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ローエングリン 2006年 バルセロナ [オペラ映像]

Lohengrin (2pc) [DVD] [Import]ペーター・コンヴィチュニー演出のパロディ演出コント「教室のローエングリン」、1998年ハンブルクでの新演出だそうですが、まず2000年のテレビ放送録画、オペラシェアにあった画質が相当悪い映像を視聴。そして、2006年の公演が正規DVDに。

映画やテレビドラマ、舞台劇で、既成の音楽を巧妙に使って、効果をあげている例は山ほどあります。歌詞のある曲も歌詞を含めて効果的に取り入れられています。オペラ全曲をこういう意味で利用するのもおもしろいでしょうけど、ほんとに成功している例は、体験不足の可能性大ですが、今のところあまりありません。筋と歌詞の変更はほぼ完全に不可とすれば、歌詞と実際に見えるもの、感じるものとの乖離は、落ち着かない気分をもたらします。当初の台本の意図を守った演出でも、歌手選びが、声と歌優先になるため、「象牙のように白い」と聞こえるものが、黒檀のように黒かったり、「太陽のように美しい」と言われている男が、太陽のように丸かったりするのは日常茶飯事。だからと言って、言葉が見えるものをほとんど描写していないようなことになったら、我慢の限界を越すのではないでしょうか。どれだけこの乖離をなくし、それまでになかった新しい演出ができるか、これが、舞台の定型化を望まなかった、オペラが追求しているものなのでしょう。

矮小化のはじまりとも言われているらしいこのコンヴィチュニー演出「教室のローエングリン」は、劇中劇というある意味安易な形をとることで、歌詞との乖離を避けています。そして、劇中劇と演出家の意図する劇が巧く絡み合うとき、おもしろい雰囲気を醸して、効果的だと思います。

ワーグナー:ローエングリン
セバスチャン・ウェイグル指揮(ペーター・シュナイダー)
ペーター・コンヴィチュニー演出
バルセロナ 2006年(2000年)
ローエングリン:ジョン・トレレーヴェン(ローランド・ワーゲンフューラー)
エルザ:エミリー・マギー(グィネ・ゲイヤー)
ドイツ国王ハインリッヒ:ラインハルト・ハーゲン(ハンス・チャンマー)
テルラムント:ハンス・ヨハヒム・ケテルセン(ハルトムート・ウェルカー)
オルトルート:ルアナ・デヴォール(エヴァ・マルトン)
伝令:ロバート・ボーク

いじめのはびこる学校崩壊の現実とその中で演じられる、ごっこ劇「ローエングリン」と考えられ、違和感のないものとなっています。劇中劇であれば、歌詞との乖離に不安定な気分になることはありません。

とにかく、特に一幕は笑えます。だんだんこのおかしさを維持しながらの視聴がしんどくなるのは、まあ本来の劇が長大だから、やむを得ないでしょう。パロディやコントなどというものは、短いのが本領。それでも、全幕なかなかおもしろいです。

3幕では、ごっごを超えた現実がしのびこんでいるように見えます。この演出に登場するのは、小学生と考えられているようですが、思春期の子どもたちと考えたほうが当たっていると思います。エルザが知りたい彼の本質とは、真の愛、精神的な愛の保証。一方、男が望むのは一刻も早い事の成就。頭に血がのぼった男は、ごっこなのを失念中ですから、襲ってきたテルラムント役を実際に殺害してしまう羽目に?

演奏がどうの、歌唱がどうのと言うのはもはや無意味。生徒たちの現実とローエングリンの物語が、見事に交錯しています。そして、登場人物のなかでは、オルトルート>テルラムント>国王>伝令>エルザ>>>>>ローエングリンの順に存在感が大きいです。この劇では、情けない、しょぼくれた感じのローエングリンであるべきなのかもしれません。でも、エルザが本気になってもいいわけですから、かっこいいローエングリンも可だと思います。かっこいいテノールで見てみたいかも。

この劇の中心は、それこそオルトルートでしょう。そして、テルラムント。どちらもいい雰囲気です。こういう子どもっていますね。ちょっとなりきれないローエングリンはともかく、出演者全員すっかり子どもになっています。そして、ローエングリンごっこに夢中。とにかく演技が巧いし、自然。二重の枠組の交錯する様が巧妙に表現されています。ミュンヘン2009年のその他大勢の紋きり振りとは比べようもありません。王様と、特に2006年映像のローエングリン、そしてその他大勢のごく一部は、学校内と周辺の大人のような気もします。王様は教師、ローエングリンは学校付近をうろついていたおっさんか小遣いさんとか???

時代的にはちょっと古い第一次世界大戦の後ぐらいの学校のようです。最後がものすごく印象的というか衝撃的。帰って来たのは、機関銃を抱え、鉄兜をかぶった少年兵。それを見て不気味な笑みをもらすテルラムントの亡骸を抱いて深い悲しみに沈んでいたオルトルート。全員がショック状態で幕。恐怖の時代の幕開けというところでしょうか。
正統ローエングリンを知った上でのお遊びとしては上質だと思います。ユーチューブに2000年と2006年の映像がけっこうたくさん上がっています。いくつかリンクしておきます。
リセウ歌劇場HP
DVD紹介
2幕:エルザとオルトルート
2幕:オルトルートの反撃
2幕:疑惑にとらわれるエルザ
2幕:フィナーレのオルトルート
3幕:寝室の場

関連記事:ローエングリン
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コメント 2

ななこ

>矮小化
ここまで徹底されると見事です。

テルラムントとオルトルートは番長カップル。
エルザは田舎の学校では目立って浮いた存在。
そんな子いました。
容姿が垢抜けてみんなの憧れだけれど引っ込み思案でいつもひとりで本を読んでるような・・・
番長テルラムントもエルザにはずいぶんと気があるようですね。
ローエングリンは都会からの転校生。
東京から来たというだけで昔は羨望の眼差しでした。
このローエングリンでは全然格好良くなくて実を伴いませんが、素敵なローエングリンだったらまた異なった雰囲気を醸し出したことでしょう。

コンヴィチュニーさんの仕事ぶりを見たことがあるので、発想とその展開の様子をなんとなく想像できるように思います。
by ななこ (2010-07-09 23:28) 

euridice

ななこさん
ここまで破綻なくやれていて、納得させてくれる「読み替え」「矮小化」演出はなかなかないと思います。

ローエングリン役はかっこよかったら、まさに
>都会からの転校生
に見えたかもしれません。
悪いけど小遣いさんかな?というところでした。演技的にもそれで決まっていたので、演出家の意図はそれかもしれません。トレレーヴェンの一番のはまり役かも^^+ 

ぼけぼけ映像でよくわかりませんでしたが、2000年のローエングリンはちょっと違う印象でした。

>番長テルラムントもエルザにはずいぶんと気がある
随所で未練たらたらでしたね^^;;
オルトルートが嫉妬に狂うのもわかるというものです。

歌手がみなさん、演出意図にこたえた演技をしていると思います。
演技指導、巧いんでしょうね!
by euridice (2010-07-10 14:13) 

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