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夕星の歌 [PH]

今年(2005年)は、ネットラジオでバイロイト音楽祭の中継放送を聴きました。

数年前にも試したことはあったのですが、受信状態が不安定だとか、時差の関係で深夜になるため、あまり手軽とは言えませんでした。今年は、あんまり簡単だったので、初めて全演目、今年はトリスタンとイゾルデ、ローエングリン、さまよえるオランダ人、タンホイザー、パルジファルを聴きました。同時中継では、午後23時台の一幕だけ、後は翌日以降、ネットラジオのアーカイブで。

中で、印象に残ったのは、「タンホイザー」で、ヴォルフラム(Br)が歌う美しいアリア、「夕星の歌」、歌手はローマン・トレケルでした。この歌はメロディー自体が大好きなのですが、本当に自分好みの歌にはなかなか出会えません。今回のは、その抑制された、陰鬱な雰囲気が期待通りでした。関連記事:トリスタンとイゾルデ&ヴィスコンティ監督「ルートヴィヒ」

ところで、ペーター・ホフマンはタンホイザーは、演じずに終わりました。いわゆる「ローマ語り」の部分はアリア集で聴くことができます。かなわぬことながら、全曲を聴きたいと思わせられます。

まだ勉強中、そして、まだバリトンの声域を勉強していた頃の体験談が伝記にあります。「タンホイザー」の中で、タンホイザーの友人、ヴォルフラムが歌う美しいバリトンの歌「夕星の歌」についてです。

「まだバリトンだと思っていたころ、夕星の歌に取り組んだことがあった。まずその決定的な状況の解釈に三十分は費やした。その後は神経を集中しない悪い癖はおのずとなくなった。台本に対する責任感が生まれていた。もはや無意味に息を吸い込むことはできず、歌いはじめるためには、理解を深め、解釈を自分の中で消化せずにはいられなかった。

その時にはすでに、この歌の憂鬱な気分を意識していた。巡礼たちが通り過ぎてからも、ヴォルフラムはその場に居て、エリザベートがタンホイザーをむなしく待っているのを、目の当たりにしなくてはならない。

死の予感。この気分を捉え損なうことは、準備に際して前もって行ったあの三十分かけての解釈の後は、もはや絶対にありえなかった。

仲間との共同学習だったら、この歌をそれほど重大にはとらえなかったのではないだろうか。その結果、事もあろうに、このアリアを繰り返し聞くのは、私の耳にとって、まさに純然たる苦行になった。それは、ザイバーリッヒ先生によって目覚めさせられたこの歌に対する要求のせいだった。この歌は、今まさに思いのたけを打ち明けようとするように、心を込め、ひとつの思いを歌うのだが、やりすぎて下品にならないように、ごくまともな気分で、感情をあからさまにせず、静かに、厳かでなくてはならない。

  確かに、当時、私は、感傷に浸り過ぎていたが、死の予感とは何の関係もない声のポジションだけを、感じ取り、聞きとろうとしている人たちも何人かいた。人間のひとつの部品、すなわち、声帯だけが、このアリアに関与しているわけだ。これでは不完全であり、やはり何か欠けているように聞こえるものだ。」(ペーター・ホフマン)

ネットラジオで聴いた今年(2005年)のバイロイト音楽祭「タンホイザー」。ヴォルフラム(ローマン・トレケル)の「夕星の歌♪↓」はこういう感じを相当に満たしていたような気がします。


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コメント 3

euridice

「夕星の歌」、今回のネットラジオ中、私にとって、最大唯一の「掘り出し物」でした^^!
by euridice (2005-08-02 06:57) 

クララ

こんにちは。私はピアノの伴奏ではじめてこの曲に出会い、いま言葉もでません。土曜日が本番なのですが、なんか弾いていても冷静でいられないくらい、、、。こんなことは初めてで、きっと歌のかたが素晴らしいからなのですが。もっともっと学びたいです^^
by クララ (2006-05-11 14:44) 

euridice

クララさん、こんにちは。
ほんとうに心を揺さぶる旋律です。
土曜日の本番、観客も感動することでしょう^^!
by euridice (2006-05-11 20:51) 

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