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ゲッツ・フリードリヒとのパルジファル [PH]

 たかさん共々、映像が出てこないかと夢見ている^^;バイロイト音楽祭、ゲッツ・フリードリヒ新演出の「百年記念パルジファル」は1982年にはじまって1985年まで、ジェイムズ・レヴァイン指揮で上演され、最後の年に録音、発売されました。

 ゲッツ・フリードリヒとのパルジファルは、ペーター・ホフマンにとっては、1976年のシュッツットガルトでの演出のとき以来で、この時は愚か者のパルジファルと最後の幕での成長したパルジファルとの対比が以前にまして強調されていたそうですが、このことは、舞台写真からも感じ取れます。

 ホフマンの伝記(2003年)によれば、この演出と以前の演出に対する批評には、「若い」「生き生きした」「若々しい」ということばが、繰返し、出てくる。ということは、この「若々しさ」は、金髪の、体格のよい、巻き毛の若者が、舞台に登場するやいなや、自動的に生じたものではなく、むしろ自分の役に対する歌手の徹底的な取り組みの結果生まれたと考えるべきだ。これが、いかに評論家と観客を納得させたかと言うことです。そして「南ドイツ新聞」の批評を紹介しています。
 「一幕と二幕における主役に対するゲッツ・フリードリヒの演技指導はみごとだった。ペーター・ホフマンは、フリードリヒの演出によって、魅力的で、若く、生き生きとしたパルジファルであるばかりでなく、まったくの『愚か者』であるにもかかわらず、高貴で気性の激しい、宿命を背負った若者に見えた。すなわち、一言でいえば、理想のパルジファルである」

 CDのリブレットによると、この演出は1987年に、ダニエル・バレンボイム指揮で、再演されました。主要な歌手はプレミエのクンドリーはレオニー・リザネクで、二年目からワルトラウト・マイアー。パルジファルとアンフォルタスは、サイモン・エステスとペーター・ホフマンでしたが、1987年はドナルド・マッキンタイヤーとジークフリート・イェルザレム。

 また、ついでにという形で「なおこのバイロイト上演の、第2幕では、マツーラの扮するクリングゾールが、実際に槍を投げ、遠くにいるパルジファルがこれをはっしと受け止める演出が行われた。マツーラはかつて槍投げの選手であり、ホフマンは十種競技のチャンピオンなので、この試みが可能となった。」とあります。

 1982年に実際にバイロイトでご覧になった方の話です。たまたまイェルザレムが出演した日に当たったそうです。なんでも前日のローエングリンがホフマンで、翌日のパルジファルだけがイェルザレムだったのだとか。それで、評判だったその槍を受け止める場面は、ホフマン・パルジファルのときとは違うやり方だったそうです。この時も含めて、その方の見たパルシファルでは「槍の場面」は、「クリングゾールが槍を投げるしぐさをした瞬間に舞台を真っ暗にし、その間に、あらかじめ用意しておいた別の槍をパルシファルがすばやく頭上に掲げる」という処理をしていました。しかし、なかなかタイミングが難しく、イェルザレムなどは槍を床から拾い上げる姿がばっちりと見えてしまい、客席で失笑がおこってしまったということです。

 この投げられた槍を受け止めるという演出に関連して、ホフマンの伝記(2003年刊)にこんな記述があります。

 1980年代において、どれだけ多くの人が、ペーター・ホフマンをパルジファル役と同一視していたかを、ローズマリー・クリーアは1985年に出版された『パルジファル、救済者を救済するとは』と題する本において、機知に富んだやり方で示している。

ローズマリー・クリーアはワーグナーの『舞台祝祭劇』の世界における男性優位を批判的かつユーモラスに扱っている。この本の中で、クリングゾールとパルジファルの戦いの場面は、次のように記述されている。

 『表面的に見れば、毎回のパルジファル上演において、この場面はまさにもっともはらはらどきどきする瞬間である。クリングゾールが、パルジファルに向けて、槍を力いっぱい投げつけるとき、観客は、技術的にうまくいかなくて、槍がどかこへ飛んでいって見えなくなってしまうか、こんどこそペーター・ホフマンがスポーツ選手としては絶好調ではなくて、飛んできた槍を捕らえ損ねるのではないかとかたずをのんで見守っていた』


 こういう舞台上での「はなれわざ」的動作は、歌手にとって微妙なところのあることのようです。1983年刊の伝記に、1982年バイロイトで、著者が同席して、ホフマンと1977年の交通事故による脚の怪我の治療にあたった医者と心理学者であるその妻が「この事故によるキャリアの『断絶』について、そして、これをペーター・ホフマンがどう克服したか、この時以来の共通の経験と認識について」語り合った会話があります。その中で、ちょうど上演中のこの「パルジファル」も話題にのぼります。こちらの読解力不足か、実際にそういう話し方をしているのかわかりませんが、奥歯に物が挟まったような感じがします。

  ヴィンター・クレム(心理学者)「それはそうと、槍のことでも、ちょっとした仲間同士の助け合いを感じました」(ゲッツ・フリードリッヒ演出のバイロイトの『パルジファル』で、ペーター・ホフマンは、クリングゾール役のフランツ・マツーラが、彼に向って投げた槍を、空中で受け止めた)

  ホフマン「私たちは、リハーサルのとき、冗談で、うまくいくかどうか、ちょっと試してみたのです。私としては穴蔵からだろうが、似たようなトリックだろうが、槍に関する延々と続く空騒ぎにはうんざりしていました。十種競技で私たちはもちろんかなりの距離を越えて槍も投げていました。(フランツ・マツーラも同様に槍投げの選手だ)こういう仕事がどのぐらい高く評価されているか知りません。ただ、いとも簡単にやってのけている業績などあるはずがありません。できないにもかかわらずやり遂げた人にとって、それは本物の業績なのです。しかし、そんなことはとても言えません。なぜなら、他の人々は、あいつ、誇大妄想狂じゃなかろうかと思っているのですから」

  ヴィンター・クレム「圧倒的な業績も全く認められないのですね」

  ホフマン「そんな理由もあって、多分ロックのレコードで歌ったり、テレビの台本を書いて、ショーを撮ったり、ワーグナーの映画に出演したりしたのです。こういうことについて、このような形で話すのは当然危険なことです。なぜなら、歌手というものは、もう翌日には、ほんとうに、完全に新たに、業績をもたらさなければならないという状況にある可能性があるからです。歌手としては、私はそういうことができるとは、決して言うことができないのです」

  ヴィンター・クレム「弟さんは、日々こんな危険に身をさらす神経は持ち合わせていないと言っていました。そもそも、すべてただただ声次第というこの仕事にかかわり合うためには、おそらく相当量の健全なナルシズム(自己陶酔)を必要としているのです」


※弟さん:ホフマンの弟は、1980年から兄のマネージャーです。


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Sardanapalus

>マツーラの扮するクリングゾールが、実際に槍を投げ、遠くにいるパルジファルがこれをはっしと受け止める演出
へえ~、こういうの大好きな私は大歓迎です!今までおっさんか野生児のパルジファルしか見たこと無いので、この演出でぜひ見たいですね。ワーグナーのオペラはちょっと馬鹿馬鹿しいくらいのスペクタクルな演出の方が好きです(^_^;)
by Sardanapalus (2006-08-21 16:17) 

ヴァラリン

>舞台上での「はなれわざ」的動作

難しいですね。観る側としてはアクションは颯爽と決めて欲しいな、なーんて、気軽に思いますけど、ホフマンの場合は、どうしても「十種競技のチャンピオン」という色眼鏡で見られるわけですから、プレッシャーも相当きつかったんでしょうね。
この場合は元の設定にそういうことを指定してあるんですから(ワーグナーったら、何考えてたんでしょうね?^^;)結果的にやっても意味のない「はなれわざ」ではないでしょうけど、時々「何故ここでこんなワザをご披露するんだ?!」的な動きも見られますよね…
by ヴァラリン (2006-08-21 17:55) 

あるべりっひ

スペクタクルな2幕だけではなく、変わってゆく『パルシファル』を映像で見てみたい舞台ですね。
バイエルン放送局のTVカメラは入っていなかったのでしょうか?最近NHKを初め世界各国のTV映像がDVD化されてますよね。
by あるべりっひ (2006-08-22 00:19) 

TARO

この槍投げは当時、日本の音楽雑誌でも演出の目玉(?)として紹介されていましたね。
ワグナーは本当に必要と思ってたんでしょうね、きっと。
by TARO (2006-08-22 02:44) 

euridice

Sardanapalusさん
かっこよく決めた大芝居って、わくわくしますね。こういう舞台を映像にしてほしいものです。(おもしろみが減少するにしても・・・)
by euridice (2006-08-23 07:32) 

euridice

ヴァラリンさん
>「何故ここでこんなワザをご披露するんだ?!」
それでも、それがかっこよく決まっていれば、うれしいです^^!

>>舞台上での「はなれわざ」的動作
見栄をきるって感じで、決まっていて、心地よければ、
普通の観客は、単純に喜ぶ人が多いと思いますけど、批評家とか各種○○狂?は何かとこうるさいんでしょうねぇ・・・
by euridice (2006-08-23 07:36) 

euridice

あるべりっひさん
>変わってゆく『パルシファル』を映像で見てみたい
ですね!
当時の音楽雑誌によると、プレミエ後、演出があまり評価されなかったみたいなのが不思議です。だから、発売されたのが、録音だけだったのかしら・・・???
by euridice (2006-08-23 07:40) 

euridice

TAROさん
>この槍投げは当時、日本の音楽雑誌でも演出の目玉(?)として紹介されていましたね。
そうなんですか。私は音楽の友社のぐらいしか読んでないんですけど、全然書いてなかったような・・・年刊ワーグナーの記事でも具体的なことは書いてありません。伝記中に引用されているドイツでの批評にも見当たりません。この辺りに、ホフマンの言う「あいつ、誇大妄想狂じゃなかろうかと思っているのですから」の根拠があるような気もします。「真面目な」批評家や「高尚な」ファンにとっては、むしろ非難すべきことなのかもしれません。「力を入れる部分を間違ってる」みたいな批評も目にしました。
by euridice (2006-08-23 07:49) 

たか

このCD地味ですが実は結構良い演奏ですよね。メトの軽薄なオケの音がしない分だけレバインの指揮も重厚に聞こえます。ただレバインはこの演出は気に入らなかったそうです。彼はシェンクのような演出の方が好みなのでしょう。
でもこのCD、録音がイマイチ鮮明でないような気がします。放送収録用に置いてあるマイクをそのまま使って何回かの上演を録っただけのような感じです。ここからは勝手な想像ですが(またしても)、特別公演でビデオ収録する予定が何らかの事情でキャンセルされ、急遽本公演の音だけを収録してCDだけは出しました、というような雰囲気を感じます。もし特別公演が収録されていれば、指輪やローエングリンのように音だけのCDも特別公演のものを発売できるはずなので、大変残念ですが恐らく特別公演はなかったのでしょう。
部分的にでも何か映像が残っているとうれしいのですが。2幕の槍投げだけでも。エバーディング演出のウイーンの来日公演でコロが歌ったときも明らかに舞台そでから別の槍を受け取っているのが分かりました。本当に投げた槍を受け止めてほしいところです。でもこのウイーンの公演、コロの歌は凄かったですよ。あのすっかスカのNHKホールがワンワン鳴って聞こえたのは後にも先にもこの時だけです。私が聞いたコロのベストパフォーマンスです。ショルティのCDの軽い歌とは天と地の開きがあります。
by たか (2006-08-23 22:04) 

euridice

私には全然わからないのですが、フィリップスのオペラ録音はよくないという意見を目にすることは少なくないですね。ホフマンのパルジファル、この録音とカラヤンのと、カラヤンのほうが概して好きかもしれませんが、気分によってはこっちがいいと思います....^^;

>本当に投げた槍を受け止めてほしい
やはり簡単にできることじゃないってことですね。
by euridice (2006-08-24 08:51) 

たか

EMIの録音も実は結構ひどいのが少なくないしデッカの60年代以降の録音はどれも人工臭いのでフィリップスだけがひどい訳ではないと思います。それに、そもそもオペラのライブ録音というのはとても難しいですけどね。
でもこれは本当に良い演奏ですよ。ホフマンはもちろんのこと、フリードリヒの一つ前のヴォルフガングの演出だった70年代後半からグルマネンツを歌ってきたゾーティンが素晴らしい。
カラヤン盤のモルもこの役をザルツやメトで良く歌いましたが、モルの声は本質的にリリックで柔らかいので、この役だと(決して悪くはないのですが)人の良いお坊さんと禅問答している感じに聞こえてしまって特に1幕が少し長く感じます。
魔笛の弁者ならまさにこれで完璧だと思いますが、グルマネンツはあくまで聖杯騎士、それも主人を救えなかったことに傷ついている戦士ですので、もう少し鋭い声の方が合っていると私は思います。
かといって50年代のグラインドルのようにやってしまうと、音だけ聞くとまるで今にでもパルシファルと戦うのか?というような激しさで、54年のクナのライブを聞いた時は私もさすがにギョッとしました。古い時代ではルートビッヒ・ウエーバーのグルマネンツが素晴らしいと思います。
ゾーティンはこの役に丁度いいところを突いていると思います。グルマネンツは音楽的にはパルシファル以上にこの作品の主役なので結構こだわりを持って聞いています。
by たか (2006-08-24 22:36) 

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