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最初のアルバム「ロック・クラシック」 [PH]

このアルバムは、だれでも知っているような英語の名曲を集めたものです。私でもどれも耳にしていた曲で、いくつかは大好きな曲でした^^!

スカボロー・フェアはデボラ・サッソンとのデュエットです。耳になじんだ懐かしい曲ばかりで、聴いているといい気分になります。こんな人もいます。私は同感ですが、こんなもの認めない!という人も多いのでしょう。

『ホフマンの10曲中ではスカボロフェアが空前の圧倒的な名唱。ワーグナー歌手のフォーク・ロックなんかげてものと笑殺する前に、一度耳を傾けてみてほしい。サイモンとガーファンクルなどけしとんでしまう。クラシックとポピュラーの垣をホフマンは愉しげに超えてしまった。』〜 塚本邦雄(歌人・近畿大学教授)「世紀末花伝書」文芸春秋。

よくお邪魔しているいくつかのブログのお陰で、ジョン・レノンの25周忌を知りました。それにたまたまyahooのオークションに出品されているので、前にも取り上げましたが、もう一度。
↓以前の記事です。
ロック・クラシック ☆ロック・クラシック 続き

ロック・クラシック ROCK CLASSICS 1982年 ソニー
朝日のあたる家
スカボロー・フェア
太陽はもう輝かない
THE LONG AND WINDING ROAD
マッカーサー・バーク
セイリング
イェスタデイ
さようならハリウッド
サテンの夜
明日に架ける橋

以下、おなじみ某女性音楽評論家の意見です・・
ペーター・ホフマンのレパートリーを研究するなら、彼のロック・ミュージックを無視するわけにはいかないだろう。(こういうことを言うと眉をつりあげる人たちには、ホフマン自身の非常にわかりやすい、「良い音楽と良くない音楽があるだけで、カテゴリーではなく、その音楽の質が違いを決めるのである」という意見を引用させてもらいたい。また、スレザークもメルヒオールもコロもみんなポピュラー音楽を歌っていることにも気づいてもらいたい。ただし、誰一人、ペーター・ホフマンの半分もよくない) ホフマンにとって、ロックやポップ・ミュージックは、歌手の他の多くのレパートリーのうちで、芸術歌唱と同じ位置を占めている。実際、ホフマンにとって、ロックは今日の歌曲Liederなのだ。すなわち、音楽の歴史を築いてきたクラシック歌曲と、現代の精神に語りかけるクラシック歌曲があるということだ。

ペーター・ホフマンのロックを巡る批評には、多くの問題点が浮上する。ロックにクラシックという語を当てはめられるのか。また、もしできるとして、ホフマンのクラシック・ロックは単なる物まねなのか、それとも、独立して成長しうる再創造的取り組みなのか。訓練された声がポピュラー音楽を、それにふさわしく、それらしく歌うことができるのか。あるいは、彼の歌唱はいわゆる「クロスオーバー」音楽なのか。この本はこういう問題を深く論じるものではないとしても、多少の回答は提示するべきだろう。

ホフマンは「クラシック」という用語を、いかなる種類の音楽であれ、演奏し続ける価値のある音楽という意味に理解している。ホフマンにとって、クラシックはすべての世代に存在する。ベートーベンだったり、「リング」、あるいは、ロックであったりする。そして、彼は、いわゆるクラシック音楽と現代音楽の和解をもたらし、両ジャンルの音楽の過去と現在の名曲の生きた宝庫を残そうとしている。だが、優れた芸術家ならだれでもそうであるように、ペーター・ホフマンのロック歌唱(そういう意味では彼のオペラ歌唱も)単なる物まねではない。ポピュラー・ソングの、彼の編曲と様式化をオリジナルと比べると、彼がもたらした個性的な創造性の深さがわかる。(実のところ、彼が特にロックに価値を認めるのは、こういう創造の余地故なのだ。なぜならば、オペラ生産の場には、こういう創造力を生かす機会がないことが多いからだ)

彼は、ロック・ミュージックの伝統のなかで、まさにオペラの伝統の中で彼がやっているのと同じことをしている。つまり、様式的に必要不可欠なことを学び、その音楽独自の特性をマスターするが、過去の演奏家を無批判に模倣しない。その音楽を消化吸収し、その様式を逸脱しない限界内で作り変え、その後に、聴衆に変化に富んだ新たな音楽的体験を提供する。

彼が訓練された声を持っていることは、ポピュラー音楽における彼の成功の妨げではない。というのは、ポップスをまるでグランド・オペラのように歌っている多くのオペラ歌手仲間と違って、ペーター・ホフマンは、その時々の素材にその声を順応させる。すなわち、声量、母音の配置、リズム、フレージングを調節しているし、言語的に完璧に熟達している。(彼の歌の多くは全くなまりのない英語で歌われている)それに、ポップスでは許容される、実験的な試みや音楽的なルバートをためらわない。

ロック歌手のホフマンは、あの上品ぶったジャンル、まさにホフマンの芸術と哲学が否定している境界をほのめかす新たな名称であるクロスオーバー・ミュージックの従事者ではない。ポップスをやっているとき 、ホフマンは、自らを「スラミングしているもの」とはみなさない。他のオペラ歌手は時にそのように見える。そうではなくて、ホフマンは、彼のロックを、心の底から好きな独自の表現形式として扱っており、そのための非凡な才能を有している。
※スラミング(slum, slumming):貧民街を訪れて、そこの住民に奉仕するといった意味でしょう


Il quaderno d'Estateのこちらの記事にTBさせていただきました。


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佐々木真樹

猫の目の前におさかな。
by 佐々木真樹 (2005-12-10 14:10) 

なつ

フォームを崩さずに、正攻法で歌い上げた「イエスタデイ」ですね。
こういう歌唱で聴くと、ビートルズのメロディの本来の美しさが、よくわかります。

>ホフマンは「クラシック」という用語を、いかなる種類の音楽であれ、演奏し続ける価値のある音楽という意味に理解している。

いい言葉ですね。
あるジャンルのファンと認識されると、他のジャンルを聴く(或いは演奏する)のは変だとか取る人いますが、自分で自分の世界を狭くすることない、と思いますねー。
by なつ (2005-12-10 16:30) 

おさかな♪

>ペーター・ホフマンは、その時々の素材にその声を順応させる。
 本当に音楽性が豊かで、また努力家な方なんですね。
 バイオリンのコンチェルトでも、元気な1楽章としんみりした2楽章で
 全然違う音色で弾く演奏を聴くと、素晴らしいなぁと思います。
 edcさん、TBとNice!をありがとうございました^^。
 衣替えされて、ますます素敵ですね。
by おさかな♪ (2005-12-10 21:49) 

佐々木真樹

あ! キーボードに「ねこ」ろぶeuridiceさんの背景も,クリスマスになってる?!
by 佐々木真樹 (2005-12-10 21:53) 

euridice

真樹さん
^^! ^^!

なつさん、おさかな♪さん、
わかってくださって、うれしいです^^!
by euridice (2005-12-10 21:55) 

佐々木真樹

おさかな,無事ゲットしました♪
by 佐々木真樹 (2005-12-14 06:11) 

euridice

真樹さん
初オークション落札おめでとうございます!!
後は品物がお手元に届くことを願ってます!
これで取引無事終了です。
by euridice (2005-12-14 08:07) 

佐々木真樹

CD届きました。
euridiceさんのおかげで,また貴重なものを入手することができました。
本当にありがとうございます。
by 佐々木真樹 (2005-12-17 21:22) 

euridice

「迅速」でしたね^^!
こちらこそ!うれしいで〜〜す
by euridice (2005-12-18 00:30) 

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