SSブログ

ビルギット・ニルソン [オペラ歌手2]

ビルギット・ニルソン(1918.05.17- 2005.12.25 スウェーデン)は、ワーグナー・ソプラノとして、とても有名です。(没年追記、2006.1.12)

オペラ聴きはじめのころ、トゥーランドットのCD、よく聴いたものです。

ペーター・ホフマン、キャリアのごく初めごろ、ワルキューレの双子として共演したことがあるということです。

以下は、伝記からです。

「 本当にすべてをなかなか把握しきれなかった」とペーター・ホフマンは当時を振り返る。

「物事が全部勝手に進んでいた。私は3年の間に、前にも話した『ポッペアの戴冠』のネロ役や、さらに、難しいけど興味深い役だったクレーブスの『真の勇者』をはじめ、すでに定番のレパートリーをほかにも、自分のものにしていた。私はいつも沢山の『はじめての仲間』である同僚や指揮者といっしょに仕事をするようになった。

デュッセルドルフの『ワルキューレ』では、カール・リッダーブッシュ、シュトゥットガルトではビルギット・ニルソンがいた。なんとあの偉大なビルギット・ニルソンが私のジークリンデだったのだ。私は物凄く興奮した。........」


 ...... シュトゥットガルト歌劇場での「仕事初め」(1975年)の前に、「魔笛」のタミーノとジークムントの他にも多数の様々な役を経験している。「ポッペアの戴冠」のネロ、「こうもり」のアルフレート、ファウスト、イドメネオ、「ヴォッツェック」の鼓手長、「フィデリオ」のフロレスタン、「カルメン」のドン・ホセ、「魔弾の射手」のマックス、「ラインの黄金」のローゲ。

デュッセルドルフではじめてジークムントとして舞台に立ったときは、ウルスラ・シュレーダー・ファイネン、カール・リーダーブッシュという著名な歌手たちとの共演だった。その後、シュトゥットガルトでは同じ役でビルギット・ニルソンと共演した。

「その時は興奮のあまり膝ががくがくしました!」

 膝ががくがくしていたにもかかわらず、その頃も、自分がやりたいことを正確に把握している。

「舞台では演じなければならない。立って、歩いて、それ以外何もしない歌手は物凄く退屈だ。演出家が作品全体の正確なイメージを持っているのに加えて、歌手が役の正確なイメージをもっているときしか舞台はうまくいかない。だから、このイメージを一致させることが共同作業の課題だ」(オペラワールド誌 Opernwelt 1975年4月号)

プッチーニ トゥーランドット
フランチェスコ・モリナーリ・プラデルリ指揮
ローマ国立歌劇場 1965年 EMI

トゥーランドット:ビルギット・ニルソン
カラフ:フランコ・コレッリ
リュー:レナータ・スコット
チムール:ジャイオッティ
ピン:グイド・マッツイーニ
ポン:ピエロ・デ・パルマ
パン:フランコ・リッチャルディ
大官:ジュゼッペ・モレーシ

エレクトラ*歌劇R.シュトラウス エレクトラ
ジェームズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場1980年
エレクトラ:ビルギット・ニルソン
妹、クリソテミス:レオニー・リザネク
母、クリテムネストラ:ミニョン・ダン
弟、オレスト:ドナルド・マッキンタイヤー


nice!(0)  コメント(11)  トラックバック(2) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 11

ヴァラリン

あ、取り上げて下さったんですね!ありがとうございます!!
ニルソンとリザネクは仲良しだったというお話を聞いた事がありますから、もしかしたら2人で「若くて素敵で有望なテノールがいるけど、もう少し早く生まれてきてくれていればねぇーー;」とか、話していたかもしれませんね(^^!

ニルソンはなかなかお茶目なひとだったみたいですね。
by ヴァラリン (2005-12-13 01:21) 

euridice

わくわくして若々しいジークリンデになれたことでしょう!^^!
by euridice (2005-12-13 09:06) 

TARO

ホフマンの活躍期に、ニルソンがブリュンヒルデではなくジークリンデを歌うことがあったというのが、驚き。
もしかして1幕だけのガラ公演とか、そういうのでしょうか?
by TARO (2005-12-13 12:55) 

euridice

1974年として、ニルソンは56歳ですね。リザネクのジークリンデさよなら公演が1988年で、リザネク62歳、この数年前にサンフランシスコだったかでも同じ役で共演したらしいです。だから、ニルソンもあり得ない話じゃないってことでしょうか・・・

1986年のバイロイトでのトリスタンとイゾルデのときは、初日はジャニーヌ・アルトマイヤーだったけど、二日目はイングリット・ビョーナー(1928.11.08-  ノルウェー)だったそうです。後半はカタリーナ・リゲンツァ(1937.10.18- スウェーデン→ドイツ)
by euridice (2005-12-13 21:20) 

助六

ホフマンとニルソンのヴェルスング兄妹には驚きました。カレラスとカバリエ以上に「倅とおっ母さん」の趣ですね!
ニルソンは80年ヴィーン来日、その後の来日リサイタルとかで聞くチャンスはあったけれど、金が足りず逃しましたなぁ。TAROさんはお聴きになってるんじゃないですか。
リザネックが、仏インタヴューで質問に答えて「ニルソンがいたから、イゾルデとバラクの妻を歌うチャンスがなかったのは事実。やっぱり残念ではあります」と述懐していたことがありました。やはり戦後オペラ界の黄金時代が50-60年代というのは事実のようですね。
by 助六 (2005-12-14 07:33) 

TARO

はい、聞いてます。80年の来日。
ニルソンのエレクトラ、リザネックのクリソテミス、キングのエギスト。これで指揮がシュタインだったら最高だったんですが、残念ながらクロブチャールでした。
そういえばニルソンにバラクの妻をレパートリーにするよう薦めたのは、リザネックだそうですね。
by TARO (2005-12-14 22:56) 

Bowles

はじめてお邪魔させていただきます。

ニルソンはバイロイトの来日で聴きました。ガキには豚と真珠状態でしたが。それ以後聴く機会はありませんでした。ギネジョンもそうでしたが、なにしろ声がでかい!!

ヴァラリンさん
>ニルソンはなかなかお茶目なひとだったみたいですね。

ブリュンヒルデの胸に置かれていたDon't disturbの札の話は有名ですが、METでのレヴァイン・ガラの時の、「マエストロ、私のタオルを返して!」というスピーチも、ユーモアにあふれたものでした。
by Bowles (2005-12-15 10:41) 

TARO

Bowlesさん

うわっ、凄い!あのニルソン、ヴィントガッセン、ホッターの公演をお聞きになってるなんて。
私の知人で、あのバイロイト来日を生で体験してるという人はこれまでたった一人しかいなかったんですが、これで二人目です。
by TARO (2005-12-15 22:17) 

euridice

Bowlesさん、いらっしゃいませ。
そこここで興味深いコメント、拝見しています。
これからもよろしくお願いします。
by euridice (2005-12-16 06:45) 

まさし

はじめまして。
えと、どこから飛んできたのか忘れてしまったのですが 笑

偉大なるニルソン女史、遂にお亡くなりになられたようで・・・
87歳だから大往生ですが、やはり淋しいものがありますね。
ホフマンさんもさぞかしショックだろうと思います。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
by まさし (2006-01-13 10:31) 

Orfeo

TBありがとうございました。
早速TB返しさせていただきました。
『エレクトラ』のDVDがあるんですね。
観てみたいです・・・。
by Orfeo (2006-01-20 09:32) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 2