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1994年静岡 [PH]

2009年8月、1994年11月3日、4日、5日の静岡でのリサイタルについて、古くからのファンの方が情報を下さいました。当時は思いもしなかったことでしたが、1994年11月といえば、もう相当に具合が悪かったはずです。翌年、最悪の状態に陥り、医者巡りの末、パーキンソンと診断されたのですから。

1994年静岡に新しくできたメディアホールのオープニングを作曲家の三枝成彰が担当し、ペーター・ホフマンを呼びました。これについては、当時知ったのが、終わった後でした。前に知っていたら、行ったかもしれません・・ 中途半端に遠いし、びっくりのチケット代だった(最近知りました)から、やっぱりパスしてた可能性が高いです。毎日仕事をしていたとはいえ、まだ教育費負担の大きいころでしたし・・ 

1990年のサヴァリシュ指揮のN響のための来日も知らなくて、年末のTV放送でちらっと視聴。不可解な絶不調がショックでしたし・・ 当時は活字情報のみでしたが、いい情報はないという状況で、案の定、「音楽の友」によれば、静岡のリサイタルも調子がよくなかったということでした。記事の切り抜き↓

この記事によると、2日目(4日)は、1990年に離婚した2番目の妻、デボラ・サッソンが参加したということです。この記事から、このリサイタルは、サッソンとのデュオリサイタルだと思っていましたが、そうではなかったようです。サッソンは別件でたまたま来日中だったとか・・

1日目がどうだったかは不明。3日目は非常に体調が悪く、中止という案もあったそうですが、なんとか頑張るということで、プログラムも変更して開始。しかし、やはり無理ということで、二部はとりやめに。「蛍の光」で、日本語の歌をサービスして終わりました。三枝成彰氏が事情を説明。後日、CDを付けて、入場料の払い戻しを行ったそうです。

3日目のプライベート録音(カセット)も聴かせていただきました。もちろん、やはり明らかに不調だと思います。ほんとうに、とてもつらく苦しかったことでしょう。それでも、静かに耳を傾けていると、心にしみいってきます。ファンだから・・と言われればそれまでですが。残酷な運命を前に為す術のない人間の深い心の思いが伝わってくるようです。

不可能なことだけどできれば聴いてみたいと思っていたドイツ歌曲が2曲入っていたのがうれしいです。知らなかったソンドハイムのミュージカルからの一曲も、いい歌です。ワルキューレから冬の嵐は過ぎ去りがあります。ファンへのサービスだったのでしょう。そして、やはり、ワーグナーは難しいのだとつくづく実感させられました・・ 

バーンスタインのミサからの一曲は、1985年の正規録音でも聴けます(YT)が、この曲は、実際のところ、それほど聴いてはいませんでした。お借りしたカセットをデジタルファイルにして、複雑な気持ちと共に耳にして、本当にいい曲だと感じました。そして何度も繰り返してしまいました。単純に純粋に宗教的思いの深さを感じます・・そして、自然で素朴な共感を覚えます。改めて、1985年の正規録音を再生しました。当然、瑞々しい声、安定した歌、美しいです。でも、どちらが上とか下とか言えない・・どちらからも、変わらぬ同じ深い人間性が伝わってくると思います。商品価値は別の話・・

職業的生命、特にオペラ歌手という職業生命を直撃する病気です。あのころは、パーキンソンと診断がつく前だったことが、より状況を悪くしていたと思います。三日目の事態も、薬の不適切な服用が直接の原因だったようです。ほっとするのは、小さな会場で、主としてファンだけのリサイタルで、レセプションも行われたそうですが、参加者の皆さんの暖かい気遣いがあったという話です。

3日目の演奏:
1)バーンスタイン ミサより シンプル・ソング
2)グルック オルフェオとエウリディーチェより エウリディーチェを失って
3)シューベルト 冬の旅より 菩提樹
4)シューベルト 白鳥の歌より セレナーデ
5)ソンドハイム リトル・ナイト・ミュージックより センド・イン・ザ・クラウン
6)ワーグナー ワルキューレより 冬の嵐は過ぎ去り
7)スコットランド民謡 蛍の光

当初予定のプログラム
1)賛美歌 アデステ・フィデレス
2)ヘンデル ラルゴ
3)グノー アヴェ・マリア
4)バーンスタイン ミサより シンプル・ソング
5)グルック オルフェオとエウリディーチェより エウリディーチェを失って 
6)ワーグナー ワルキューレより 冬の嵐は過ぎ去り
7)シューベルト 白鳥の歌より セレナード
8)プッチーニ トスカより 星は光りぬ
9)ロイド・ウェッバー オペラ座の怪人より ミュージック・オブ・ザ・ナイト
10)バーンスタイン ウェストサイドストーリーより サムウェア


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ななこ

このような鮮烈な情報を提供してくださった方とそれをブログで公開してくださったeuridice さんに感謝です。
1989年まで暮れのFM放送でホフマンを聞き、待ちに待った夢がかなって1990年のN響との共演を目の当たりにしたのに、その時を境に友人達から「あなたにとってホフマンの名前は禁句よね」と言われるようになりました。
今でこそ病気であることや、悪意に満ちた誹謗中傷の中でホフマンがどんなに苦しんでいたかを思う時胸が塞がるのですが、積極的に情報を得ようともしなかった一ファンとしては当時は「何故?」「何が起こったの?」という虚しさだけでした。
オーケストラをバックにすべてワーグナープログラムというのは今思い出しても辛いです。


>ファンだから・・と言われればそれまでですが。残酷な運命を前に為す術のない人間の深い心の思いが伝わってくるようです。
分かるような気がします。
極端な話、本当に好きな声なら歌ってくれなくても、話し声だけでも耳を傾けてしまいます。
たとえ掠れた声でもきっと魂の歌声として聴き入ると思います。
でもそれは私にとってはおそらくいろいろな情報が得られるようになった今だからこその気持ちです。

>ファンへのサービス
深刻な状況にあってもなおワーグナー歌手としての期待にこたえようとしたホフマンの心境を思うと胸が苦しくなりますね。





by ななこ (2009-09-13 18:09) 

euridice

ななこさん
ありがとうございます。
やはり迷うところですね・・

人生、順風満帆のときばかりではないのはわかっていても
重すぎる逆境からは、誰しも目をそらしたいもの・・
他人はもちろん、渦中の本人さえも。

それみたことかの批判、非難や興味本位は当然ながら、
同情をひくのも嫌なものでしょう。

録音まで送ってくださったのは、心から感謝です。
おそらく事情も明らかになり、十数年の時を経て、心の整理がつかなければ
できないことだと思います。


by euridice (2009-09-16 14:27) 

ペーターのファンです。

貴重な情報をありがとうございます。

先日から何度読み返しても、とにかく泣けて・・・。
その体調で日本に来てくれていたのかと思うと、今も泣けて・・・。

誰にどう評されようと、私にとってホフマンの価値が少しでも変わることは
一生ないと、この記事であらためて確信しました。

by ペーターのファンです。 (2009-09-19 19:33) 

euridice

ペーターのファンです。さん
>先日から
本当に・・考えると胸がふさがる思いです。

知ってか知らずか非難しまくりの人たちも少なくないのですから
ますますつらい・・

>誰にどう評されようと
・・です。

貸してくださった録音、だれかれなく耳にしてほしいと思わないのですけど、私一人で・・というのもやはりひっかかるものがあります・・
HPに一時的に置きます。よろしければどうぞ。
「来日」という記事から行けます。
by euridice (2009-09-20 12:41) 

ペーターのファンです。

早速、拝聴しました。ありがとうございます。

不調は間違いなくとも、声の魅力と歌の背後を支える精神性が変わらない、
なにか胸をなでおろす気持ちです。聴いて落ち着きました。
伴奏者のピアノが彼を支えることに徹してくれているように聴こえます。

私にとっては何より尊い演奏です。

by ペーターのファンです。 (2009-09-20 14:38) 

euridice

ペーターのファンです。さん
聴いていただけてよかったです。

>声の魅力と歌の背後を支える精神性が変わらない
表現性も変わらないか、より深くなっているように感じます。
by euridice (2009-09-23 20:06) 

ななこ

聴かせていただきました。
今の気持ちをどう言い表せばいいのかずいぶん迷いましたが、この時期のホフマンの状態は分かっていたはずですから、三枝さんがどのようなお気持ちでホフマンを招いたのかその辺が不可解です。
かなり高額なチケットだったようですし、本当に親密なファンの内々の集いという程度のものではなくはっきりリサイタルとうたわれてたわけですから。
3日目は中断,CDをつけたとしてもチケット代払い戻しという全ての関係者にとってお互い後味悪い結末になってしまったのが残念です。

聴かせていただいた歌は明らかにホフマンの声そのものだと思いました。
あらゆる肉付け装飾技巧を取り除いた声。
加齢による衰えではないので、どうしよもない揺れとか弱々しく枯れた声でないのが換えって辛いです。
それでも、ファンとして今だからこその感慨をもって耳を澄ませ、この声によって歌われるトリスタンやジークムントやそのほか諸々のこの上ないテノールの輝かしい諸役に出会えた幸せをかみしめています。
ありがとうございました。
by ななこ (2009-10-02 15:24) 

euridice

>三枝さんが
この辺りの事情と経緯はわかりませんが、
わかっていて・・とはちょっと考えられないというか
思いたくないです・・思うんですけどね、やっぱり・・

三枝さんも困惑なさっていたということです。
本人も困惑、周囲も困惑だったのではないかと思います。

体調についてその重大性はやはりわかりにくいところが
あったのではないかと・・

知りたくないという深層心理も働くでしょうし
やりすごしていればそのうちよくなる・・みたいな感じもあるでしょう
実際そういう気持ちがあったと伝記にもあったと思います。
調子がいいときはなんともないらしいですし。

母の認知障害の体験でも思うのですが、
こういう進行性の難病というのは
とことんどうしようもなくなって初めて認識するというか
あきらめるというか・・
(認知症の場合は周囲が・・ですけど)
そんなところがあるかと・・
母は結局、医者の診断を得ないままでした。

by euridice (2009-10-03 14:50) 

ななこ

やっぱり、多分そうなのでしょうね。
それが難病が難病といわれる理由でもあるのでしょうし。

何事に於いても私自身もいわゆる「だめもと」という気持ちをもったことはありません。
「何とかなるような気がする」「今回はうまくいくような予感がする」
小心者のくせにそうなのですから、いわんやホフマンや三枝さんほどの方達においてをや・・・

>認知障害
この病気に対する認識も対応も今はかなり変わってきたように思います。
私の母も時々脳梗塞をおこしていますが、歩けないくらいの症状で治まっています。
体質を受け継いでると思うと明日の我が身を心配しなくてはならない年齢になったと・・・

by ななこ (2009-10-07 13:44) 

euridice

>「何とかなるような気がする」
先を的確に見通すのはやはり難しいでしょうね

過労死や餓死などというのも、まさか死ぬとは
なかなか思わないのではないでしょうか。

たいていは何とかなるんですよね・・
何とかなるうちは、運がいい・・ということかも
と思います。

昨日の「クローズアップ現代」を見ながら
うまくいくかいかないか
どっちに転ぶか
いろいろな条件とか背景とかはあるにしても
要するに紙一重の運の違いじゃないかと・・・・

認知症について言えば
物忘れとかなんとなく変という段階では
とことんわからなくなるなんて
そうなるまで実感できませんでした
そしてそういう状態を目の当たりにしない部外者は
そういう症状を理解できない人の方が多い
ということがよくわかりました


by euridice (2009-10-08 18:05) 

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