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7)リヒャルト・ワーグナー:映画 [2012年刊:フリッツ・ホフマン著]

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p.39ーp.44
リヒャルト・ワーグナー;映画

 私はパリの中心部にあるオペラとコンサートの音楽事務所で働いていたフランスから戻った後、1980年、ペーターの要望で彼の専属マネージャーになった。ドイツに戻ってバイロイトで兄のために働く事になったのだ。仕事初めにすぐに届いたのは興味深い映画出演の話だった。

 リヒャルト・ワーグナーの生涯を映画にするのだが、制作会社は国際的な俳優と契約していた。リヒャルト・ワーグナーをリチャード・バートン、ワーグナー夫人コジマをヴァネッサ・レッドグレイヴが演じた。サー・ローレンス・オリヴィエがルートヴィヒ2世の宰相役で、ヨーロッパの200カ所以上の場所で撮影された。1983年に映画が完成した直後、1984年にリチャード・バートンが亡くなった。彼の最後の大役は、彼がどれほど卓越したすばらしい俳優だったかを思い出させる。監督はイギリス人のトニー・パルマーで、すでに、ビートルズの"All you need is Love"をはじめ、多くのクラシックとポピュラーの音楽物語を制作したことがあった。

 カメラはオスカーを複数受賞したヴィットリオ・ストラーロが引き受けた。数ある仕事の中でも、マーロン・ブランドとハリソン・フォードとの「地獄の黙示録」の撮影は特筆される。リヒャルト・ワーグナーの生涯に関する映画は、国際的なスターを詰め込んだ国際的な作品だった。兄にこの大きな映画制作への出演を受けるように説得するのに手間はかからなかった。兄は進んで承諾した。それは、経済的な理由ではなく、むしろ、芸術的な理由によるものだった。

 ペーターは最初のトリスタン歌手、ルートヴィヒ・シュノル・フォン・カルロスフェルトの役を引き受けた。そして、すぐに、最初の衣装とお腹合わせのためにロンドンへ飛んだ。まさに「お腹合わせ」だった。1865年にシュノルがトリスタンを歌ったとき、オペラ歌手は、声を拡大するための共鳴板として、たっぷりした体格でなくてはいけないという考えだった。脂肪が鳴り響くのではないのだから、もちろん、これはナンセンスだ。

 兄は元十種競技選手として、カロリーの取り過ぎによる当然の体重増加を避けていたから、最初のトリスタンに似せるためには、柔らかいゴムで歌手のお腹を作らなければならなかった。映画の中の、巧みに作られたゴムのお腹と黒髪に髭面のシュノル・フォン・カルロスフェルトは、もはやペーター・ホフマンとはわからなかった。

 私たちはスイス中央フィーアワルトシュテッテ湖畔ルツェルン州のメッケンへ行った。この美しい場所で撮影が行われた。ここは昔リヒャルト・ワーグナーの住居があったところで、今はリヒャルト・ワーグナー博物館がある。ワーグナーは1859年にここで「トリスタンとイゾルデ」を完成した。それからチューリッヒ歌劇場で撮影をした。全ての撮影場所は事実に基づいて正しく選ばれていた。

 ペーターとリチャード・バートンは直ちに見事に理解し合った。二人の話を耳にしたところによると、リチャードは歌手になりたかったのだそうだ。そして、ペーターは彼に演技について質問していた。バートンはウェールズ訛のよく響くシェイクスピア英語で、自分は常に自分自身であって、可能な限り過剰な動きは避けるようにしていると答えた。おおげさに表情をつける過剰な演技は全然好みじゃないということだった。要するに彼は「きわめて英国的」であって、彼ほど英国的な「控え目な表現(Understatement)」を体現している俳優はほとんどいない。

 また、リチャード・バートンのスコットランドの国民的飲み物の徹底的な味見のせいで、その日の撮影を完全に中止せざるを得なくなったのを覚えている。制作会社は撮影できなかった日にけっこうな額を支払ったので、これについて監督のトニー・パルマーはあまり興奮しなかった。

 しかし、また、一方、世界的スターの機嫌を損なうのは許されなかったから、私たちにとっては湖周辺の美しい場所を散策するチャンスだった。彼の行動は、無名の脇役だったら、確実に即解雇間違いなしだったはずだ。

 ある日の夕刻、私たち全員はレストランで次の撮影について議論していた。助監督がやって来て、トニー・パルマー監督に、翌朝のペーターの台詞の無い場面に、銀のお盆でお茶をペーターのベッドに運んで来る執事役が必要だと報告した。不運なことに、予定されていた俳優が病気になってしまったのだそうだ。

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そこで、私はもちろん冗談のつもりで、監督に言った。「それなら私にもできますね」テーブルの皆は大いにおもしろがっていたが、監督は即座に同意して言った。「明朝8時きっかりに化粧して衣装をつけてセットに来てください」・・・やれやれ、とんでもないことに巻き込まれてしまった。

 不安でよく眠れない夜を過ごした翌朝、私は時間ぴったりに、口ひげを貼付けて、お仕着せを身につけた執事の格好で準備万端で立っていた。階段で、やはり扮装したバートンに出会った。私を見て、彼はあっさりと言った。「とてもいい具合だ。これで我々は俳優仲間だ」

 彼が本当に私のことを俳優仲間として見てくれたとは思わなかったが、それでもうれしかった。私の短い出番のお茶の場面が来るまで、何時間も過ぎたような気がした。私は自分の重要な出番を廊下で緊張して練習した。つまり、ティーポットが落ちないように常に気をつけながら、温厚な執事の歩き方で落ち着いて歩く練習だ。興奮して武者震いしたら、そう簡単なことではない。永遠に待っている感じのせいで、私の神経は耐えられない状態に達した。完成した映画では、私の登場は全部で12秒だった。やっぱりあの晩の夕食は遠慮しておけばよかった。

 ついにドアが開いて、私はショノル・フォン・カルロスフェルトのもの凄く広い寝室に入った。たくさんのカメラマン、助手、化粧係、電気技師などの視線が私に集中した。ストラーロの「アクション!」の指示で、私はペーターの方にうやうやしく進んだ。彼は天蓋付きのベッドで太鼓腹で休んでいた。彼はちょっと目をあけ、私は丁寧にお辞儀をして、お茶を注ぎ、彼は私に静かに微笑んだ。カメラの後ろでストラーロが「カット」と叫んだ。以上、おしまい!額には玉のような汗が吹き出ていたが、誇り高い執事の心は重荷から解放されて、すっかり軽くなった。

 その晩、俳優としての出演料に相当すると思われる金額をホテルのバーであっという間につかってしまった。さらなる映画出演依頼を今日までずっと待っているが、残念ながらまだない。
* * *

関連記事:テレビ映画:ワーグナー

目次
ヨッヘン・ロイシュナーによる序文
はじめに
ロンドン:魔弾の射手
バイロイト:ヴォルフガング・ワーグナー
パルジファル:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ロリオ:ヴィッコ・フォン・ビューロウ
リヒャルト・ワーグナー:映画
シェーンロイト:城館
ペーターと広告
コルシカ:帆走
モスクワ:ローエングリン
ロック・クラシック:大成功
バイロイト:ノートゥング
ゆすり
FCヴァルハラ:サッカー
ドイツ:ツアー
パリ:ジェシー・ノーマン
ニューヨーク:デイヴィッド・ロックフェラー
ボルドー:大地の歌
アリゾナ:タンクヴェルデ牧場
ペーターのボリス:真っ白
ミスター・ソニー:アキオ・モリタ(盛田 昭夫)
ロサンゼルス:キャピトル・スタジオ
ハンブルク:オペラ座の怪人
ナッシュビル&グレイスランド
ナミビア:楽しい旅行
ペーター・ホフマンの部屋
ゲストブックから
表紙と目次







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