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新国タンホイザー鑑賞前に [オペラ]

新国立劇場、やっと、ワーグナー「タンホイザー」で、無事新シーズンが開幕したようです。ネット上には興味深い感想があちこちに出ています。今年は開幕が例年より多少遅かったので、ちょっと待ちくたびれました。そこで、新国ホームページの舞台写真、動画も見てみました。舞台はなかなか華やかそう・・ ヴェーヌスは映像視聴経験によれば残念ながら姿も声も好きじゃないソプラノ。かつてローエングリンで全然ぞっとしなかったタンホイザーもやっぱりなんだかねぇ・・動画、ベックメッサー@マイスタージンガー、ロドリゴ@ドン・カルロでとてもよかったガントナーの「夕星の歌」を選んでほしかったです。

「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」という長い題のオペラ。この、「ニュルンベルグのマイスタージンガー」にも登場する、歌合戦というもの、なんだかピンと来ませんが、実際に中世ドイツで盛んだったとか。このオペラの筋立ても、なんだか理解困難。何を大騒ぎしてるのかという感じ。キリスト教(このオペラでは宗教改革前につきカトリック)の「愛」とか「犠牲」「救い」「罪」という命題は非常にわかりにくく、素直に心におさまるというわけにはいきません。理解ましてや納得するのはなかなか容易ではないと思います。ヴェーヌスは「肉欲」と「異教」を象徴するのでしょうが、「異教」のほうがより問題なのかも。それにしても「異教」と「肉欲」を直結しちゃう神経は理解の外です。なんでもかんでもちょっと危ないものを「異教」に分類してしまうキリスト教の排他性を強く感じます。

何はともあれ、音楽の魅力で鑑賞できてしまうところが、うれしいです。内容など知らなくても、CDで気持ちよく聴き通せます。一時はテレビをつければ、タンホイザーを耳にしたものです。息子たちが佐川急便の曲だとしっかり誤解?してました。2幕の行進曲は、様々な行事でけっこうおなじみなのではないでしょうか。

歌としては、歌われる経緯と内容を知らなくても「夕星の歌」がもっとも美しいと思います。これはバリトンの歌ですが、主人公タンホイザーの「ローマ語り」も、いわゆるテノール的甘さ抜きの劇的な歌で、表現力のある歌唱の場合、非常に魅力的です。我が杖が芽吹くことのないように汝の罪は許されることはないと教皇が断言した、この歌から、枯れ枝の杖が芽吹くフィナーレ。人は教会、つまりローマ教皇を通じて救われるのではなく、神と直接関わり、救われるのだという主張、教会に対する痛烈な批判が感じられます。

しかし、この宗教的な観点では、タンホイザーを今日的オペラとしてはとらえにくい。あくまで中世キリスト教世界での物語でしょう。

ちなみに、ペーター・ホフマンはタンホイザーというオペラを現代的に捉えることについてこんな風に語っています。
『.........今日的行動様式は『タンホイザー』にも全く同じように見られる。ワーグナーは『リング(ニーベルングの指環)』だけが現代的だというわけではないのだ。ヴェーヌスベルクは売春宿をあらわしていると言えるだろう。男ならだれでもそこにちょっと入りたいと思うだろうが、そこにいたということを公言すれば、ある階層では馬鹿にされ、そういう男は人気がない。アウトサイダーとされる。タンホイザーは、ヴォルフラムが『この貴族階級の中で辺りを見回せば』と歌うとき、それはまだなんとかがまんできるが、ワルターが誰も触れるべきではない泉から始めるにいたっては、激高せずにはいられない。

 ヴェーヌスベルクは、ワルトブルクの対極にある快楽享受の場として、恐ろしげに否定的に見せるのではなく、ヴェーヌスのところは本当に楽しいとだれもが思うように表現されるべきだと思う。確かに飽きてうんざりしてくる。しかし、そうした方が「婦人たちを尊敬し、触れるな」とか、あるいは 婦人とはただひたすらいかがわしい存在にすぎないのだという言葉を耳にしたとき、なぜタンホイザーが爆発したか理解できるに違いない。その時、タンホイザーは、お前たちは女性のことが何もわかっていないのだと、思っている。私ならヴェーヌスベルクはとてもすばらしいところのように演出したい。そこではどんなことが進行しうるだろうか。ポルノのような描写は考えていない。ただ、タンホイザーは初めから情事に関与しているべきだと思う。それでこそ、彼の倦怠感を追体験できると思う。まるでアーモンド入りの砂糖菓子を休みなく食べているのと同じことだ。私がアーモンド入りの砂糖菓子がたまらなく好きだとしても、お腹の具合が悪くなるだろう。アーモンド入りの砂糖菓子には飽き飽きして、見るだけでもうんざりするだろう。かつては、無上の楽しみであり、味覚の幸福だったのに。しかし、過ぎれば、珍味もまた苦痛となる。

 ただフィナーレの合唱、あそこは戸惑うだろう。あれを現代的に演出するのは問題だ』

また、まだバリトンだと思って勉強していたころの思い出話として「夕星の歌」についても語っています。リンクを辿っていくと、ローマン・トレケルの歌う「夕星の歌」がきけます。

どこかで見たような名前なんだけど・・ってずっと気になっていたエリザベート役、やっと判明。新国のコジ・ファン・トゥッテ(再演2006年2月)のフィオルディリージでした。「魅力が感じられず、かなり興醒め」なんて書いてました。さあ、どうでしょうか。


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コメント 8

keyaki

いい時期に取り上げて下さって感謝!
映像では、2、3見ていますが、荒唐無稽よりもピンと来ないです。
10年もそういう学校に通っていたので、なんとなくはわかりますけど..

>2幕の行進曲は、様々な行事でけっこうおなじみ
私もかり出されて歌ったことがあります!

ペーター・ホフマンに演出してほしかったですね。
by keyaki (2007-10-16 10:19) 

ななこ

コロさんのかなり晩年のハンブルク日本公演以来この作品の生の舞台に接していません。
全く理解不能なストーリーにも関わらず音楽は魅力的です。
CDを聴いてるだけで胸が詰まってくるというのも不思議です。
音楽の素晴らしい力でしょうね。

euridiceさんお奨めのトレーケルの夕星の歌、チューリッヒのですが今夜クラシカジャパンで聴けますね!
パスのつもりでしたが、是非聴いてみたいと思います。

明日のNHKホールに備えて体力温存のため予約しておきます^^
by ななこ (2007-10-16 11:26) 

Sardanapalus

今回も私は行けませんが、紹介してくださったクリップを見てきました。私はフィナーレのヴェーヌス、タンホイザー、ヴォルフラムの3重唱の部分が聞きたかったな~。そして、このタンホイザーには声以前にカツゼツを何とかしていただきたいと思いました。何言ってるのか聞き取れない!日本だからなめてるの?

>「異教」と「肉欲」を直結
キリスト教は、布教過程で土着宗教を悪や欲と結びつけていった宗教ですからね(^_^;)勿論取り込んだ要素(クリスマスツリーとか、イースターとか)もありますが、悪魔(サタン)が持つ三叉の矛は元々ギリシャ神話のポセイドンのもの、とかは有名ですよね。

中世ヨーロッパではキリスト教が社会の基盤であり、法であり、秩序だったわけですから、そのルールに違反したタンホイザーは「選ばれし者たち」の社会には受け入れられないのでしょう(同時に人間としての本能を知ったタンホイザーはそのうわべを取り繕ったきれいごとの社会に嫌悪感を抱くわけですが)。私はこのオペラを、管理主義に慣れてしまって仲間内だけでいつまでも固まってる集団と、本来の人間らしい生き方を知ってしまったため社会に戻れず苦悩する男の話として楽しんでいます。あのフィナーレの、許されないはずのタンホイザーがエリーザベトの自己犠牲で救われるという展開はオイオイ(^_^;)ですが、音楽が良いので終わったあとは「まあ、いっか。」となってしまいますね。公演のレポート楽しみにしています。
by Sardanapalus (2007-10-16 23:24) 

ホフマンの文章、面白いですね。
日本人にとっては、一神教の世界観というのは、感覚的にむつかしいものがあると思います。

タンホイザー、随分前にコーヒーのCMでも使われていたような…。ショルティのやつ。
by (2007-10-16 23:34) 

euridice

keyakiさん
>演出
ずっと元気だったら、そういうこともあったかもしれません・・ね

ななこさん
きょうトリスタンの最終公演にいらっしゃるのですね。感想、楽しみにしています。

Sardanapalusさん
ヨーロッパでのキリスト教の受容との関連、感じます。
>音楽が良いので終わったあとは「まあ、いっか。」
ですね。

gonさん
>一神教の世界観
やっぱり本当のところはわからないと思います。
で、これはたぶんヨーロッパでもそうとう無理してるんじゃないかと・・
思ったりします。ポーランド人神学生からポーランドが完全にキリスト教化したのは10世紀だか、11世紀だと聞いたことがありますが、その時、かなり驚きました。

>コーヒーのCM
こちらは認識していませんでした・・
by euridice (2007-10-17 08:25) 

ふくきち

ペーター・ホフマンのコメント、なるほどと思いました。
みなさんの感想も大変面白く拝読しました。
この作品に対する興味が深まった気がします!
by ふくきち (2007-10-17 21:29) 

euridice

ふくきちさん、ありがとうございます。
行ってきました。
ごく普通の中世の伝説のままの舞台、美しかったし、
なんというか、そのまま心に迫るものがありました。
フィナーレ、司祭の杖が芽吹いて、タンホイザーの救済が
確信されましたし。

時代設定を変えたりしなくても、またキリスト教的側面を無視しても、不都合な事を覆い隠しそれを暴く者を排斥する社会とか、更正と社会復帰の難しさとか、現代社会に存在する様々な問題をも考えさせられて、決して現実逃避的ではないし、宗教を知らなくても、音楽はもちろんですが、物語も楽しめるものだと、思わせられました。
by euridice (2007-10-18 08:14) 

サンフランシスコ人

モントリオール交響楽団のホームページで、「タンホイザー」の宣伝のクリップを見ました。

http://www.osm.ca/video/video.cfm?EnregistrementID=3&VideoLangue=fr
by サンフランシスコ人 (2008-04-06 03:14) 

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