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ドレスデン [映画]

ドレスデン-運命の日-空襲といえば、もちろん伝聞ですが、私の中ではまず広島。それから、書物で知った長崎、東京大空襲や野坂昭如の「火垂るの墓 」など関連で、大阪大空襲、そして両親から聞いた地方小都市での空襲体験等々。

小学校1年生の途中から、広島県育ち。広島市から当時は普通列車でおよそ1時間弱のところ。江戸時代には東に向けて旅立って第一夜の場所だったということで、小さいけど、国分寺も小さな前方後円墳もある古い宿場町です。というわけで、広島の原子爆弾の話を浴びるほど聞かされたものです。その町からも光が見えたそうですし、直後からぞくぞく命からがら逃げてきた被災者の悲惨さとか・・ 当時の子どもたちの体験を集めた「原爆の子」は、怖いながらも愛読書みたいなものでした。中学からは広島市の私立学校。不思議なことに夏の制服も長袖。これは高校生になるごろまで続きました。理由というのが、原爆被災によるケロイドのある子がいるからという話。できるだけ肌を出さないようにという配慮。皮肉を言えば、アメリカ人修道女たちが、見たくなかったのかも・・

さて、この映画、レンタルショップで偶然目にとまったので、借りてみました。監督は以前テレビで見た「トンネル」と同じローランド・ズゾ・リヒター。第二次世界大戦でのドレスデン空襲を描いたものです。対ドイツ空襲そのものの映画ははじめて見ました。しかも、ドイツ語のドイツ映画。私の若いころには、第二次世界大戦関連の映画といえば、米英側から描かれた英語のものが少なくとも主流でした。解説にも「ドレスデン空襲という悲劇を映画としては初めて真正面から取り上げた」とあります。もの凄い量の通常爆弾が延々と投下され、その下で逃げまどう人々・・ 基本的に石造りの都市が焼け落ちていくありさまは、日本の都市の空襲とはまた違った凄まじさと残酷さがあるようでした。映画は聖母教会の復興式典(2004年)で終わりますが、この教会、爆撃には持ちこたえたものの、高熱によって石がスポンジ化した結果、空襲の二日後こなごなに崩壊したそうです。きちんと調べたわけではありませんが、直接的な死者は13万超で、広島8万超、東京大空襲6万超を上回っているとか。放射能による特殊な被害や後遺症被害の大きい原子爆弾と単純に比べることはできないと思いますが、通常爆弾による空襲としては世界最大規模の被害と言えるようです。

この空襲前に撃墜されドレスデンに潜行中のイギリス軍兵士と偶然彼を発見することになった看護婦との恋愛話でもありますが、こっちはそれほどおもしろくもない。自国による大空襲で当然無差別に生命の危機にさらされる皮肉は伝わってきますけど・・ こんな中で、婚約者に振られた外科医がお気の毒というか。この人、婚約者と別行動をとらざるをえなくなった後、消息不明。死んでしまったのか・・・原題 DRESDEN(2006年ドイツ)

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コメント 4

ななこ

映画は見ていませんが、ドキュメンタリーとして優れているらしいですね。
機会があったら見てみたいです。

この戦争で人類は「戦争に正義なんてあり得ない」と学んだはずですが、世界中でいまだに「正義」の名のもとの殺戮が絶えないのは悲しいです。

ドレスデンは東ドイツ側だったから復興が遅れたのでしたね。
by ななこ (2008-02-01 20:02) 

euridice

ななこさん、ほんとに人間って・・です・・

>ドキュメンタリーとして
そうですね・・ 恋愛などは描ききれてない感じがします。

>復興が遅れた
聖母教会は原爆ドームのような形でそのまま残したいという考えも強くて
結論が出るのが遅れたのも一因のようです。
でも、原爆ドームとは建築物としての価値も美しさも
比べものになりませんから、復興再建となったのでしょうね・・
by euridice (2008-02-02 07:40) 

ぴっぽ

TBありがとうございました。

>婚約者に振られた外科医がお気の毒
本当にそうだと思いました。
映画の後は、誰からも信頼される誠実な町医者として、生き延びていてほしいなと勝手に想像しました。

遺された少年少女も現実的に考えるなら「火垂るの墓」状態でしょうが、
なんとか支えあって生きて行ってほしいと願いました。
by ぴっぽ (2008-08-25 09:04) 

euridice

ぴっぽさん
こちらへもTB、ありがとうございます。

>信頼される誠実な町医者として、生き延びていてほしい
ほんとにそうですね。立派な人ですものね!

>遺された少年少女
>「火垂るの墓」状態
そして、「ドイツ零年」

ものの本によれば、ドイツは戦争被害については国内的にも
戦後ずっと封印という傾向が強いようですね・・
加害を払拭、方向転換するためには必要だったのでしょう。
日本では個人的体験の印象では戦争被害を強調することで
反戦というか厭戦教育をされたような気がします。

by euridice (2008-08-26 07:01) 

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