SSブログ

パルジファル、1983年ヴェネチア [PH]

歌手は、バイロイト音楽祭では、W.ワーグナー、ゲッツ・フリードリヒ演出で、1976年、1981年〜1985年、1988年にパルジファルを担当しています。フリードリヒ演出は、パルジファル初演後百年を記念する上演です。(画像クリック→拡大)

同様に1983年には、ワーグナーが没した地、ヴェネチアはフェニーチェ座でのワーグナー没後百年記念公演にも出演しました。ちょうどカーニバルの時期で、客席は凝った仮装の観客でにぎわい、舞台は、絵画的で、花の乙女たちは、ほとんど全裸、その上、クリングゾールのマントの下から裸の男たちが飛び出しパルジファルに襲いかかるというエロティックかつ非常に美しい演出だったということです。

「あまりに多くの裸に囲まれて歌手は当惑気味」と新聞に写真入りの記事が載ったそうです。歌手としては、特に二幕は非常に優れた緊張感あふれる納得の舞台だったということです。この時の共演者はゲイル・ギルモアで、非常に魅力的なクンドリーとして、歌手の記憶に残っているそうです。(ガブリエレ・フェッロ指揮、ピエール・ルイジ・ピッツィ演出)

「ヴェネチアの第二幕は欠点が少なく非常によかった。私がかつて見たことがあるか、出演したことがあるもののうちで、ひょっとしたら最高によかったかもしれない。高密度の緊張感が支配していた。クリングソールが、パルジファルが城壁の上部に今立っていていると語っている間、私は実際にもう見えていなければならなかった。そして、クリングソールは、さらに歌いつづけながら、そのマントから裸の若者たちを生み出した。彼らは刀で私に襲いかかった。きちんと振り付けがなされた、まさにほんとうの戦いがはじまった。私はこの騎士たちを空手の手つきでつかんで、空中に投げ飛ばし、足でひとりの顔面に飛び上がったり(もちろんほかにもいろいろあった)した。そして、まだ一声も歌わないうちに、このちょっとした「プロローグ」シーンの終りにはくたくただった。

しかし、パルジファルのためには、第二幕は数カ所休めるところがあるのだ。どんなに体力を使っても、非常にたくさんの精神的な刺激を与えられるので、激しい動きの後、すばやく元気を回復することができる。シェローの場合も同じだった。バイロイトでの第一幕のあと、毎回力尽きたものだった。毎年最初の二週間はこの負担に慣れるために適切なトレーニングが必要だった。こういうことはささいなことだと思うかもしれないが、ささいなことの連続が、実際に起こっていることを明らかにするという結果をもたらすことができるのではないだろうか。

可能なかぎりのことがすべて緊張感を伴って展開すれば、それを自分のために活用することができ、歌唱の響きを超える芸術として役を演じることができる。技巧的に美しく歌うことは、レベルの問題である。芸術はまず響きの中に心が共鳴するところからはじまる。だが、もしかしたら、正しい演技の仕方の追及にあまりにも夢中になっているのは、やはり利己主義的主題かもしれない。私は周りの物事とも、観客とも、無関係ではない。

1983年2月13日のヴェネチアでのそれは物凄く奇妙な感覚だった。一階の席にも、ボックス席にも華やかなカーニバルの衣装をつけた観客が座っていた。まさしくヴェネチアの人々はワーグナーに対する秘めた愛情を示していたわけで、それは独特なやり方によって感じ取ることができた。」(ペーター・ホフマン)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0