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舞台負けと拍手喝采の狭間で-4 [1983年刊伝記]

風邪の神は殴りかかる
  歌唱とスポーツには、驚くほど多くの類似点があると思う。しかし、幸運なことに、歌唱はひとつの物差では測定できない。ちょっとこのストレッタを歌ってください。止まって。さあ、今度はあなた。もう一度戻って。さあ、今度は、このフレーズ。それから、次は、あなた。今年の世界選手権大会の優勝者は3ポイントのリードで・・・なんてアナウンスすることはできない。
    歌唱に関しては、言葉で表せない、歌手に魔力のようなものを付与するある種の魅力が付け加わる。その魔力は、客観的に検証できる真実とは一致しないある印象を伝えることに成功する。ヴィントガッセンはこの芸術を理解していた。以前、彼は私に「もうひとつ学ばなければならない。人々をだますことができなければならない。君がほんとうに掛け値なく存分に歌うのはよいが、だれもそんなことを求めてはいないよ」と言いながら、いたずらっぽく目くばせしたものだ。人々をぬけぬけとだませというのか。調子がよければ、アンサンブルを四分の一の声しか出さずに歌いはじめるなんてことは全く思いつくはずもない。どっちみち私にもきょうは調子が悪いと思うときが来るのだから、十分に気をつけることが肝要だ。
  奇妙なことだが、かつて、歌手になる前に、風邪をひいたことを思い出せない。しかし、だれでもちょっと咳をしたり、鼻風邪をひいたりするものだ。私は、インフルエンザにかかっても、気にしたことがない。今は、のどがちょっとかさついたり、熱っぽかったりすれば、あしたはいったいどうなるかと、もうパニックに陥る。その朝が来て、のどがちょっと変だとなれば、風邪だ。他の徴候には気がつかなくても、歌手は完全に落ち着かなくなる。歌手が陥るこういう「ヒステリー」を、大袈裟に取り上げるべきではない。いらいらに付き合う必要はない。劇場での公演に行かなければならない時間まで、息子のヨハンネスと一緒にジェットコースターに乗っていたとき、その夜の公演はすばらしかった。
  軍隊では、毎朝、雨だろうが、雪だろうが、どんな天気でも、上半身裸で、体操をしなければならなかったが、風邪をひいた者はいなかった。(雪の中を転げ回っている半裸の歌手を今までに見たことがあるだろうか)それでは、歌手になってからの私は一体何なんだろうか。ほんとに小さな軽い咳、しゃっくり、咳ばらいなどでいちいち・・・・ところで、これは、のちに、グスタフ・ナイトリンガーが私に教えてくれた話だ。グスタフは物凄いマインツ訛りで話した。「何が起っているのか、私には、全くわからない。きのうは、しっかり歌わなければならなかったとき、ちゃんと声があったのに、きょうは、歌わなければならないのに、全部なくなっている。四十年前からこうだ」
  私の歌手生活一年目は、病気の連続で、決して最高のコンディションではなかった。私はいつも閉じこもっていた。とにかく、これを克服したのだ。タミーノとしての最初のプレミエが間近に迫っていたときのことだ。気管支炎になった。まるで喉にカエルがいるみたいに、絶えず咳払いばかりして、ひっきりなしの軽い咳のせいで、声もほとんどしゃがれ声だった。プレミエの前のこのつらい夜。私の声は傷み、そして、私はその声に苦しみ、さらに妻は私に同情して共に苦しんだ。咳、咳払い、喉のつかえ、そしてこれを、朝まで、はじめから同じように繰り返す。気管の病気は、まさに気管支の粘膜が心身症的に引き起こすことをいつの日か私は理解したのだった。「理解した」というのは、自覚したということだ。なぜなら、精神面同様身体的にも、スムーズに把握できるようになることが、それらをコントロールできるようになるための最大必要条件だからだ。
  私は、幸い、声帯の耐久力の限界をまだ超えたことがない。最近は、公演後、声がかれることは全くない。風邪を引いて、熱も多少あるのに、衰弱した感じもなく歌っていることさえある。
  シュトットガルトで、インフルエンザにかかった状態で、ジークムントとして舞台に立った。歌えないのはもちろん、ちゃんと話すことさえできなかった。電話でキャンセルしようとしたが、しゃがれ声さえ出てくれなかったので、キャンセルする旨、書くために劇場に行かなければならなかった。ところが、どうやら劇場にとって、非常に多くのことがこの公演にかかっていたらしかったので、私は口説き落とされて、とうとう出演したのだった。アナウンス。第一幕。鼻水が出た。遅くとも剣のモノローグまでには、鼻がつまって、鼻をかまずにはいられないにちがいないだろうという予感がしていた。肺炎にかかったジークムントとは、かわいそうな奴だ。とにかく後ろを向いて、鼻をかんだ。一幕は、まだエレガントにやってのけた。休憩が終り、再登場、破局が迫っていた。もう声がないのも同然、ああ、二つ、三つの音だって、もうたくさんだ(それに、死の告知は長くなるかもしれない)という気分で、歌っているというよりはむしろ話しているという状態で、自分の最後に向って、やっとのことで進んで行った。アナウンスしてあったにもかかわらず、ひどいブーイングを浴びた。他の人は、アナウンス故に、熱烈に拍手した。こんな公演には二度と再びかかわり合いたくない。こういう、肩をたたいて、まあいいさと慰めてくれるのは、まったくの好意であって、こういう同情による賞賛を、当てにするのは嫌だ。
fidelio.jpg  以下、全てのことは「フィデリオ」のレコードを前にして起ったことだ。録音のときに、まだ気管支炎が治っていなかった。もっと具合がよかったら、もっと上手くできるはずだということはわかっていると思う気持ち、こういうのは、ひどく気分をめいらせる。録音をテープで試聴したときは、今レコードになっているのより、はるかによかったと、言わねばならない。そうでなかったら、その後、最録音を迫っただろう。初めてのデジタル・オペラは猛スピードで録音編集された。 地下牢のアリア。これを朗々と歌いたがる人もいる。ベートーベンが、二年にわたって乏しい食事しか与えられず「まるで影が漂っているようで、もうほとんど生きていない」人間のために、このアリアを書いたということは、いずれにしても気違い沙汰だ。こういうアリアを完璧な技巧で歌うことが求められるのだ。本来、彼はただ心の中で歌っているのだが、そう、オペラでは、人はそれを聴きたいのだ。本当なら、口を動かさずに歌わなくてはいけないはずだ。(残念ながら、人はそれを好きなようにひねくることができるから、その結果、言葉の理解が犠牲になる)あるいは、プレイバックを調整して、歌手を「黒い」スポットライトで、消し去る。(しかしこの名高い黒い光はまだ発明されていない)幾人かのテノールは、「神よ、ここはなんと暗いことか!」というところで、額に手をやる。悲劇はだいなしだ。
  私は苦痛を表現しようと努力している。彼を声で作り上げようとするだけで、そのとき身体的にその苦痛を体験しようとさえしなかったら、それは単に美しいだけにすぎないだろう。こうして、結局のところ、私の芸術的な創作力ではなく、私の身体が、私がどのように歌うことができるかを支配していた。そして、それは必需品ではなくて、芸術になるところだった。私はすでに決まっている数年間の日程などどうでもいいと思うべきだっただろうし、録音を延期するべきだっただろう。私もこの録音の結果には満足していない。この場合、輝かしく歌えていなかったとの、批評は当然だ。実際大変だった。病気を抱えながら働き、それにもかかわらず輝かしく歌うことはできる。しかし、そのためにはおそらく対象を目の当たりにしている必要があるのだ。観客が、フロレスタンがどのように音をつくり出すかを聴くだけでなく、彼の苦しむ様を目にすれば、最終的に「ああ、気の毒な人だ」という、期待通りの印象が残る。この気管支炎はそれから後六ヶ月、私の喉にしっかりと居座っていた。それにもかかわらず、公演は立て続けだった。ロンドンで、「パルジファル」が七公演、中二日の間隔で、続いた。自分でも理由が分からないが、公演はどんどん良くなった。失敗することはなかった。おそらくそういう状況では、非常に精神を集中して、軽く歌っているのだろう。こういうとき頼れるテクニックを持たない人は、家にいなければならない。危険信号は「熱があるという感じ」で、このときはどんなことがあっても、ぐずぐずしないで、大急ぎで、終りにするべきだ。この場合、喉だけで歌っている。非常に危うい状況だ。なぜなら、奇跡というものは、舞台で歌われるだけで、決して起らないということは、確かなことだからだ。どうしようもないことは、舞台ではもう絶対にどうしようもないのだ。ちょっとあぶなっかしい場合、まだ自分をコントロールして、神経を落ち着かせることができる。さあ、その箇所だ、まったく落ち着いている、口を開く、喉頭は低く、リラックスさせて、さっと、おっと、なかなかよかったと思いながら、そのことに自分自身驚いている。それに対して、ただ、ただ待っていても、消極的に待っていても、何も起らない。積極的な参加こそが、物事を動かすのだ。最後の瞬間には、どっちにしても、音の響きを待つしかない。響きに関しては、どう頑張ってもせいぜい準備や心構えをすることができるだけだ。それでも、テクニックは助けになる。テクニックが優れていれば、上手くいく。ということは、どうやらテクニックが正しくなかったらしい。
  けれども、風邪の神が情容赦なく攻撃に出たとき、キャンセルするにはある程度の勇気が必要だ。だって、私はまさに歌うためにそこにいるのであって、さぼるためにそこにいるのではないじゃないか。しかし、キャンセルすればしたで、同じことだ。彼はやり遂げることができないということだ。あるいは、舞台裏で何か起ったのだ、もう修復不能らしいということになる。それからごそごそとひっかきまわされて、どさくさにまぎれて何かが釣り上げられる(正しいことはめったにない)が、この時、やっと「ああ、お気の毒に、本当に病気だったんですね」という言葉を聞くのだ。
  例えば、1979年の最近のバイロイトの「ローエングリン」の公演で、朝目が覚めたら、全然声が出なかった。一晩中窓を開けていたのだが、八月の終りなのに、予期せぬひどい寒さになったのだ。熱い風呂に、首が蟹のように赤くなるまでつかって、風呂から上がったときは、まだ期待していたが、・・・しかし、声は全く回復しなかった。病気だと言うのは、非常に心苦しかった。
  このキャンセルが、世間で、あんなに否定的に扱われた理由が、私には全然わからない。まず第一に、おそらくは、観客は予定通りの歌手を期待しているという理由だろう。期待が裏切られたのだ。主人公はとにかく代役が立つが、彼はさびたほうきのように歌うことができ、人々は大喜びする。私もかつて観客としてこういうことを経験したことがある。「ワルキューレ」の上演中に、ジークムント役が交替になった。代役は(彼はすでに家でテレビのスポーツ番組を見ながら、ちょっとビールを一杯やっていた)カラスのように歌って、まるでカルーゾーがよみがえったかのように、賞賛された。
  時にはキャンセルするほどの病気ではなくて、歌って、苦悩する。そして、だめになる。完全に。強靱な神経を持ち合わせていなければ、その時点で、すべてを投げ出してしまい兼ねない。私は自分が感情を非常に良く抑えることができるということを確認していた。私は、まるでそんなに難しいことは何もないはずだというように、やり続ける傾向がある。何も変わったそぶりを見せないためは、ずいぶん神経を使う。実際、シカゴで、ショルティの下での「フィデリオ」のコンサート上演では失敗した。やっぱり気管支炎で、おまけに、ハンブルクの冬の寒さから、重くのしかかるような暑さのシカゴへという、極端な気候の変化のせいで病気になった。三、四日後、十五時間眠った後で、目が覚めたら、死ぬほど疲れていて、唯一考えることと言えば、もっと眠りたいということだけだった。この日のけいこで、いくらか浮上したので、自分自身の回復力に期待した。そして、避けられない公演の日。地下牢のアリアで、最初の「Himmlische Reich 天上の王国」はまだやり遂げたが、二番目のは、もうだめだった。想像もできないほどの物凄いショック!燕尾服を着て、照明煌々の中でのコンサート、舞台なら倒れてごまかして切り抜けられるところだが、前には楽譜立て、後ろにはオーケストラだ。その場にいた共演のヒルデガルド・ベーレンスは、後でこのコンサートは成功だったと言っていた。「私たちは、あのときあなたがどんなにつらかったか、気がついていたわ」とにかく立ち去りたいというのが私の唯一の望みだった。私はただ口を開けていたにすぎなかった。ショルティはすぐに対応して、オーケストラを大いに煽ったので、人々は、しかし彼はなんと弱く歌っていることか、と思った。その時、私はそもそも歌っていなかったのだ。私は意気消沈して、どんなにか消えてしまいたかったことか。
  ただ単に他人に説得されて、自分自身のためというより、観客のために、例のシュトットガルトのあの公演だけは、やり遂げた。その際、私にとっては、声を損なわずに済むことだけが重要だった。私は喉の障害が修復されるまで、何ヶ月もの間ずっとしわがれ声で鳴きまくっていた。すんでのところで困ったことになっていたという教訓だった。そして、私は、こんなことはもう二度とすまいと誓った。それから、今日まで、この誓いを守っている。

  「負担が大きい演目なら、声を落ち着かせるために、時間を取らなければならない。練習したり、さらに勉強したりするために、時間を取らなければならない。この十年間、多くの一流の歌手が存在したが、彼らは、彗星のように昇り、五年後には燃え尽きてしまった。もちろん、一方では、多くの公演が利益を上げているが、他方、そこで歌手は自分の本来の能力を演奏に賭けている」(ジャニーヌ・アルトマイヤー)
写真の頁から:
•マネージャーだった弟、フリッツ・ホフマン撮影のペーター・ホフマン。次の2枚も。
•「声は自然の贈り物だ。しかし、この贈り物は育てなければならない。育成されてはじめて良い状態を保つ」ペーター・ホフマン談、1979年
•時間は貴重なもので、いつも足りない。「都市から都市へと駆け巡る」歌手は何週間もの間、電話と飛行機と舞台だけで暮らしていることがしょっちゅうだ。
•「歌うことは楽しい。とにかく、ホテルに行かせる力だ・・・」
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