ハンナ・シュヴァルツ [オペラ歌手2]
ハンナ・シュヴァルツ(Ms ドイツ、ハンブルク 1943.8.15- )は、相手役としての共演は、少なくとも私は知りませんが、度々同じ舞台に出演しています。映像ではなんと言ってもバイロイト音楽祭、シェロー演出のワルキューレとラインの黄金。
ワーグナー作曲「ニーベルングの指環」に登場する女神フリッカ、北欧、ゲルマン神話の主神ヴォータンの妻。この役、バイロイト音楽祭1980年の映像で見られるハンナ・シュヴァルツが一番というかダントツに好きです。ペーター・ホフマン演じるジークムントと直接絡む場面は全然ありませんが、彼女の一言、一言が、単なる空虚な台詞ではなく、その関係性を示しています。まあ、私の勝手な思い入れにすぎないにしても、こういうことを感じさせてくれるフリッカは他にはいません。たったの数回の実演といくつかの映像の中の他のフリッカは、印象が薄かったり、嫌いだったりして、忘れました。
もうひとつバイロイト音楽祭では、1987年のホフマンがトリスタンだったトリスタンとイゾルデ、ブランゲーネ役で聴きました。
同じ演出の1983年映像化されたのでも、やはりブランゲーネです。
ワーグナー:トリスタンとイゾルデ
ダニエル・バレンボイム指揮
ジャン・ピエール・ポネル演出
バイロイト音楽祭1983、1986、1987
*****
↓追記2009年8月
私のように遅ればせのファンではない、ずっと前からのペーター・ホフマンのファンの方々には周知のことだった・・みたいです・・伝記(1983年)の中で、若すぎるという周囲の反対を押し切って共に19歳で結婚し、苦楽を共にして、1976年、バイロイトへの出演がうまくいって間もなく別居し離婚に至った妻アンネカトリンが『私の夫のように突然、一躍有名になるような人は、特別の人生を送らざるをえないものです』と言っていますが、こういう人にはやはり色々あるものなんだ・・という感じです。(左の写真は情報を下さった方が1993年ベルリン・ドイツ・オペラのトリスタンとイゾルデで来日の時にNHKホールの楽屋入口で撮影なさったものです。ありがとうございます^^+)
やはり伝記(2003年)に、
『1964年には長男のペーターが生まれ、1965年にはヨハンネスが続いたので、私は突然妻子の扶養という義務を負わされることになった。それはすなわち、両親がしてくれた以上に、自分の家庭をよりよく築いていくという大きな責任を負うことだったが、うまくやってきたと思う。子どもたちとは、一番下のレオにいたるまで、非常によい関係を保っている。今では、大きい子どもたちは、二人とも自分の家庭を持っていて、私にはすでに4人の孫がいる』
という下りがあります。この『一番下のレオ』は、ずっと気になっていました。でも、情報に出会うこともなかったし、熱心に調べる気もありませんでした。
上の元の記事にも書きましたが、ハンナ・シュヴァルツは、レーザーディスクで視聴した 1980年バイロイト音楽祭の「ニーベルングの指環」の、北欧、ゲルマン神話の主神ヴォータンの正妻である結婚の女神フリッカが、非常に印象的でした。「ラインの黄金」と「ワルキューレ」に登場しますが、特に「ワルキューレ」でのフリッカは迫真でした。この映像は初めから終わりまで衝撃的でした。フリッカは、ペーター・ホフマン演じるジークムントと直接絡む場面は全然ありませんが、この映像では、彼女の一言、一言が、単なる空虚な台詞ではなく、その関係性を強烈に示すものでした。生々しい感情が、テレビ映像からさえ、はっきりと伝わってきました。
それはそれとして、当たり前ですが、すばらしい歌手だけど、ホフマンとの関係は、相手役でもない、単なる共演者でしかないと思っていました。ところが、そうではなかったことを、ごく最近知りました。ホフマンのファンの方からの情報です。となると、あの存在感と生々しさは、演じる歌手の私的な思いがあふれていたのかもしれません・・
情報をくださった先輩ファンの方のお陰で、読むことができた新聞記事の印象では、要するに、1990年に二人の関係といわゆる隠し子のことが、1980年代後半から徐々にパーキンソンの影響が発現しはじめて、不調が目立つようになり、まさかパーキンソンという難病とはだれも思い及ばず、不調の原因があちこちに求められた・・その一環として、暴露されたようです。欠落もあって残念なのですが、以下、1990年の新聞記事です。***** ペーター・ホフマン 隠し子 浮上
彼は少年ジークフリートみたいだ
ペーター・ホフマン(46)はハンブルグの「オペラ座の怪人」として自分の声と悪戦苦闘している。消息通は、彼はこのハンザ同盟都市でその大きな秘密にそれこそ間近に直面せざるを得ないため、その結果、声の調子が悪くなるのだと、推測している。つまり、かつてのバイロイトのスターはハンブルグに隠し子がいる。9歳のレオ・ハインリッヒだ。彼はまるで少年ジークフリートみたいだ。
写真の説明:
左)「幼いジークフリート」 レオ・ハインリッヒ
右)ペーター・ホフマンとハンナ・シュヴァルツ
1979年 ハンブルグ歌劇場で
訳者註:同年、二人ともナクソス島のアリアドネに出演しています・・ホフマンはテノール歌手/バッカス、シュヴァルツは作曲家***** ペーター・ホフマン: 彼女は、赤ん坊が欲しい。養育費はいらないと言った。
ペーター・ホフマンは1980年にバイロイト音楽祭でワーグナーの「ワルキューレ」でジークムント役を歌った。フリッカ役は卓越したアルトでありメゾ・ソプラノでもあるハンナ・シュヴァルツ(現在46歳)だった。
ハンブルグ出身のブルネットの女声歌手とブロンドのヘルデンテノールはあの「緑の丘(バイロイトのこと)」でプライベートな交際をした。ある雑誌のインタビューによれば、ホフマンはシュヴァルツに「あなたの子どもが欲しい。どんな責任もとらなくていい。養育費はいらない」と言われた。ハンナ・シュヴァルツは9ヶ月後、彼女のバイロイトベビーを出産した。レオ・ハインリッヒである。
幸せいっぱいの母親は、ブロンドのまるまる太った赤ん坊を、生後4週間になるかならないうちから、ニューヨーク、パリ、ロンドンと、全ての公演に同伴した。
ペーター・ホフマンは、約束に反して、日増しに少年ジークフリートに似てくる、隠し子に会っていた。現在は、レオ・ハインリッヒに会うことを避けざるをえない状況である。というのは、ハンナ・シュヴァルツが、この春、ジャズ作曲家のジャンマリー・ウィルソンと秘密裏に結婚したからだ。
「ペーターは、ハンブルグで『オペラ座の怪人』をやっていますが、ハンブルグのハルフェステフーデに彼の隠し子が住んでいるのです。これは彼にとって非常に気になって落ち込む原因です。ペーターは過去に苦しんでいます。これが、声にも影響を及ぼしているのです」
友人の一人は、こう説明した。***** かの「緑の丘」では、みんな知っていた。ペーター・ホフマンとハンナ・シュヴァルツの間に結婚外の息子があることを。でも、全員が秘密を守った。歌手仲間も知人も友人も、堂々たる偉丈夫のヘルデンテノールと美しいメゾソプラノの秘密を快く認めていた。それなのに、水曜日、バイロイト音楽祭の初日に合わせて、二人の世界的オペラ歌手の情事が暴露された。
以下、興味深い詳細:
ホフマンの息子、レオ・ハインリッヒ(9)はまさしく1980年音楽祭の子供である。当時、ハンナ・シュヴァルツはニーベルングの指環のフリッカとして、ジークムントの死を望んでいた。(欠落)・・彼はまだ頂点はきわめていなかった。かつての十種競技選手はバイロイトで、彼の人生において重要な二人の女性と出会った。一人は、ハンナ・シュヴァルツで、彼の子どもをもうけた。ホフマンはその子にずっと定期的に会っている。もう一人は、デボラ・サッソンで、彼の妻になった。
このように、ワーグナーオペラのバイロイトには、ソープオペラもある。1982年、パルジファルだったホフマンと二人の女性たちは、同時に舞台上にいることになった。サッソンとシュヴァルツは、花の乙女役として、3000の目と耳を前にして、嫉妬の火花を散らした。リヒャルト・ワーグナーは、女性たちにパルジファルを得ようと必死にさせているのだから、そういう役どころだったわけだが・・事情を知っている者にとっては、ものすごくおもしろかった・・ なにしろ、こう叫ぶのだから・・「私が一番美しいわ。いいえ、私が・・
(以下欠落)・・」
訳者註:シュヴァルツは、1982年と1983年に1幕フィナーレのアルトソロと花の乙女を担当しています。サッソンは毎年(1982年〜)花の乙女として出演しています。
パルジファル2幕:花の乙女登場場面〜1982年バイロイト音楽祭 ラジオ放送より
☆ユーチューブへ☆
写真の説明:
バイロイト歌手のラブストーリー:ペーター・ホフマンとデボラ・サッソン(写真左:ここでは省略)彼女は舞台で、彼女より以前の恋人だったハンナ・シュヴァルツと一緒に、各々がホフマンを自分のものにしようと歌った。上(ここでは左)の写真は、息子のレオ・ハインリッヒと一緒のハンナ・シュヴァルツ。父親はペーター・ホフマンで定期的に坊やと会っている。*****
この新聞記事から浮かんでくるのは、善し悪しは別として学生運動が盛り上がった1960年代から1970年代の自立した強い女性の姿です。俗な言い方をすれば、男も子供も欲しいけど、夫はいらない。未婚の母志向の女性が目立った時代だったように思います。そんな時代のそんな女性を感じます。
ワーグナー作曲「ニーベルングの指環」に登場する女神フリッカ、北欧、ゲルマン神話の主神ヴォータンの妻。この役、バイロイト音楽祭1980年の映像で見られるハンナ・シュヴァルツが一番というかダントツに好きです。ペーター・ホフマン演じるジークムントと直接絡む場面は全然ありませんが、彼女の一言、一言が、単なる空虚な台詞ではなく、その関係性を示しています。まあ、私の勝手な思い入れにすぎないにしても、こういうことを感じさせてくれるフリッカは他にはいません。たったの数回の実演といくつかの映像の中の他のフリッカは、印象が薄かったり、嫌いだったりして、忘れました。
もうひとつバイロイト音楽祭では、1987年のホフマンがトリスタンだったトリスタンとイゾルデ、ブランゲーネ役で聴きました。
同じ演出の1983年映像化されたのでも、やはりブランゲーネです。
ワーグナー:トリスタンとイゾルデ
ダニエル・バレンボイム指揮
ジャン・ピエール・ポネル演出
バイロイト音楽祭1983、1986、1987
1983年映像 | 1986年ラジオ放送 | 1987年ラジオ放送 | |
トリスタン | ルネ・コロ | ペーター・ホフマン | ペーター・ホフマン |
イゾルデ | ヨハンナ・マイヤー | ジャニーヌ・アルトマイヤー | カタリーナ・リゲンツァ |
ブランゲーネ | ハンナ・シュヴァルツ | ワルトラウト・マイアー | ハンナ・シュヴァルツ |
クーベナル | ヘルマン・ベヒト | エッケルハルト・ヴラシハ | ボード・ブリンクマン |
マルケ王 | マッティ・サルミネン | マッティ・サルミネン | マッティ・サルミネン |
メロート | ロベルト・シュンク | ロベルト・シュンク | グラハム・クラーク |
新国立劇場の「ジークフリート」で、ハンナ・シュヴァルツは大地の女神エルダでした。短い登場にもかかわらず、その存在感は圧倒的でした。写真で見る限り、いわゆる美人ではないようですが、舞台姿は美しいです。ベーム指揮の映画版「サロメ」で、お小姓役を担当していますが、ほんとに美形の少年になっています。いわゆるズボン役はこれしか見たことがないと思いますが、1979年ハンブルクの「ナクソス島のアリアドネ」での作曲家もきっとはまっていたことでしょう。この役は、役とずれた歌手がやっているのを見たことがないような気がします。まさにぴったりの映像がほとんどみたい。
カラヤンの「パルジファル」1980年DGでは、美しいアルトソロを担当しています。
↓追記2009年8月
私のように遅ればせのファンではない、ずっと前からのペーター・ホフマンのファンの方々には周知のことだった・・みたいです・・伝記(1983年)の中で、若すぎるという周囲の反対を押し切って共に19歳で結婚し、苦楽を共にして、1976年、バイロイトへの出演がうまくいって間もなく別居し離婚に至った妻アンネカトリンが『私の夫のように突然、一躍有名になるような人は、特別の人生を送らざるをえないものです』と言っていますが、こういう人にはやはり色々あるものなんだ・・という感じです。(左の写真は情報を下さった方が1993年ベルリン・ドイツ・オペラのトリスタンとイゾルデで来日の時にNHKホールの楽屋入口で撮影なさったものです。ありがとうございます^^+)
やはり伝記(2003年)に、
『1964年には長男のペーターが生まれ、1965年にはヨハンネスが続いたので、私は突然妻子の扶養という義務を負わされることになった。それはすなわち、両親がしてくれた以上に、自分の家庭をよりよく築いていくという大きな責任を負うことだったが、うまくやってきたと思う。子どもたちとは、一番下のレオにいたるまで、非常によい関係を保っている。今では、大きい子どもたちは、二人とも自分の家庭を持っていて、私にはすでに4人の孫がいる』
という下りがあります。この『一番下のレオ』は、ずっと気になっていました。でも、情報に出会うこともなかったし、熱心に調べる気もありませんでした。
上の元の記事にも書きましたが、ハンナ・シュヴァルツは、レーザーディスクで視聴した 1980年バイロイト音楽祭の「ニーベルングの指環」の、北欧、ゲルマン神話の主神ヴォータンの正妻である結婚の女神フリッカが、非常に印象的でした。「ラインの黄金」と「ワルキューレ」に登場しますが、特に「ワルキューレ」でのフリッカは迫真でした。この映像は初めから終わりまで衝撃的でした。フリッカは、ペーター・ホフマン演じるジークムントと直接絡む場面は全然ありませんが、この映像では、彼女の一言、一言が、単なる空虚な台詞ではなく、その関係性を強烈に示すものでした。生々しい感情が、テレビ映像からさえ、はっきりと伝わってきました。
それはそれとして、当たり前ですが、すばらしい歌手だけど、ホフマンとの関係は、相手役でもない、単なる共演者でしかないと思っていました。ところが、そうではなかったことを、ごく最近知りました。ホフマンのファンの方からの情報です。となると、あの存在感と生々しさは、演じる歌手の私的な思いがあふれていたのかもしれません・・
情報をくださった先輩ファンの方のお陰で、読むことができた新聞記事の印象では、要するに、1990年に二人の関係といわゆる隠し子のことが、1980年代後半から徐々にパーキンソンの影響が発現しはじめて、不調が目立つようになり、まさかパーキンソンという難病とはだれも思い及ばず、不調の原因があちこちに求められた・・その一環として、暴露されたようです。欠落もあって残念なのですが、以下、1990年の新聞記事です。
彼は少年ジークフリートみたいだ
ペーター・ホフマン(46)はハンブルグの「オペラ座の怪人」として自分の声と悪戦苦闘している。消息通は、彼はこのハンザ同盟都市でその大きな秘密にそれこそ間近に直面せざるを得ないため、その結果、声の調子が悪くなるのだと、推測している。つまり、かつてのバイロイトのスターはハンブルグに隠し子がいる。9歳のレオ・ハインリッヒだ。彼はまるで少年ジークフリートみたいだ。
写真の説明:
左)「幼いジークフリート」 レオ・ハインリッヒ
右)ペーター・ホフマンとハンナ・シュヴァルツ
1979年 ハンブルグ歌劇場で
訳者註:同年、二人ともナクソス島のアリアドネに出演しています・・ホフマンはテノール歌手/バッカス、シュヴァルツは作曲家
ペーター・ホフマンは1980年にバイロイト音楽祭でワーグナーの「ワルキューレ」でジークムント役を歌った。フリッカ役は卓越したアルトでありメゾ・ソプラノでもあるハンナ・シュヴァルツ(現在46歳)だった。
ハンブルグ出身のブルネットの女声歌手とブロンドのヘルデンテノールはあの「緑の丘(バイロイトのこと)」でプライベートな交際をした。ある雑誌のインタビューによれば、ホフマンはシュヴァルツに「あなたの子どもが欲しい。どんな責任もとらなくていい。養育費はいらない」と言われた。ハンナ・シュヴァルツは9ヶ月後、彼女のバイロイトベビーを出産した。レオ・ハインリッヒである。
幸せいっぱいの母親は、ブロンドのまるまる太った赤ん坊を、生後4週間になるかならないうちから、ニューヨーク、パリ、ロンドンと、全ての公演に同伴した。
ペーター・ホフマンは、約束に反して、日増しに少年ジークフリートに似てくる、隠し子に会っていた。現在は、レオ・ハインリッヒに会うことを避けざるをえない状況である。というのは、ハンナ・シュヴァルツが、この春、ジャズ作曲家のジャンマリー・ウィルソンと秘密裏に結婚したからだ。
「ペーターは、ハンブルグで『オペラ座の怪人』をやっていますが、ハンブルグのハルフェステフーデに彼の隠し子が住んでいるのです。これは彼にとって非常に気になって落ち込む原因です。ペーターは過去に苦しんでいます。これが、声にも影響を及ぼしているのです」
友人の一人は、こう説明した。
以下、興味深い詳細:
ホフマンの息子、レオ・ハインリッヒ(9)はまさしく1980年音楽祭の子供である。当時、ハンナ・シュヴァルツはニーベルングの指環のフリッカとして、ジークムントの死を望んでいた。(欠落)・・彼はまだ頂点はきわめていなかった。かつての十種競技選手はバイロイトで、彼の人生において重要な二人の女性と出会った。一人は、ハンナ・シュヴァルツで、彼の子どもをもうけた。ホフマンはその子にずっと定期的に会っている。もう一人は、デボラ・サッソンで、彼の妻になった。
このように、ワーグナーオペラのバイロイトには、ソープオペラもある。1982年、パルジファルだったホフマンと二人の女性たちは、同時に舞台上にいることになった。サッソンとシュヴァルツは、花の乙女役として、3000の目と耳を前にして、嫉妬の火花を散らした。リヒャルト・ワーグナーは、女性たちにパルジファルを得ようと必死にさせているのだから、そういう役どころだったわけだが・・事情を知っている者にとっては、ものすごくおもしろかった・・ なにしろ、こう叫ぶのだから・・「私が一番美しいわ。いいえ、私が・・
(以下欠落)・・」
訳者註:シュヴァルツは、1982年と1983年に1幕フィナーレのアルトソロと花の乙女を担当しています。サッソンは毎年(1982年〜)花の乙女として出演しています。
パルジファル2幕:花の乙女登場場面〜1982年バイロイト音楽祭 ラジオ放送より
☆ユーチューブへ☆
写真の説明:
バイロイト歌手のラブストーリー:ペーター・ホフマンとデボラ・サッソン(写真左:ここでは省略)彼女は舞台で、彼女より以前の恋人だったハンナ・シュヴァルツと一緒に、各々がホフマンを自分のものにしようと歌った。上(ここでは左)の写真は、息子のレオ・ハインリッヒと一緒のハンナ・シュヴァルツ。父親はペーター・ホフマンで定期的に坊やと会っている。
この新聞記事から浮かんでくるのは、善し悪しは別として学生運動が盛り上がった1960年代から1970年代の自立した強い女性の姿です。俗な言い方をすれば、男も子供も欲しいけど、夫はいらない。未婚の母志向の女性が目立った時代だったように思います。そんな時代のそんな女性を感じます。
2009-08-27 19:22
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コメント(8)
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ハンナ・シュヴァルツといえばやっぱり初めて見たシェローリングのフリッカです!
マキンタイヤウォータンとの夫婦喧嘩場面は素晴らしいですよね!
どう見てもウォータンに勝ち目はありません^^
映像でのブランゲーネの2幕での「用心してください。夜が明けます」の声が妙に印象に残っています。
派手さはありませんが存在感ある人ですね。
ベームのサロメも読ませていただいて思い出しました。
ズボン役ぴったりだからミュンヘンあたりではオクタヴィアンも歌っていそうですね・・・
ベームのサロメはストラータスは歌えていませんね。
椿姫の映画でも歌は全く駄目でしたし。
美貌と演技力を演出家は第一に考えるのでしょうか?
ハンナシュヴァルツはバーンスタイン&ウィーンフィルの第九でのアルトソロも印象的です。
これはソリスト云々よりバーンスタインの凄さであるといえますが。
余談ですがサロメはピーターホールのマリアユーイングの歌と踊りが圧倒的だと思います^^
マルフィターノもよかったかな~
オペラのお話は考え始めたらきりがありませんね。
METの「ヘンゼルとグレーテル」は私はLDで見ています。
と言うより私はオペラ映像はVHDとLD世代です^^
それな~に?でしょうね^^
ユニテルは昔はVHDという欠陥品でしか見られませんでした。
by ななこ (2007-04-05 23:00)
>シェローリングのフリッカ
文句なしにいいですね。なんというか女らしいのに中性的というか、女性を惹き付ける何かがあるようです。男の人から見て、どうなのかしら?
>サロメ
私はマルフィターノのほうにはまりました。ダンスは、特にドイツ・オペラのほうは下手な体操でいただけませんけど・・・ 何年か後のコヴェントガーデンのほう、ダンスが格段に巧くなっていて(振り付けもいいのかもしれません)感心してしまいました。ユーイングのダンスは確かに上手ですね。この映像は、白塗り半裸のヨカナーンが痛々しいです。
マルフィターノのサロメ(ドイツオペラのほう)、友だちとお店で輸入ビデオを見つけたのが最初。Nuid&graphical violenceに注意!!の警告付きで、おそるおそる共同で買って、かわりばんこに見ました。見て、何よ!おおげさなってなものでしたけど・・ むしろ、エステスのヨカナーンの歌詞ズレが恥ずかしいのと強烈な色気のほうが危ない感じ・・(注意すべきNuidはこっちかも?)。
>LD世代
登場して消えた・・ 登場にお〜〜っと驚き、消えるの早くない?って思いましたねぇ・・・ VHDは手が出そうになりましたが、ぐっと我慢したらあっと言う間に消えました^^;;
by euridice (2007-04-05 23:34)
>男性からみて
断然!惹きつけられますよぉ~(≧▽≦)
http://www10.tok2.com/home/wagnersring/walkyre/w2/w141.jpg
実はかなり意識してます。
他のフリッカは何か微妙に嫌いなんですが、このフリッカはシェローの意図が見事に当って、仕草が物凄く艶っぽい。
夫婦間にある、無言の会話部分というのが垣間見える感じなんです。
そう考えるとつくづくシェローの指環は類稀に恵まれた作品です。
by あやかしのとら (2007-04-13 12:15)
あやかしのとらさん
>>男性からみて
のご意見、ありがとうございます!!
>実はかなり意識してます。
似てます、似てます!
>夫婦間にある、無言の会話部分というのが垣間見える感じ
そうですね。あの映像、登場人物の人間関係がきちんと見える感じです。
勝手に歌ってますって感じののど自慢映像、しらけます。
by euridice (2007-04-13 22:03)
その当時だと高齢出産でぎりぎりというところですね。
女は、してやったり....だったでしょうね。
今で言えば、ネトレプコかな....
>男も子供も欲しいけど、夫はいらない
確かに...分かりますが、だったらそれを貫いて欲しいです....
>ジャズ作曲家のジャンマリー・ウィルソンと秘密裏に結婚した
っていうのが率直に言えば、気に入らない....
by keyaki (2009-08-28 10:50)
それまで「緑の丘」では快く二人の秘密を認めていたのですよね?
病気が原因で、でもまさかそんな病気とは本人すら知らなくて苦しんでバイロイトへの出演もできなくなった1990年にこのような偏見も甚だしい記事を載せるなんて許せません。
ハンナシュヴァルツがその後結婚しようがしまいが、はっきり言ってレオとの関係でホフマンが悩むなんてあり得ないじゃないですか。
過去に苦しむなんて言い方もあきれます。
そんなことをマスコミに言ってる友人とは一体誰ぞや?
なんでもかんでも不調の原因に結びつけようとする輩のおぞましさには嫌悪感増すばかりです。
ホフマンとハンナシュヴァルツの関係を教えていただいて思うのは「シェローリングでのフリッカのジークムントへの愛憎反する強い思い入れをもう一度確認しよう!」ってことです。
>未婚の母志向の女性が目立った時代
ですね。
今は結婚して専業主婦か独身でキャリア志向の二極化・・・
そして何故かいずれにとっても母になることへの支障が多いのが問題です。
by ななこ (2009-08-28 13:20)
これ、初めて知りました。このサイトを知るまで孤独なファンでしたから。
洋の東西を問わず、どこでも芸能マスコミは同じですね。アラ探しのうまいことには怒りや嘆きを通り越して呆れるばかりです。
シュヴァルツにしてみると「自分の子供の父親」にぴったりの理想のタイプが目の前にいた、それだけだったのでしょう。ただ、それだけに子供と父親の良好な関係を保ってやるのは、彼女が責任持っていいはずだと思います。
フリッカの素晴らしさには異論はまったくなしで、シェロー演出の成功を担った重要な一人に間違いないです。存在感のあるアルトで、この手の人材が不足すると舞台のできが薄くなるというか。
原因不明の不調=体調に何か抱えてる?と疑いもせず、「過去に苦しんで」とは、どんな思考回路から出てくるものか、ここに登場する「友人」とはどんな存在か、いずれも人間性を疑いたくなりました。
keyakiさん、ななこさんの不快感がよくわかりますし、同じ気持ちです。
少なくともドイツでは敬意を払って扱われていることを期待していましたが、残念と言うほかありません。
騒がれるだけのスターだったと思っても、やはり哀しく残念です。
by ペーターのファンです。 (2009-08-28 18:37)
どうも・・愉快でない情報で、申し訳ないですが、私も同感です。
不調の原因探しも極まったという感じですけど・・
レオのことで不調という記事は、一読して、意味がわかりませんでした。
今もよくわかりませんけど、とにかく原因が欲しかったんでしょう・・
この友人とやら、場所柄もぴったりだし・・で、
アル中や薬物依存と言われるよりは、メンタルなことのほうがましと思ったのかも。
2003年の伝記を信じれば、父と子の関係は良好なわけで、この記事は的外れということですね。
ホフマンを知って以来、不可解なことが多くて、ちょうどインターネット時代に入ってきたころだったので、主としてアメリカのサイトから情報を得ましたが、とにかく酷いものが多かったです。不調が目立つようになってからは「多くの悪意に満ちた言辞が言い立てられ」「悪意に満ちた言葉が滝のように浴びせられた」と伝記にもあります・・
悪意のもとは、ポップス活動に対する反感と両分野での成功、根本的には稀有の才能に対するねたみでしょう。ポップス活動に対する反感は、少数にしろ相当有力な評論家が中心にいたようですから、これに迎合するジャーナリストが存在するのは当然でしょう。その人たちにとって、不調は、鬼の首を取った気分だったのでしょう。
重大な病気を疑っていた人もいたのだろうと思いますが、不調の原因を何が何でもロックとワーグナーに求めたかった人が少なくないみたいですし・・
オペラ座の怪人で共演したアンナ・マリア・カウフマンは、ドイツでの扱いは酷いとはっきり言っています。残念なことですけど、突出した才能が地元では認められにくいということの証明なのか、ドイツにはSchadenfreudeという語もあるほどで、それなのか・・ なんて思ったり・・ ドイツ語のニュアンスの捉え方に自信はありませんけど、ホフマンの近況の記事など、なんとなくそんな感じがしてしまいます。なんとなくきついというか意地が悪い感じを受けるものが少なくないです。
どう言われようが、どう扱われようが、私の中でホフマンの価値が下がることはないです。ほんとにホフマンの歌はすばらしいと、聴くたびに思います。
by euridice (2009-08-28 21:22)