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役についての歌手のコメント集[8] [PH]

タンホイザー:ワーグナー「タンホイザー」

歌手はタンホイザーというオペラについてこんな風に語っています。

.........今日的行動様式は『タンホイザー』にも全く同じように見られる。ワーグナーは『リング(ニーベルングの指環)』だけが現代的だというわけではないのだ。ヴェーヌスベルクは売春宿をあらわしていると言えるだろう。男ならだれでもそこにちょっと入りたいと思うだろうが、そこにいたということを公言すれば、ある階層では馬鹿にされ、そういう男は人気がない。アウトサイダーとされる。タンホイザーは、ヴォルフラムが『この貴族階級の中で辺りを見回せば』と歌うとき、それはまだなんとかがまんできるが、ワルターが誰も触れるべきではない泉から始めるにいたっては、激高せずにはいられない。

 ヴェーヌスベルクは、ワルトブルクの対極にある快楽享受の場として、恐ろしげに否定的に見せるのではなく、ヴェーヌスのところは本当に楽しいとだれもが思うように表現されるべきだと思う。確かに飽きてうんざりしてくる。

しかし、そうした方が「婦人たちを尊敬し、触れるな」とか、あるいは 婦人とはただひたすらいかがわしい存在にすぎないのだという言葉を耳にしたとき、なぜタンホイザーが爆発したか理解できるに違いない。その時、タンホイザーは、お前たちは女性のことが何もわかっていないのだと、思っている。

 私ならヴェーヌスベルクはとてもすばらしいところのように演出したい。そこではどんなことが進行しうるだろうか。ポルノのような描写は考えていない。ただ、タンホイザーは初めから情事に関与しているべきだと思う。それでこそ、彼の倦怠感を追体験できると思う。

まるでアーモンド入りの砂糖菓子を休みなく食べているのと同じことだ。私がアーモンド入りの砂糖菓子がたまらなく好きだとしても、お腹の具合が悪くなるだろう。アーモンド入りの砂糖菓子には飽き飽きして、見るだけでもうんざりするだろう。かつては、無上の楽しみであり、味覚の幸福だったのに。しかし、過ぎれば、珍味もまた苦痛となる。

 ただフィナーレの合唱、あそこは戸惑うだろう。あれを現代的に演出するのは問題だ。........ (ペーター・ホフマン)

 「演出家にとって、二つの事が重要だ。すなわち、伝統に対する畏敬の念と、今日私たちが仕事に取り組む理由を視覚的にも明確にする方法を見つけ出そうとする勇気である」(ゲッツ・フリードリッヒ)


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