、きっと体調もよかったのでしょうね(2003年のガラコンサートは体調不良で来日なさいませんでした・・)それに、草津がきっととてもお好きだったのでしょう。
by euridice (2009-08-21 08:00) 

YUKI

ご無沙汰してました。
TB有難うございます。

今回のベーレンスの訃報は本当にショッキングでした。
新聞には来日して直ぐに体調を崩したかの様な報道でしたが、亡くなる前日に発作が起きたのですね?!
音楽祭出演の為の来日中の急逝はご自身も無念だったと思いますし、ご家族やファンの方々の気持ちを思うと言葉が見つかりません。

ご冥福をお祈りいたします。
by YUKI (2009-09-02 10:08) 

euridice

YUKIさん、こんにちは。
特に身内の方は複雑な思いかもしれませんね・・




by euridice (2009-09-02 20:10) 

TARO

euridiceさん、こんばんは。ご無沙汰しております。TAROです。
ベーレンス亡くなられたんですね。しかも東京で。

実はちょっと大きな病気をして、この時期療養中だったものですから、
新聞もネットも音楽雑誌も読まず、まったく知らないでいました。
昨日、図書館で音楽雑誌のバックナンバーを見てたら、
訃報記事を見つけて・・・
本当に残念です。



by TARO (2009-12-28 21:33) 

keyaki

TAROさんじゃないですか....
お懐かしい.....
今は、普段の生活に戻られたんでしょうか。
by keyaki (2010-01-10 17:52) 

euridice

TAROさん
新着コメントをクリックしたら、TAROさんからだったので、びっくりしました。
いかがですか。
>新聞もネットも音楽雑誌も読まず、
療養に専心だったのですね・・今は日常生活、そしてお仕事にも復帰なさったのでしたら、うれしいです。

この夏はベーレンスのこと、本当に驚きました。日本までいらしたのですから、ご本人にとっても、ご家族にとっても、思いがけないことだったのだろうと思います。


by euridice (2010-01-11 17:58) 

TARO

keyakiさん、euridiceさん お久しぶりです。

おかげさまで、一応は普段の生活にもどりました。
仕事もこのお正月番組から復帰したのですが、遠隔地のロケなどは無理なので、
今はまだ余程のことが無い限り自宅でできる仕事に限っています。

去年もいろんな方が亡くなってたのですね。アラーニャ夫妻が離婚してたり、
オペラについてもすっかり浦島状態です。
by TARO (2010-01-23 23:32) 

euridice

TAROさん
コメントありがとうございます。
無理をなさらず、お大事になさってください。
by euridice (2010-02-05 19:27) 

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