パルジファル ザルツブルグ音楽祭 [PH]
大指揮者カラヤンの生没年は、1908.04.05-1989.07.16 ですから、今年は生誕100年に当たります。ペーター・ホフマンとカラヤンとの関わりは1979年、翌年のザルツブルグ復活祭音楽祭の「パルジファル」の事前スタジオ録音ではじまりました。ちなみに今年の復活祭は、3月23日です。春分の日の翌日21日が聖金曜日ということになります。(関連記事:聖金曜日の音楽)
カラヤンはホフマンにとって「最高に偉大な指揮者」でした。
「カラヤンは、私にとって、最高に偉大だ。ベルリンで『パルジファル』を録音した数週間のことは、今も忘れられない。カラヤンがいかに音楽を知っているか、いかにそれを伝える力があるか、こういうことを描写するのは困難だ。詩人でなくてはできないだろう。『パルジファル』の中に『それは簡単には言えない』とあるようなものだ」(伝記2003年刊)
カラヤンとの初仕事、パルジファルは、ホフマンが最も頻繁に歌い、最も高い評価を得た役のひとつです。この役を初めて演じたのはヴッパータール専属時代で、ヴッパータール、ハンブルク(アウグスト・エヴァーディング演出、舞台装置、エルンスト・フッフス)、シュツットガルト(ゲッツ・フリードリヒ演出、舞台装置、ギュンター・ユッカー)で6週間に三つのパルジファル新演出初日に出演、「連邦パルジファル」と呼ばれたそうです。1976年のバイロイト音楽祭デビューは、ジークムント(ワルキューレ)に加えて、パルジファルを担当しました。
カラヤンとの「パルジファル」は、1979年にはじまったリハーサル期間にまず録音が行われ、この録音はドイツ・グラモフォンから発売されています。この録音は1981年にグラミー賞を得ていますが、今までに相当数の批評を目にした結果から、ことホフマンに関しては、なかなか毀誉褒貶が激しいようです。私の場合、この録音によってこそ、この曲を気持ちよく聴けるようになったと言っても過言ではないと思います。それでも、全曲になじむには相当の時間を要しました。今に至るまで、没入できる映像にも実演にも出会えなかったのも一因だと思います。
録音の後、ホフマンは1980年、1981年の復活祭音楽祭にパルジファルとして出演しました。この上演は両年ともラジオ放送されたということです。そして両方とも最近になってエアチェックの録音を聴くことができました。下の音声クリップは1981年のラジオ放送から、3幕フィナーレより。
当時、音楽専門誌は、1980年のザルツブルク復活祭音楽祭におけるホフマンのパルジファルを下記のように評したそうです。
「ペーター・ホフマンはタイトルロールを舞台上に体現してみせた。テノール仲間で彼をしのぐことができる歌手はおそらくいない。彼の『救い主よ。救済者よ。恩寵の主よ(2幕、クンドリーの接吻の後)』は、ヘルゲ・ロスヴェンゲ(1897-1972 デンマーク)の夢のような舞台を彷佛とさせ、ホフマンが本来的な響きとして有している開放的なテノールに加えて、コジマ・ワーグナーが要求した『バリトン的傾向のある』声によってはもちろん、これ以外の面でも人々を魅了した。つまり、この役は、パルジファルが予定されていた王権に至るまでの、苦悩に満ちた成長過程をスムーズに展開していくべきものであるという、役に対する確固たる認識がもたらしたものである。そして、私たちは、この作品が『アンフォルタス』ではなく、『パルジファル』と名付けられた所以を、ついに理解したのだった。」(オルフェウス)
カラヤンとのすばらしい復活祭音楽祭の後、1980年は、規則的な客演の繰返しで過ぎて行きます。ペーター・ホフマンは、主要オペラ・ハウスを巡って、『彼の』役である、ジークムント、パルジファル、ローエングリン、マックス、フロレスタンを歌い演じました。ホフマンの名前は、すでに専門誌に載り、音楽雑誌やオペラ雑誌、文芸欄に頻繁に登場するようになっていましたが、今度は『普通の』新聞までが彼に注目するようになります。
ワーグナー:パルジファル
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、演出
ベルリン・フィルハーモニーオーケストラ
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団ほか
ザルツブルグ復活祭音楽祭1980年3月30日(ラジオ放送)、4月7日
1981年4月11日(ラジオ放送)、4月20日
パルジファル:ペーター・ホフマン
クンドリ:ドーニャ・ヴェイソヴィチ
アンフォルタス:ジョゼ・ヴァン・ダム
グルネマンツ:クルト・モル
クリングゾール:ゴットフリート・ホルニク
ティトレル:ヴィクター・フォン・ハーレム
聖杯騎士:フォルカー・ホルン、エーリッヒ・ノッド
天上よりの声:ハンナ・シュヴァルツ
花の乙女:バーバラ・フォーゲル、ジャネット・ペリー、ハンナ・シュヴァルツ、
インガ・ニールセン、オードリー・ミシェル、ロハンギズ・ヤチミ
小姓:マリオン・ランブリクス、アンネ・イェヴァング、ハイナー・ホプフナー
聖金曜日の音楽と呼ばれる
部分より、1980年の上演のラジオ放送
音声クリップ部分の歌詞を知りたい場合はこちらへどうぞ・・
ペーター・ホフマンのパルジファル、聴けたものリスト
(2008年5月現在)
関連記事:
カラヤンとの出会い
厳格な完全主義者カラヤン
カラヤン vs 歌手たち
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カラヤンはホフマンにとって「最高に偉大な指揮者」でした。
「カラヤンは、私にとって、最高に偉大だ。ベルリンで『パルジファル』を録音した数週間のことは、今も忘れられない。カラヤンがいかに音楽を知っているか、いかにそれを伝える力があるか、こういうことを描写するのは困難だ。詩人でなくてはできないだろう。『パルジファル』の中に『それは簡単には言えない』とあるようなものだ」(伝記2003年刊)
カラヤンとの初仕事、パルジファルは、ホフマンが最も頻繁に歌い、最も高い評価を得た役のひとつです。この役を初めて演じたのはヴッパータール専属時代で、ヴッパータール、ハンブルク(アウグスト・エヴァーディング演出、舞台装置、エルンスト・フッフス)、シュツットガルト(ゲッツ・フリードリヒ演出、舞台装置、ギュンター・ユッカー)で6週間に三つのパルジファル新演出初日に出演、「連邦パルジファル」と呼ばれたそうです。1976年のバイロイト音楽祭デビューは、ジークムント(ワルキューレ)に加えて、パルジファルを担当しました。
カラヤンとの「パルジファル」は、1979年にはじまったリハーサル期間にまず録音が行われ、この録音はドイツ・グラモフォンから発売されています。この録音は1981年にグラミー賞を得ていますが、今までに相当数の批評を目にした結果から、ことホフマンに関しては、なかなか毀誉褒貶が激しいようです。私の場合、この録音によってこそ、この曲を気持ちよく聴けるようになったと言っても過言ではないと思います。それでも、全曲になじむには相当の時間を要しました。今に至るまで、没入できる映像にも実演にも出会えなかったのも一因だと思います。
録音の後、ホフマンは1980年、1981年の復活祭音楽祭にパルジファルとして出演しました。この上演は両年ともラジオ放送されたということです。そして両方とも最近になってエアチェックの録音を聴くことができました。下の音声クリップは1981年のラジオ放送から、3幕フィナーレより。
当時、音楽専門誌は、1980年のザルツブルク復活祭音楽祭におけるホフマンのパルジファルを下記のように評したそうです。
「ペーター・ホフマンはタイトルロールを舞台上に体現してみせた。テノール仲間で彼をしのぐことができる歌手はおそらくいない。彼の『救い主よ。救済者よ。恩寵の主よ(2幕、クンドリーの接吻の後)』は、ヘルゲ・ロスヴェンゲ(1897-1972 デンマーク)の夢のような舞台を彷佛とさせ、ホフマンが本来的な響きとして有している開放的なテノールに加えて、コジマ・ワーグナーが要求した『バリトン的傾向のある』声によってはもちろん、これ以外の面でも人々を魅了した。つまり、この役は、パルジファルが予定されていた王権に至るまでの、苦悩に満ちた成長過程をスムーズに展開していくべきものであるという、役に対する確固たる認識がもたらしたものである。そして、私たちは、この作品が『アンフォルタス』ではなく、『パルジファル』と名付けられた所以を、ついに理解したのだった。」(オルフェウス)
カラヤンとのすばらしい復活祭音楽祭の後、1980年は、規則的な客演の繰返しで過ぎて行きます。ペーター・ホフマンは、主要オペラ・ハウスを巡って、『彼の』役である、ジークムント、パルジファル、ローエングリン、マックス、フロレスタンを歌い演じました。ホフマンの名前は、すでに専門誌に載り、音楽雑誌やオペラ雑誌、文芸欄に頻繁に登場するようになっていましたが、今度は『普通の』新聞までが彼に注目するようになります。
ワーグナー:パルジファル
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、演出
ベルリン・フィルハーモニーオーケストラ
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団ほか
ザルツブルグ復活祭音楽祭1980年3月30日(ラジオ放送)、4月7日
1981年4月11日(ラジオ放送)、4月20日
パルジファル:ペーター・ホフマン
クンドリ:ドーニャ・ヴェイソヴィチ
アンフォルタス:ジョゼ・ヴァン・ダム
グルネマンツ:クルト・モル
クリングゾール:ゴットフリート・ホルニク
ティトレル:ヴィクター・フォン・ハーレム
聖杯騎士:フォルカー・ホルン、エーリッヒ・ノッド
天上よりの声:ハンナ・シュヴァルツ
花の乙女:バーバラ・フォーゲル、ジャネット・ペリー、ハンナ・シュヴァルツ、
インガ・ニールセン、オードリー・ミシェル、ロハンギズ・ヤチミ
小姓:マリオン・ランブリクス、アンネ・イェヴァング、ハイナー・ホプフナー
聖金曜日の音楽と呼ばれる
部分より、1980年の上演のラジオ放送
音声クリップ部分の歌詞を知りたい場合はこちらへどうぞ・・
(2008年5月現在)
1976年 ラジオ放送 | バイロイト音楽祭 | ホルスト・シュタイン指揮、ヴォルフガング・ワーグナー演出 |
1978年 ラジオ放送 | バイロイト音楽祭 | ホルスト・シュタイン指揮、ヴォルフガング・ワーグナー演出 |
1980年 正規スタジオ録音DG | ヘルベルト・フォン・カラヤン | |
1980年 ラジオ放送 | ザルツブルグ復活祭音楽祭 | ヘルベルト・フォン・カラヤン |
1981年 ラジオ放送 | ザルツブルグ復活祭音楽祭 | ヘルベルト・フォン・カラヤン |
1982年 ラジオ放送 | メトロポリタン歌劇場 | ジェイムズ・レヴァイン指揮 |
1982年 ラジオ放送 | バイロイト音楽祭 | ジェイムズ・レヴァイン指揮、ゲッツ・フリードリヒ演出 |
1984年 | メトロポリタン歌劇場 | ジェイムズ・レヴァイン指揮、2幕のみ、リザネク・ガラ |
1984年 ラジオ放送 | バイロイト音楽祭 | ジェイムズ・レヴァイン指揮、ゲッツ・フリードリヒ演出 |
1985年 ラジオ放送 | バイロイト音楽祭 | ジェイムズ・レヴァイン指揮、、ゲッツ・フリードリヒ演出(3幕のみ) |
1985年 正規ライブ録音PHILIPS | バイロイト音楽祭 | ジェイムズ・レヴァイン指揮、ゲッツ・フリードリヒ演出 |
1986年 ラジオ放送 | メトロポリタン歌劇場 | ジェイムズ・レヴァイン指揮 |
1988年 | バルセロナ、リセウ | ウーヴェ・ムント指揮 |
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厳格な完全主義者カラヤン
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カラヤンとのオランダ人&ローエングリン
タグ:P.ホフマン
1984年にメトロポリタン歌劇場のラジオ放送を聴いたと思います。
by サンフランシスコ人 (2008-03-13 11:42)
ホフマンのパルジファルの映像は絶対存在しますよね?
ないはずがないですよね?
とにかくテレビでもDVDでもいいから正規映像を切望します。
世界のワーグナーファンの宝だと思います。
出し惜しみするなと叫びたいです。
ホフマンの映像がないのはオペラ界の7不思議の一つだわと思います。
・・・ってあとの6つは特に心当たりはありませんが。
by ななこ (2008-03-13 16:30)
サンフランシスコ人さんはワーグナーの作品もお好きですか。
by euridice (2008-03-14 07:53)
ななこさん
>ないはずがない
ほんと! ないのが不思議です・・
あるなら、もう断片でもいいから、出てこい、出てこい!です。
by euridice (2008-03-14 07:57)
素敵な音源、いつもありがとうございます。
どれもうっとりです。
ライブの覚醒のシーンとか、
声に力がみなぎってますね。
ほんとに引き込まれます。
>私たちは、この作品が『アンフォルタス』ではなく、『パルジファル』と名付けられた所以を、ついに理解したのだった
これにつきますね。
by 立花 (2008-03-18 10:20)
立花さん
何度聴いてもいいですね・・
>これにつきますね。
そう、確信をついていると思います。
それにしても
パルジファルの影が薄い上演、少なくないですね。
by euridice (2008-03-19 08:57)
何度聞いても、素晴らしいパルジファルです。涙が出ました。
本当に、なぜホフマンのパルジファルは映像が出てこないのでしょう。
存在しないはずは絶対にないと、私も信じています。
輝くような張りのある高音と力強い低音域、オペラ歌手のイメージを
見事に裏切る演技力、ホフマンを超えるテノールなど、いるはずもなく
出てくるはずもないと本気で思います。
by ペーターのファンです。 (2008-05-08 22:24)
>いるはずもなく出てくるはずもない
これ、もはや確信ですわ^^+
by euridice (2008-05-09 06:30)