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オペラの演出 [PH]

いつもおじゃましているblogの記事、猿の惑星?ルイ・ヴィトン?リゴレット?のリンク先のプロモーションビデオ。猿というよりかヒヒ公爵の宮廷、まさに映画「猿の惑星」でした。リゴレットはそんな惑星になぜか娘と二人不時着しちゃったようで、娘を宇宙船のカプセルに閉じ込めて、自分はヒヒ公爵のところで道化をやってるようです。ヒヒ公爵はなぜかルイヴィトン愛好者なんです。つまり、ついでに言えば、この惑星はやっぱり滅びた地球なんですね。また有名オペラ劇場(なぜか複数)の廃墟で、猿たちはどうもオペラの衣装や小道具を身につけているらしい・・・
この演出「娘に恋人ができて、去られる父親の心理」を極論的に表現したものだとか・・・ 大事な娘を奪う男はニンゲンじゃない。よって、人間以上に人間的な動物を猿で象徴した「猿の惑星」を利用 ・・・映画をパクったのは、「若年層をオペラ劇場に来させよう」という意図らしい。とりあえずチケットの売れ行きはいいみたい。

公爵役のテノールはゲネプロを前にキャンセルしたそうですが、オペラ歌手と演出家、衣装担当者との確執。この辺り、例のごとく、P.ホフマンの伝記(1983年)にもありますので、どうぞ・・・

歌手の気持ち・・・
「けっこうな報酬が得られると思うからなのか、それとも、この劇場ではまだ何も演出していないから、確かにこの作品には全く興味がないが、それはまあ二年も先のことだから、それまでには多分アイディアがわくだろうという具合に、引き受けるわけなのか、いずれにしても、演出家たちは演出して欲しいと言われたら、なんでもかんでも引き受けるのではないかと時には疑いたくなる。こういうのは歌手に対してひどく無責任な行為だと感じる。幾つかの役は確かに難しいから、歌手が同じように準備不足でやってきたら、演出家こそが、まずはじめに、それじゃ仕事が進まないと言い出す人たちなのだ。他のテノールにしろ! 実際に時々オペラにおける歌手の価値について自問してしまう」

「舞台上に、棒のように立っているなど私には考えられない。それなのに、『もっと抑えて、ここはもう十分だ』と、私にブレーキをかける演出家もけっこういた。そして、私はそのようにした。なぜならば、私の今までの全キャリアにおいて、全然理解し合えないような演出家には出会わなかったからだ。シュトゥットガルトの『魔弾の射手』の時のアキム・フレイヤーを除いては。(略)彼は唯一の例外だった。彼とはひどく揉めた。(略) 是が非でも目立つために、ただなんとなく演出されたものだ。私抜きで願いたい。(略) この『魔弾の射手』は、私には合わないということに気がついたので、そのことを申し出た。そのとき『はい、わかりました。それでは、私たちは変更しなくては』という返事だった。私は、何か別のやり方が試みられるものと理解した。ところが、そうではなかった。私が変わるように求められたのだ。 (略)  私は直近の全然人気のない五つのレパートリー公演と引換えに『魔弾の射手』のプレミエをやっとのことで歌わずに済ませた。私はまだシュトゥットガルトとの専属契約中で、指定された役をそんなに簡単には拒否することはできなかった。それでも、私は同意していないということを劇場に示したかったから、この不愉快な出来事から黙って退散なんかしなかった。
 (略) そして、その演出に反対だったにもかかわらず、まあどの公演もちゃんとやろうという気になった。何がきっかけだったのかは、結局のところわからない。おそらく何か良心にかかわることだと思う。ごく小さな身振りを目にするだけで、全てのことを茶化し兼ねないところだった。 (略)  舞台でも同じように挑発できたところだが、やめておいた。その時には倫理的にもやましいところなく、そういうことする覚悟もあるところだった。ただ、怒りを観客にぶつけるのは正しいことではないに決まっているということが分かっていたに過ぎない」追記:もしやと思って、ビデオを捜し出しました。アキム・フレイヤー演出の魔弾の射手

「衣装及びメーク担当者にも、ひどく傷つけられることがある。このリスクは、舞台で避け難い。一番似合わない物を発見する夢のような確かな才能を持っている人も少なくない。それは不愉快なだけでなく、そういう状況でこうした欠点を自ら消し去るためには物凄い自制が必要になる。『どう見えてもかまわない』という態度をとるには力を必要とする。不必要な力だ。レベルが上がるとともに、こういう不愉快さは減ってはきたが、今もなお舞台に立っている間中、ひどい衣装をつけていると自覚しているという状況はなくなったわけではない。
  例えば、私は絶対帽子はかぶりたくない。帽子をかぶるくらいなら、むしろうちに帰るほうがいい。運のいいことに、帽子をかぶる役を歌わなくてはならないことはめったにない。額の上に帽子のつばがあると、要するに空気を正確につかむことができなくなるのだ。『魔弾の射手』の場合、これがいざこざがおこる点だ。私は帽子を手に持っていて、この作品をやっている間にいつの間にかなくしてしまう。それについて数時間にわたる議論が巻き起こり、私が、帽子か私のどちらかだと、要求して終ったものだ。頭に帽子がのっていたら、私は歌えない」


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コメント 5

keyaki

>ヒヒ公爵はなぜかルイヴィトン愛好者
ルイヴィトンって、有名ブランドをあっというまに傘下におさめちゃったんですよね。そういうのもなんか関係あるのかしらネ?
こういうの、おおまじめにやるわけですよね。一流のオケで。歌手は一流かどうかしりませんけど。

ホフマンの話面白いですね。
《歌手が、準備不足でやってきたら、一番に歌手を変えろ!》 
って言のが演出家だそうですが、新国のルルの演出家パウントニーは、言わなかったのね。

《衣装及びメーク担当者にも、ひどく傷つけられることがある》
あのヒヒ侯爵のメイクはやっぱり傷つきますね。病気になるのも当然でしょうね。
ああいう公演は座付きの歌手でやるのが賢明だとおもいますけど。
by keyaki (2005-02-22 19:19) 

euridice

>ルイヴィトン
女性をひきつける要素のひとつってとこじゃないのかしらね??
本質じゃないものに惹かれて、だまされる女心・・・ なにしろ、この演出だと、相手が猿、彼女が恋に落ちた納得のいく理由が不明じゃない?(まあ、普通の演出でもなんでこんなのに?!ってテノールもいますねぇ・・) ルイヴィトンに惹かれた!で納得ってことかな? このルイヴィトンは富の象徴じゃなくて、きれいなもの、可愛いもの、表面的な魅力の象徴なんでしょ。だから、公爵の衣装にも、カーテンにも、道具にも、色とりどりのあのマークがいっぱい。女の子が喜びそうじゃない? 以上、いい加減なフカヨミです^^;

ところで、プロモーションビデオに映ってるヒヒ公爵はそのキャンセルしたテノール? なかなか立派だったです。似合ってたから、ホントのホントに病気かも^^; 素顔の写真、雰囲気的に船越英一郎になんとなく似てない?
by euridice (2005-02-22 21:42) 

keyaki

>似合ってたから、
んんーー、それってぇーー
合唱団はすっぽりかぶるタイプで、ヒヒ公爵のは上だけであとはメイクだそうですけど、どちらにしろ自分の声が違って聴こえるそうですね。
「このままではオペラはジリ貧」だから、猿の惑星なんだそうですが、なんか刹那的で芸術に対する考え方とはおもえないなぁ。ディズニーランドのイヴェントみたいで。
話題を提供するということでは成功なんでしょうね。興行的にも成功するのかなぁ。(してほしくないけど)
オペラは目をつぶって聴くものと思っている人たちには、どうでもいいことでしょうね。
by keyaki (2005-02-23 13:56) 

euridice

>似合ってたから、
そうですね。やっぱり歌手としては相当覚悟がいるでしょうね。
プロ根性あるのみってところ・・・ 歌役者!尊敬しちゃいます。 
by euridice (2005-02-24 21:08) 

はひいい

ええすごいわ!!
by はひいい (2005-12-13 14:34) 

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