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役についての歌手のコメント集[7] [PH]

パルジファル:ワーグナー「パルジファル」

かつてバイロイトの巨匠は、その舞台のために、歌で表現するのとまったく同じくらい完璧に演技で表現できる歌手を求めていた」ということですが、P.ホフマン演じるパルジファルは、おそよ百年の時を経て、やっと登場した「夢のパルジファル」でした。

ジークムント(ワルキューレ)、ローエングリンと並んで、歌手がもっとも頻繁に演じた役です。1976年春には、ヴッパータール、シュツットガルト(ゲッツ・フリードリヒ演出、ギュンター・ユッカー舞台装置)、ハンブルク(アウグスト・エヴァーディング演出、エルンスト・フッフス舞台装置)でほぼ同時期に、三つの新演出初演に参加しました。

歌手はインタビューに対して「今、パルジファル役で、三つの舞台にかかわっていますが、三つの演出うちのどれかが私には易しいなどという根拠は見当たらない」と答えたそうです。

「ヴッパータールでは、奇妙な三頭政治が演出を取り仕切った。予定されていた人が来なかったのだ。全幕、階段上の『パルジファル』だった。魔法の庭は赤い布で覆われた階段の手すりだった。そのように見えた。ともかく私たちは前面に立った。私は折り目の入った黒いズボンにエナメル靴、銀色のシャツを着ていた。半分コンサート形式だが、それにもかかわらず演技を伴っている、わけのわからない困難な上演だった。ひとつの身振りを長い間保たなければならなかったので、こういう種類の演技は私としてはやらずに済ませたいものだと思った。

この役に対する私の考え方は、シュツットガルトの演出以来、基本的には変わっていない。この解釈はとにかく壮大だった。これを超えるのは今もなお難しいかもしれない。演出家はゲッツ・フリードリッヒで、舞台装置家はギュンター・ユッカーである。私は最初の瞬間から夢中になった。............

この舞台では、パルジファルの成長が、一段とはっきりと重点的に表現されていて、それは、私が望んだ通りに、進行していた。舞台でむとんじゃくな印象を与えることは想像するよりむずかしい。最初の方針では、姿勢で表現した。しかし、それでは、パルジファルは全然間抜けでもなんでもない。間抜けでぐずな人というものは、「視線が定まらない」もので、その視線に出会うことがないのだ。だから、そういう人はぼんやりしていて、そのまなざしは何も語らない。................これで、一幕における、奔放な若者から思いやりを持つ者への変容はいっそううまくいった。

 まず、私は彼を若者として表現したい。彼は、森で育ち、教養はないが、少なくともそれについて漠然とした理解は持っている。しかし、それは、それだけのことにすぎず、いつもはまるで動物のような反応をする。善悪の意識がないから、もしかしたら愛すべき人物のようかもしれないが、時にはまた残忍な人物のようでもある。彼には善悪の意識がないこと、ひょっとしたらこれこそが決定的なことかもしれない。.......... 

........ だから、パルジファルは白鳥を射殺してしまったのだ。それは当然の帰結にすぎない。その後でこそ、まさに即座に、彼の内部で、ゆっくりと自覚が目覚めていくという状態へと移行することができるのだ。シュツットガルトの演出で、私たちはそのための方法を見つけた。ロンドンの演出では、二人のロイヤル・シェイクスピア協会長のうち一人が演出し、この未開発の良心というテーマに対してすばらしい考えが展開された。..........」(ペーター・ホフマン)

「第一幕は、歌唱は少ないが、パルジファルにとって重大だ。さらに、オペラの舞台で何も歌わなければ、何も「伝えて」いないということでは絶対にないのだ。パルジファルは非常に繊細な少年である。彼はあらゆることを非常に正確に認識している。.......

...彼は聖堂を無視してただ通り過ぎたり、テーブルクロスをひっぱったりするサルでもなく、カスパー・ハウザーでもないということがどこかしら現れていなければならないが、それは非常に幅の狭い稜線を彷徨するようなものだ。パルジファルはあらゆる種類の感情にたいして心が開いていなければならない。彼の感受性の強さはまだほとんど測られていない。

そこで、私に理解できないことは、テノール仲間のうちでは、『パルジファル』の聖堂の場で、代役を使わせていた者があったということだ。つまり、観客に背を向けて、同じ衣装をつけた助手がしゃちほこばって立って、見ていたのだった。同じ種類の演出でも、私は自分自身でそこに立っていることにこだわっている。一幕の進行中、食堂に座っているなど、私には想像もできない。思いもよらないことだ。もちろん私も同じようにこういった休憩を利用することはできたのだろう。誰一人それに気がつかなかっただろう。しかし、舞台に留まることは、私の「ぜいたく」だった。
歌っていることに対して、内的に関わる姿勢がなければ、そこで起こっていることを観客に信じさせ得る状況が舞台上に実現することはあり得ないと思う。

歌詞に対してどんな考えも持っていなくても、それにもかかわらず、すばらしく歌うことはできるが、歌唱によって表現したいことが重要だと思っている歌手なら、もっと勇気をもって、あえて危険を伴うこともするものだ。例えば、野原の場面、『お前は泣いている du weinest』のところだ。テノールにとっておもしろいポジションの嬰ヘ音は、必要以上に圧力をかけたい音だ。ここで穏やかにすることは、大いに勇気が必要だ。その時、慎重に検討する、するべきか、やめるべきか。おそらく多くの人は全く気がつかないかもしれないが、うまくいかなくて、だれもが気がつくかもしれない。そして、こうしかできない、大声で歌えば、気分が悪いだけだと自分に言い聞かせる。

身体言語は、信ずるに足るようにするためにまさに必要とされ、十分に利用し尽くされることはめったにない。クンドリの場面では、すでにシュツットガルトでも、ロンドンでも身体的接触が、たくさんあった。彼女ははじめから絶対的に無意識のうちにエロティシズムそのものを備えている存在だといえる。クンドリが母のことを物語るとき、私は跪いて彼女によりかかって、ただヘルツライデのことを考えていた。それは、私が本当に守られて暮らしていたすばらしいころのことだった。こういう気分によって、クンドリは、計画通りに、自ずと私を抱き締めることができるのだ。延々歌ったあげく突然くちづけを交わすなら、それは強引なこじつけだと思う。奇妙な種類のエロティシズムだ。私たちは、二つの演出において、接近を先行させることを試みた。興味深いことに、その場合、互いに10メートル離れて立っていて、キスするために一瞬そばに寄る場合より、そのキスははるかにエロチックだった。」(ペーター・ホフマン)

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