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大きなチャンス-1 [1983年刊伝記]

大きなチャンス:シェローとバイロイト

未来の大物を求めて
 「ペーター・ホフマンの舞台履歴は1972年に始まったが、すでに1973年に、ヴォルフガング・ワーグナーは、ある年配の歌手を通じて彼に注目していた。ホフマンは1973年8月12日にバイロイトでの最初のオーディションに招かれている。これを仲介したのは、そのころ歌手たちの間ではすでにほとんど伝説的存在になっていたエージェント・シュルツだった。1975年3月に、当時三十歳だった彼は、ブーレーズとシェロー新演出「リング」のキャストとして検討すべき選択肢に含められていた。事前の話し合いで、ペーター・ホフマンは「ラインの黄金」のローゲが考慮の対象になり、また、最初からずっとジークムントにと考えられていた。実際は、1976年の夏に向けて、ジークムントとパルジファルとして契約がなされた。バイロイトにはワーグナーの分野で若い歌手たちにチャンスを与える伝統がある。戦後、音楽祭が初めて再開された1951年にはすでに、ワークショップを意図しようとする傾向が顕著だった。そして、今日、バイロイトは、以前に増して、自らをワークショップとして考えている。ヴォルフガング・ワーグナーと兄のヴィーランド・ワーグナーが1949年に戦後初の音楽祭の準備をはじめたとき、ザルツブルクでキルステン・フラグスタートは協力を求められて、こう助言した。『若い世代と共にはじめなさい』そして、アストリッド・ヴァルナイをバイロイトに推薦した。しかし、バイロイトにとって、未来の大物を求めるという方針は、ワークショップ理論実現のためだけではなく、どうしても必要なことでもあった。というのは、数少ない一定数の役を、バイロイトのワーグナー・レパートリー内で、周期的に繰り返しているという状況下では、水準を維持するために若手の発掘を心懸けることが特に重要になるからである」(バイロイト音楽祭広報室長、オズワルド・ゲオルグ・バウアー博士)

  「バイロイトでは、すでに1973年に『トリスタンとイゾルデ』のメロート役のオーディションを受けた。もっとも私は当時この役には若すぎると思われた。それに、ゲッツ・フリードリヒが私を使うをことを検討していた。彼はすでにこの時期にアムステルダムでのパルジファルのために私にねらいをつけていたのだった」(ペーター・ホフマン)
※ ※ ※
写真の頁から:
•バイロイトでの自由時間:テニス・コートのワーグナー歌手たち。『ローエングリン』チーム対『ラインの黄金』チーム(左から、ペーター・ホフマン、ハンス・ゾーティン、ジークフリート・イエルザレム、マルティン・エーゲル)
•音楽祭の歌手対バイロイト市職員の親善試合中の『サッカー・スター』ペーター・ホフマン
•休憩時間にサインするペーター・ホフマンと観戦に来た次男ヨハンネス
•バイロイト音楽祭の公演の合間に、二輪車での郊外への遠足(左から、ペーター・ホフマン、ヘルムート・パンプフ、ロベルト・シュンク、ヴォルフガング・ワーグナー、ハンス・ゾーティン、マルティン・エーゲル)
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