SSブログ

ある女性評論家のホフマン@ローエングリン論あるいは讃(1) [PH]

この夏、1982年バイロイト音楽祭の「ローエングリン」がDVDで発売される予定です。興味のある方は、こちらへどうぞ..... 関連記事

また、すでに内外のDVDが出ている1986年メトロポリタン歌劇場のものも、こちらは日本語字幕無しですが、ドイツ・グラモフォンから再発売予定だそうです。こちらをご覧下さい。

そこで、おなじみマリア女史のホフマン@ローエングリン論あるいは讃(1989年)です。


  パルジファルにおいて、ホフマンが生じさせることができる真実、精神性、感動は、彼のローエングリンの放つ輝きと存在感の成就にも貢献している。多くの先輩たちに比べて、ホフマンはローエングリンをより人間的な存在と見ることにしているから、彼のローエングリンは時に激しい論争を引き起こす。

彼には白鳥の騎士の神々しさが欠けているとか、彼には奇妙に覚めているのが明らかな瞬間が見られるとか、非難している批評家も少数だが存在する。しかし、こういった見解は彼の役に対する考え方を誤解しているように思える。ペーター・ホフマンはローエングリンを人間性を希求する神の如き存在としてとらえる。初めから、その素性と気質のとらえどころのなさにだれもが気がつくが、同時に、この神の人間性を求める強い力を確信させられる。ローエングリンの神の如き有り様と、道徳的な心理状態の間で彼が保つ緊張感はホフマンの舞台に著しい劇的な力を与える。すなわち、情熱的な人間の感情と、人間の世界とは隔絶した霊的な世界へと引き返す冷静さが、交互に示されるのを目にする。

歌手はローエングリンを異次元からの来訪者として描き出す。つまり、ローエングリンは、人間の愛の形の中で自らが救済されることを求めて、救済者たらんとする者なのだ。(テレビ番組、ホフマンの夢の中で、歌手はスーパーマン・ローエングリンを創作した。その場面はこの二つのお話の現代的な類似点を映し出していた。彼はアイヴォリー・マンでも似たようなことをしている。)


 多くの論争は、ローエングリンを歌うのに必要とされる「正しい種類の声」ということにも焦点が当てられる(一般的にイタリア的な方法対ドイツ的な方法に分けられる)。ドナル・ヘナハンのような人たちは、ホフマンの声は軽すぎると思っている。 その一方で、反対に、彼の声は、抒情性が不足していると非難している人たちもいる。あまりにもヘルデン・テノールでありすぎるというのだ。これらの見解は、両極端を示す批評の面白い例として、ヘルデン・テノール史研究者としての著者の興味をひく。

私の耳にとって、ホフマンは理想的なローエングリンの声、すなわち、十分な重さ、本当に英雄だと思わせてくれる英雄的な信憑性、さらに、この英雄を誇り高いドイツ人にするいかにもドイツ的な歌い回し、そして、同時に、ワーグナーが要求したベル・カント的な柔軟で豊かな音色を備えた声を持っている。

 ホフマンはバイロイトでは、1979年ゲッツ・フリードリヒ演出で、初めてこの役を担当した。当時、ルドルフ・ジェックルはホフマンを若く、共感を呼ぶ、まさに人間的なローエングリンとして賞賛した。エーリッヒ・ラップルは

『ペーター・ホフマンはこの役に、立派な落ち着いた男らしさと同時に、純潔の輝かしさと若者らしい情熱をもたらし、舞台で演じられているのだということを忘れさせるほどだった。彼の生き生きとして活気にあふれる、柔軟なテノールは、抒情的な優雅さに満ちている・・・ 』

と、熱狂的に書いた。リチャード・バーンスタインは、圧倒的な批評の熱狂をこんなエピグラムで端的に総括した。

『ペーター・ホフマンこそが、まさにローエングリンなのだ』


 バイロイト音楽祭で、この役を始めて歌った1979年、高音を出すときに、多少構えるような感じが聞き取れたにしても、その声は、甘い優しさ、明瞭なフレージング、彼の演奏の特徴である劇的な陰影などを、示していた。1980年には、ホフマンの声にはもうどんな「破綻」も聞き取れなかった。新たに統合され輝かしさを増した声は、今や、ローエングリンの難しい音域で、楽々と鳴り響いた。高いAの音も易々と出ていた。そして、1982年にこのプロダクションは録画され、各種の賞受賞作品となるクラッシク音楽映画を、ホフマンは創り上げた。

  ホフマンは、バイロイトでの三シーズンに渡るフリードリヒ演出に加えて、世界中のあらゆる主要オペラ・ハウスで白鳥の騎士を引き受けた。ほとんどが、彼のために企画された新演出だった。1980年1月24日のメト・デビューに際して、S.ジェンキンズはニューヨーク・ポストに、

『ペーター・ホフマンはローエングリンとして印象的なデビューを果たした。彼の息をのむほど表現力にあふれた「はるかな国に」そして、非常に強い印象を与えたエルザとの別れ。その最後の高いAの音は、最初のそれと同様に新鮮だった』

と書いた。彼は、ハンブルクでもマンチェスターでも(1981年)同じような感じで賞賛された。1982年にはこの役でパリのガルニエ宮のシーズン開幕公演に出演、チューリッヒとモスクワでも新演出初日を飾った。1983年、ベルリンとスカラ座にローエングリン・デビューした。カラヤンは彼を1984年のザルツブルクに招いた。1985年から1986年にかけて、アウグスト・エヴァーディングの新演出でニューヨーク、メトロポリタン歌劇場。1986年と 1988年にはマンハイムとウィーンでこの役を歌った。1987年にはヴェネチアはフェニーチェ座の特別なワーグナー記念公演で、熱狂的な拍手喝采を巻き起こした。ミラノの最大手の新聞、Corriere della Sera は、このときのことを、こう書いた。

『ペーター・ホフマンは、非常に説得力のある白鳥の騎士だ。声楽的には完璧。白い衣装をつけた姿といい、理想的な人間の物腰といい、言うべき言葉もないほどだ』(つづく)


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 1

佐々木真樹

あれ?ここからヴァグナーの新譜案内を受け取っているのですが,読まないで捨てたかしら? 
早速注文しました。(一緒に買ったのは,コッポラの「秘密の花園」とディズニーの「ライオンと魔女」・・・ )
by 佐々木真樹 (2006-05-28 14:00) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0