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1章 ヘルデンテノールとは [WE NEED A HERO 1989刊]

1章
ヘルデンテノールとは、一体何なのか

   ごく簡単に言えば、劇的な役(dramatic roles)を歌うテノールである。19世紀の産物だ。力強く英雄的な声がオペラのレパートリーと好みの変化に応じて作られたのだ。
 ヘルデンという「なんとなく古めかしい」名称は、ペーター・ホフマンがいみじくも指摘しているように、この特殊なドラマチック・テノールの持つ哲学的かつ超自然的な要素を内包して、ロマンチックな雰囲気を醸す。英雄的資質、ヒロイズムという概念は、劇的で力強い歌唱だけでなく、貴族性、精神的な強さ、霊的な力といった性格が付随することを暗示する。実際、ヘルデンテノールという概念にはこういった性質が、良い意味にしろ悪い意味にしろ、自ずとつきまとっている。声そのもの、そして、このタイプの役柄、そのどちらもが、選ばれた者(エリート)、神秘的なで不可解なスーパーマンの仲間であると言える。遠い存在、希有の、理解しがたい類いの歌手である。特殊な声のカテゴリーに、期待と排他性が加えられて、神話が造られ、そこに生じた誤解がこういった概念を増幅してきた。これらの神話を検証し、その事実性を評価し、その幻想を退けること、要するに、現代的感性でヘルデンテノールという語を再定義することが、この研究の目的である。
 広義では、ドラマチックなレパートリーを歌うテノールは全てヘルデンテノールと呼べるが、狭義なら、ヘルデンテノールとは、一般的にドイツ・オペラ、主としてワーグナーのテノール歌手を指す。このような見解からヘルデンテノールと呼ぶものは、おのずと限定される。それはリリックな歌唱であるが、ヘルデンテノールという呼称の基本は、声の質ではなく、むしろ地理によっている。この研究では、ヘルデンテノール歌唱の定義の幅が広がっている問題を歴史的に概観したい。
(ii, iii 略)

 一般的にヘルデンテノールが関わるのはドイツのドラマチックなレパートリーだが、多くの歌手はイタリア物やフランス物など、ドイツ物以外の役も歌っている。ヘルデンテノールのレパートリーはワーグナーのテノール役に限定されていないということは確かである。ヘルデンテノールのレパートリーを不当に限定して来た、ヘルデンテノールとワグナーテノールの同一視は誤りである。ワーグナー以外でしばしばヘルデンテノールによって歌われるドイツオペラの役としては、「影のない女」の皇帝、「ナクソス島のアリアドネ」のバッカス、ベートーベンの「フィデリオ」におけるフロレスタンが挙げられる。これらの役にはワーグナーのヘルデンテノールの分野と同じような声とドラマ性が求められている。

 イタリア物のドラマチック・テノールがヘルデンテノールの分野に挑戦するように、ドイツのヘルデンテノールもラダメス、オテロ、カニオ、あるいはもっと軽いヨハン・シュトラウスの役やモーツァルトのよりリリックな役を頻繁に歌っている。ヘルデンテノールが歌曲や他の形の音楽劇や歌で評判になることも珍しいことではない。アプローチのスタイル及び声質による区別に比べて、 レパートリーによる分類も不完全である。

 同じレパートリーの中でスタイルの違いを観察することで、ヘルデンテノールのアプローチがより明確に示される。例えば、ヴォルフガング・ヴィントガッセンのオテロは、その性格付け、雰囲気、スタイルにドイツ的なものがある。ヴェルディのドラマチックテノールというよりは、ヘルデンテノールである。同様に、プラシド・ドミンゴのローエングリンは、ヘルデンテノールの役をイタリアンテノールが歌っている古典的な例である。それなりに美しく、音楽的で、感動的でさえある。にもかかわらず、ドミンゴの白鳥の騎士は、一部に共通性はあるにしても、ワーグナー歌唱とは本質的に異なるものを強調する、別の声楽的伝統にそのルーツがあるのがわかる。

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