SSブログ

田中路子 [オペラ歌手]

日伊合作の映画、「蝶々夫人」1955年は、一部カットと物語の付け加えがあるにしても、戦後のあの時期を考えると、画期的なオペラ映画だと思います。蝶々夫人は、日本人ならだれでも知っている(でしょう?)八千草薫(1931.01.06- )が演じています。ほんとうに美しく可憐、かつ凛とした蝶々さんです。そして、なんとも魅力的な雰囲気のスズキ、クレジットによると田中路子。気になっていろいろ調べたものです。ネット世界も相当進化しているのは確かで、久しぶりに検索したら、最近私にとっては新情報を得ました。

田中路子(ソプラノ歌手、女優 1909.07.15-1988.5.18)今はMichiko de Kowa-Tanaka 15.07.1913 として、ベルリンの>墓地に眠ってるそうです。この間までは、彼女がオーストリアのコーヒー王ユリウス.マインル(1873年〜1943年5月16日)と結婚して、社交界の花形で、戦後も渡欧した日本人音楽家の面倒を良く見ていたということしか分かりませんでした。この音楽家の中には、小沢征爾もいたそうです。田中路子は歌手ですが、映画「蝶々夫人」では演技だけで、歌は別の歌手が歌っています。オペラの舞台では、ソプラノですから、蝶々夫人役を演じたのでしょうか。(下に紹介した本によれば、グラーツの劇場で蝶々夫人デビュー、あちこちで頻繁に演じたということです)

このコーヒー王と言われる大実業家と彼女が結婚したのは未だ18歳のころで、祖父と孫ほどの年の差があったわけです。田中路子は高名な日本画家、田中頼璋の娘。東京音楽学校時代に、「道ならぬ」恋のほとぼりをさますために、世間体をはばかった両親から「国外追放」といった呈で、外交官の妻である叔母のいるウィーンに無理矢理、留学(それにしてもうらやましい・・・)。あちらでも自由奔放な振る舞いのせいで、日本人コミュニティの顰蹙を買い、本国送還寸前のところ、このオーストリア屈指の実業家の求婚に応じて彼の妻になり帰国を免れたのだとか。ドイツでは生年が1913年となっているのは、結婚に際して取得したオーストリア国籍と同時に発行されたパスポートの記載ミスがそのままになったためだということです。結婚後も彼女の恋愛遍歴は続いたそうですが、夫はこれを黙認。彼女はもちろん専業主婦におさまったわけではなく、歌手としても、そして映画俳優としても活躍。1941年コーヒー王マインルと離婚し、ドイツの「国民的俳優」ヴィクトール・デ・コーヴァ(37歳 1904-1973.04.08)と再婚。この再婚は、前夫マインルも積極的に認めたもので、彼は結婚式にも立ち会い、彼女に多額の預金を贈ったということです。戦争中と敗戦直後、恵まれた立場にいた夫妻は大いに人々を助け、彼女は獅子奮迅の働きだったそうです。二人の間の息子さん、ベルリン在住で、音楽関係のビジネスで活躍中だそうです。日本では彼女の名前を冠した声楽コンクールがあるみたいです。

こんな記事もみつけました。ちょうど映画「蝶々夫人」制作の前後ではないでしょうか。
『20年ぶり日本で正月の田中路子
昭和29年の正月を20年ぶりに過ごした歌姫がいた。かつてパリ社交界の花と謳われた田中路子(40)である。昨12/29にベルリンから羽田に到着、夫はドイツの映画俳優ビクトル・デ・コーバ。田中は昭和5年に上野の音楽学校の声楽科を中退、ウィーンへ渡り、18歳で欧州のコーヒー王マニエルと結婚、パリ社交界で活躍し、離婚を経験している。昭和29年の日本での正月はホテルテイトで迎え、「日本語はやっぱり忘れてしまった」。敗戦後の日本について「町が変わった、銀座がアメリカ風になって、若い子がずば抜けてきれいになった」などと感想を述べた。』

ミチコ・タナカ男たちへの讃歌 (1982年)


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 4

keyaki

ビデオクリップありがとうございます。
私もこの蝶々さんの映画、録画しています。ビデオテープなのでDVDにしなくては、と思っています。
田中路子さんのこととても興味深く読ませていただきました。
by keyaki (2007-04-29 01:12) 

euridice

keyakiさん、読んでくださってありがとうございます。
この映画をはじめて見たときから、スズキ役の女優さんが印象的で、どういう人なのか気になりました。やはり「ただもの」ではなかった・・^^ってところです。
by euridice (2007-04-29 07:51) 

ヤジ馬

「道ならぬ」恋というのは、サイトウキネン・オーケストラで有名な斎藤秀雄が相手ですね。中丸美繪の『嬉遊曲、鳴りやまず』という本に詳しく書かれていました。同じく指揮者の朝比奈隆は、田中路子のことを昔の新聞で激賞していたため、戦後ベルリンで彼女から大いに食事のもてなしを受けたそうです。
by ヤジ馬 (2007-10-29 15:44) 

euridice

ヤジ馬さん、はじめまして。
波瀾万丈ながらとても恵まれた、幸運な人生だったようですね・・
by euridice (2007-10-30 07:52) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0